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2014年9月19日

播磨の国宝を巡る!・・・鶴林寺‥兵庫県加古川市!

和様、禅宗様、大仏様の折衷様式の傑作として名高い国宝、本堂(1397年)・・・鶴林寺を訪ねます!


刀田山 鶴林寺・・・聖徳太子が七歳の時、この地で、排仏派の難を逃れていた渡来人の恵便法師から「木の丸殿」で仏教の教えを受け、16歳の時(589年)、渡来人の秦河勝に命じて「四天王寺聖霊院」を建立されたのが始まりと云われています
その後、平安時代に鳥羽天皇から勅願をいただき、刀田山 鶴林寺と寺号を改めたとあります

鶴林寺‥播磨の国宝を巡る!のパンフにもありますが、最近の平凡な、おっちゃんのひとり旅では折衷様の言葉を起因として、折衷様の建造物(本堂、金堂)を巡ってきました
そして、折衷様の傑作として名高い国宝本堂(1397年)と、兵庫県内最古の木造建築物である国宝太子堂(1112年)を・・・そして、国重要文化財は常行堂、鐘楼、護摩堂、行者堂があり・・・そう、境内、全ての伽藍が国宝、重要文化財なのです!

では、まいりましょう・・・三木三田線を走り、加古川市へと‥「カーナビ君」の案内どうり進むと・・・浜国道といわれる国道250線沿いと云ってもいいほど近い!
そして、広い、無料の「P」へ「α君」を停め・・・さぁ、案内のとうり、大門へ向かいます

仁王門(大門)の前に巨大な石碑・・・刻まれている文字は・・・
「日本佛法最初 旧四天王寺 刀田山 鶴林寺」「聖徳皇太后御霊蹟」 

仁王門‥・室町時代、県指定文化財
階上に坐禅堂を持つ楼門形式で、大伽藍の正門として位置しています

仁王さんにご挨拶して・・・受付済ませて・・・拝観料500円、宝物殿300円(加古川市民200円)




本堂‥国宝、室町時代(1397年)です
折衷様式の本堂・・・和様、禅宗様、大仏様の折衷様式の傑作として名高い本堂です
本堂・・禅宗様式の、両翼を広げ、なかなか凜々しいですね


入母屋造、本瓦葺き、桁行7間、梁間6間、
本堂細部 扉は桟唐戸、組物は肘木を前方に2段持ち出した「二手先」とし、組物間に置く中備は蟇股と双斗を組み合わせたものとある・・・Wikipedia引用
本堂内部へ入ります  おや?撮影禁止の表示がありませんね!
受付の方に確認したところ、「どうぞ」・・・って!‥へぇ?
私、よほどのことの無いかぎり、基本的に、ご本尊、仏像、内陣は、パチリしないのです

外陣の組物をパチリです・・・いや、すばらしいですね!

写真右下:本堂から眺める仁王門です

で、受付の方と色々とお話ができ・・・
・・・カメラ撮影のこと、拝観料のこと、「P」のこと、国宝修復のこと、そして、参拝者さんたちのこと

・・・ここでは記することができない内容をじっくり、ゆっくり、お聞かせいただきました
そして、鶴林寺にまつわるお話を・・・大変勉強になりました
・・・ご苦労の多いお仕事・・ありがとうございました!

太子堂・・・国宝、平安時代 天永(1112年)です

‥宝珠をいただき県下最古の建築・・・
屋根は宝形造(四角錐形の屋根)、檜皮葺き
桁行(正面)、梁間(側面)とも3間の主屋の前面に梁間1間の孫庇(礼堂)を付した形式になり、側面から見ると、主屋と孫庇の境で軒先の線が折れ曲がる「縋破風」(すがるはふ)の形になる
堂内には本尊釈迦三尊像(重文)を安置する
近年の修理にて、ふき替えられた檜皮葺がキレイです!

