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2016年7月20日

内尾神社・・・氷上町観光地10選・・兵庫県丹波市氷上町三原南奥嶋!

由緒書の鎮座地の住所は、兵庫県丹波市氷上町三原南奥嶋13番地
この地で探ると、ゴルフ場・・・神社庁では兵庫県丹波市氷上町三原13となっている!!

7月31日で閉店する、越知川名水を汲み、丹波市、賀茂神社へ向かう為、県道78号線、バイパスを通りました・・
・・このバイパス、多可郡多可町(旧加美町)から丹波市氷上町(旧氷上郡氷上町)とを結ぶ主要地方道であるが、市町境の清水坂が通行不能区間となっていた。その通行不能区間をPASSする清バイパス(清水坂トンネルを含む)をH17年度より工事が開始され2013年12月完成した道でした

地図で見ると、このバイパス、多可郡多可町から丹波市氷上町、丹波市役所へ・・最短ルートでは!!
清水坂トンネルを抜けて、僅かなところに、写真下の道標が・・これは、参拝しなければ!
氷上町観光地10選

見上げる杉の並木の間に鳥居が・・・いいすね! なにか、いそうですね!!

鳥居の左手にある・・由緒・・
葛野庄 総社 内尾神社
御祭神 :咩咩草葺不合尊
配祀神 :応神天皇 天児屋根命 天忍穂耳尊 大年神 倉稲魂命 櫛磐間戸命

往古大宝二年(702年)三原奥丹治大登峰に建てられた山伏の宿堂の春日大明神・地蔵権現・八幡宮・天神・弁財天を勧請し て法道仙人が千日の行方をつとめられたのが内尾神社の起源とされております
文治元年(1185年)に源頼朝が神域を献じ祈願所となり俊乗上人により現在の地にお社が創建されました
後鳥羽院亭の叡聞に達し正一位内尾三社大明神の院宣を賜る
また、正応庚寅年(1288年)公方様の祈願所並びご神領・田畑栗林御下文、明応四年(1498年)に右馬助より社内伐木・其の他二ヶ篠制礼を賜る
当時の社格は明治六年(1874年)に村社に列し、大正八年(1920年)には郷社に昇格、葛野庄の総社にてこの地方の総氏神として崇敬されてります

例祭日:この祭典は、丹波市指定無形文化財の「中野奴行列」が露払(先導)をし、内尾神社の神霊をお遷しした御神輿が神幸をする神事が行われます
・・・案内板より引用

巨木の並木の参道を進みます  いや!見事な参道です
木々の緑と苔の緑とで、一面・・緑色で染まっています
・・石造りの神橋を渡ります・・


拝殿
拝殿
・・本殿正面左右には「御随身」が座しておられるように見えるのだが?
拝殿、本殿・・そして、左手には、磐坐が・・


本殿左手の境内社・・・

なんともいえない、苔の芸術ですね

ご神木・・幹周り5m程・樹高60mのスギの巨木・・・
その杉の根元には・・苔・・いいすね!
奥の建物は、社務所か?
その建物にある・・奉納絵馬、奉納札
・・寛政八年(1796年)嘉永元年(1848年) 文政六年(1823年)天保三年(1832年)の年代も読める・・・

戻ります・・・拝殿前より鳥居を見る

丹波市指定無形文化財の「中野奴行列」をググってみました・・・
・・・丹波市氷上町中野区民に伝承され、総社内尾神社の例祭に行われる神幸の露払(先導)の一連の行事である。 ハッピ姿で、神社から御旅所までの間に、9回「奴振り」を行う。行列は二列で、挟み箱2人(中老)が先頭で、次に草履取(小学校)1人・槍持(中学生)2人・傘持(青年)2人・小鳥毛(壮年)2人・大鳥毛(壮年)2人の順で、別に警護2人がつく。出場者は早くより肉食を禁じ、当日は斎戒沐浴をしてつとめた。起源は明らかではないが、江戸時代の後期からであろう
・・・丹波市文化財から引用


木々の緑、苔の緑、緑一色の境内・・・これぞ、神域と感じさせられる空気で満ちあふれた内尾神社でした!


このバイパスルートを通って、内尾神社に参拝でき、よかったです・・(*^_^*)



参拝日:7月6日





2 件のコメント:

  1.  宍粟市一宮町生栖梶原大歳神社【三方庄 世良親王養母昭慶門院領】と【葛野庄 世良親王領】の関係を知りたく思います。

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    1. コメント、ありがとうございます。
      記載された内容ですが、知識不足で、わかりません。

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