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2018年1月30日

大沢八幡神社‥篠山市大沢70

篠山市大沢70、大沢八幡神社…先人曰く、社殿、彫刻は新井一門とある
一の鳥居‥国道176号線から一筋山手側に、位置するが、社殿は奥の山の麓…

大スギが迎えてくれました‥写真では、その大きさは分かりづらいが、右横の手水舎で比べると、巨木であることが分かる‥
境内

大沢八幡神社
延喜式神名帳にある二村神社(身内村東山下)は、室町時代の文明年間までは、酒井、味間、宮田の三庄 の「産神」であり、大沢庄もこの中に含まれていた。
文明十四年九月九日(1492)二村神社の神事の日、氏子座席の上下を巡って争が起こり、結果、氏子 がそれぞれ祭器等を持ち帰った。
御神体を真南条が、神輿を味間村が、獅子と六点の祭器を板井村が持ち帰り社を建てて祀ったが、この時、大沢村も鎮護神「正八満宮」を奉迎し、社を建て氏神としたのが 大沢八幡神社の由来とされている
旧来より武門、武将、国造、国司、藩主の崇敬が厚く今も、開運満足、厄除削除、商売繁盛、事業繁栄、社運隆盛、心願成就、良縁成就、身体健全、進学成就、学業増進の願い事に御利益がある。

宝物 神社偏額 
八幡宮の御額字は「是は篠山城主松平紀伊信峯殿弟聖護院内庄恵院晃珍僧正、明和六年八月十八日染筆、大沢村杉本八郎辺衛請儒ここに納むる」の記載がある(1769)
                                …案内板より引用

拝殿

神額‥
…「是は篠山城主松平紀伊信峯殿弟聖護院内庄恵院晃珍僧正、明和六年八月十八日染筆、大沢村杉本八郎辺衛請儒ここに納むる」の記載がある(1769)‥とある

妻飾り‥新井一門ではなさそうですね
恐らく、御神木だったのでしょう…見事?な切り株
その右に、神輿庫が…

二体の神輿が納められています
         石灯籠‥享保八年(1723)と読める

由緒書の隣の案内板は…大沢ロマンの森、大沢城跡の説明…

由緒に記されている争いごとに出てくる、二村神社(味間南)は…
2015年3月5日に参拝しましたね
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html
二村神社(味間南)、再訪してみようかなぁ?

…氏子座席の上下を巡って争が起こり‥と、あるが、やはり、現在でも、座席の上下の関係は、ちゃんとありますからね…若者もわかりますよね?‥(^^;)



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