拝観券を引用
堂内にはこのような、壁画があると‥
長年のススでおおわれた、見えないらしいが、近年、赤外線分析で明らかになったと

常行堂・・・重要文化財、平安時代
太子堂が本堂の右に、常行堂が左に正対するがごとくの天台宗特有の伽藍配置

正確には常行三昧堂という、常行三昧とは、阿弥陀仏の周囲を歩き続けながら念仏を唱えるという天台宗の修行であり、その修行を行う専門の堂とのこと、格式のある天台寺院にしか見ることができないと
その遺構としては日本最古のものである

太子堂と同じく、檜皮葺であったが、1566年瓦屋根に葺き替えたとある

行者堂・・・重要文化財、 室町時代、応永13年(1406年)

正面が春日造り、背面が入母屋造りという小さいが珍しい建物。鳥居が示すように仏教の聖地「鶴林寺」を守護するため「日吉大社」が建てられたのがこのお堂の前身であると

新薬師堂
ウインクをする仏像がおられます‥
…向かって左、右目をつむっておられます
トレビアの泉にて紹介されたようです

三重塔… 県指定文化財、室町時代
江戸時代に大修理が行なわれたそうです
1976年に放火による火災に遭い、一部焼失するも1980年に解体修理で復活、苦労を重ねた三重塔なんです

鐘楼…重要文化財、室町時代、応永14年(1407年)
袴腰造りの優美な建築、本堂と同時代のもので、中に吊されている高麗期の梵鐘も重要文化財である
残念ながら、外側から、梵鐘はみることができません!

護摩堂…重要文化財、室町時代、永禄6年(1563年)
三間四面の入母屋造り、本瓦の均整のとれた小堂、内部が和様、外部が禅宗の折衷様式

観音堂…江戸時代 宝永2年(1705年)
江戸時代 宝永2年(1705年)に再建
入母屋造り、本瓦葺き、正面一間の向拝付き
本尊は木造聖観世音菩薩立像(秘仏)

本堂の前には…左に成道の木「菩提樹」 右にねはん【涅槃】の木「紗羅双樹」が植えられています

これで、一通り、伽藍は拝見いたしました…ホント、ゆっくり独り占めして、拝見いたしました!

散策中・・・パンフにない、色々な遺構?を発見・・・

東門・・・
写真左下:宝物館の横に位置するある東門、修復中か? 
写真右下:公園側から見た東門・・・ちょっと無残にも崩れて見える・・・残念!

聖徳太子 木の丸殿 不開の門跡(あかずのもんあと)
十二歳の聖徳太子が滞在する為にお建てになった「木の丸殿」の門がここにあったと伝えられている

石風呂・・・ 
凝灰岩製 長さ128cm 幅67cm 現高31cm
湯浴のための浴槽・・寺院用としてつくられており、円筒形の石は花立てか線香立ての台石であったかもと・・・

お教えいただいたこと・・・そして、黒田官兵衛に纏わる事柄が眠る、鶴林寺・・・

その黒田官兵衛の嫁、光姫(照姫)の出身地の加古川・・・!

以下、あくまでも、聞き学びしこと・・・事実かどうか、ググって確認しておりませんゆえ!

・・・鶴林寺・・・当時、二万五千石の寺領があり、織田信長、播磨攻めの焼き払いの折、黒田官兵衛の父親、黒田職隆が織田信長に、 鶴林寺を残すよう、嘆願したとのこと・・・寺領はほとんど召し上げられるが、現在の伽藍が残ったと・・・
宝物館には、黒田職隆、黒田官兵衛と深い関係が見て取れる、書状が多く残されている

・・・三重塔の放火事件後、・・・放火事件までは、伽藍を取り囲む塀が無く、自由に境内には入れたと・・・現在の塀は、放火事件の後に造られたとか・・・

・・・鶴林寺北側に位置する、塔頭寺院である、浄心院、宝生院、真光院の三院のご住職が輪番制で、鶴林寺を守っていると・・・

さぁ、 鶴林寺を出て、鶴林寺公園を散策しましょう・・・
つまり、鶴林寺の外側を一周するのです!! 公園、入ると、先ほどの東門が見られます
残念ながら、崩れています

写真:白線が散策経路・・・GoogleMap引用
赤丸が、SL、東門、西門です!

おおおぉ・・・SLがあります・・・・いや、懐かしいですね
加古川ではないですが、子供のころ、SLが目の前を走っていた時代を生きてきました!

ぐるっと周り、西側に・・・西門を発見!

さらに、「P」へ向かいます・・・塀越しに見える三重塔、すてきな公園の散策路ですね!


さぁ、「P」へ戻りましょうか・・・おおぉ、昼休み休憩で、「P」は満車に近いよ

さぁ、鶴林寺・・・国宝、重要文化財 堪能いたしました  又々、長~長・・・備忘録になりました・・・
それだけ、見応え十分の素晴らしいお寺でした! なんども、訪れたい、お寺の一つになりました‥

では、次なる、播磨の国宝を巡る・・・浄土寺へ・・・参りましょう!!


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