なぜ?・・道の駅淡河・・トイレ休憩で、立ち寄る所、そして、以前、備忘録にも記しました、豊助饅頭のお店・・
いや、今年に入っても50回は通っている、兵庫県道38号三木三田線の淡河本町の交差点の角に位置するのです・・・
道の駅自体はそんなに大きくはないのですが・・・「P」して、トイレ済ませて、ふと、みれば、この地域の観光案内の地図が・・・
写真左下:案内板 写真右下淡河城跡付近拡大 (赤丸部分)
「淡河城跡」「淡河の城下町跡」「淡河本陣跡」って、あるではないですか!
・・いや、全く知りませんでした!!・・
今日は、播磨の国宝を巡る、平凡な、おっちゃん、ひとり旅の途中なのです・・・
どこへいくか、それは、兵庫県加古川市、鶴林寺、兵庫県小野市、浄土寺なのです・・
平凡な、おっちゃんちからは、兵庫県道38号三木三田線を通って、小野市、加古川市へ参りますので・・・
で、道の駅淡河、てな訳です!・・
観光案内の地図の場所から、右、山、見れば・・・おおぉ!・・淡河城、櫓?が建っているではありませんか・・・
これは、行かなければ・・・でも、なにやら、茂みのなかに、階段があり、う~ん!・・でも、行きます!!
写真下:道の駅から見上げる、淡河城・・・登山道見えます
櫓から見下ろす、道の駅・・・ 結構、高低差がありますね! |
草むらの中は、山、そう、蛇、怖いし、歩きません・・・ここ、畑??
写真左下:櫓側から 写真右下:天主台?から
確かに、ここは淡河城跡なんです・・・・
写真右下:碑文には、淡河城の創築は、承久四年(1222年)淡河庄地地頭職に補任された北條右近将監成正が築き、後、淡河氏と称し・・・・と、あります・・
ここは、フラッシュ焚いて・・・パチリです・・わぁ、蚊が、虫が・・・退散です!
写真右上:上部、銘碑に刻まれているお名前の方が絵図作成されていますね!
で、本来なら登ってきた道帰るのですが・・本来の登上道のほうへ・・・
やはり、正式の案内板がありました・・・・ 右手見れば、田の奥に、城壁?が・・狭間も見えます・・・ 案内板には、竹慶寺跡があり、境内には城主淡河氏代々の墓碑があると・・・ |
写真右上:左側の木々の下と、稲穂の間あたりが、空堀みたいです・・
写真下:淡河家廟所・・・
あぜ道を進み、何とか城壁で囲まれた、内を恐る恐る覗くと・・・ おおぉ、家紋の刻まれた、まだ、新しい「淡河家廟所」の石碑が建っています!
・・私・・ここから先は入りません・・・怖いのですよ!
中世播磨の豪族で、現在の神戸市北区に位置する淡河に城を築いて周辺を支配した。
石峯寺文書の建長元年(1249)の寄進状には預所兼地頭代平とあり、地頭代とあることから平某が代官として淡河庄を統治していた・・・・
しかし、戦国時代には別所氏に属したが、淡河定範が城主であった天正7年(1579年)に三木城と共に落城し、有馬則頼が城主となった・・写真上、碑文にも刻まれていますが・・・
・・・Wikipedia引用
草、生い茂り、土塁、堀跡・・判別難しく・・・この辺やろ・・と、だいたいで・・m(_ _)m
稲穂がたれて、稲刈りの間近な時、田の中をウロウロもしずらく・・ さぁ、山?台地を降りましょう!
登ってきた道と違い、グルッと田の周りを兵庫県道38号三木三田線へ降りて行きます・・多分、この道が、城への道と・・思いながら・・
兵庫県道38号三木三田線を道の駅に・・向かいます!
ここで、道が旧道と県道に分かれています・・
左側の旧道へ・・ 「淡河の城下町跡」「淡河本陣跡」を・・・ ゆっくり、見ながらと・・歩きます! |
町並は古い町並・・・跡なんですよね?・・でも、古いお宅をパチリです・・すみません!
その先の道標には、東、有馬大阪 南、?田兵庫と、あります・・・?は三か?読めないです・・
実は、本日の備忘録、順番が違っています・・・
道の駅に立ち寄り、案内板発見し、すぐ、鶴林寺、浄土寺、そして、淡河城跡・・なんです
ですから、時刻は、夕刻になりました・・本日の目的に淡河城跡が加わり・・良かったです!
今日は良き天気・・・淡河城山?を、一廻りした感じですね・・・・
写真右下:黒い線・・歩いた道です・・いや、ほんと、一廻りでした!
A地点:道の駅、赤丸、城跡、町並、本陣跡です・・・GoogleMap引用しました・・・
いやいや、 湯乃山街道とか、三木城の別所氏、赤松氏、有馬氏・・・色々出てきます
黒田官兵衛の放映の舞台が、九州になっているので、又々、播州攻めの時期が・・フツフツと、蘇ってきました・・・黒田官兵衛に纏わる、場所はまだまだ沢山あるね・・・行きましょうかね!
その前に、淡河の案内板にある、おや?と思う場所へ・・・行きましょう・・・!
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