「カーナビ君」に目的地設定・・・うん?・・ここは、朝、三木市内に向かう県道38号線の御坂の信号を北へ・・・
おいおい、ちょっとルートが、伺う順を誤りましたね・・・まぁ、戻っても10~15分・・近い、近いと・・ブツブツと、独り言!
御坂の信号から600mぐらいで、大谷口の信号を右折・・・案内標識に沿って向かいます!
農道?を進むと、仁王門が、現れました・・・ここは、まず、本殿に向かい、帰路の折、拝見しましょう・・・
僅か進むと、広い「P」?が・・・その「P」の山肌、いや断層・・説明板には・・・
柱状節理と呼ばれる特異な露岩であるが、右よりに断層が走り、その左右では岩層が約1m食い違いさらに、右側部分は波打っているとあり かって、この付近を襲った大地震のあとであると・・・・なるほど!・・見上げれば、納得です・・! |
今季、秋はぜひ、紅葉見物に・・・参りましょう・・・
伽耶院・・・飛鳥時代(645年)法道仙人が開基した古寺で、後西天皇から伽耶寺の勅号を賜ったとのこと
かっては数十の堂宇と百三十あまりの坊舎をもって栄えていたが、秀吉の三木城攻めの兵火、慶長14年(1609年)の大火により焼失、現在の建物はその後再建されたもの とあります! 本堂、多宝塔、鎮守社の三棟が国の重要文化財です |
左手に山門があります・・・まるで、お城ですね・・
では、伽耶院の入口・・中門、二天堂・・慶安四年(1651年)へまりましょう
この、二天堂は屋根及び、軒まわりは後世の修理で改変されているが、それ以外は当初の形とあり、建立は江戸初期で、八脚門・・・と、あります 新緑の中、良い雰囲気です!! |
重要文化財 金堂、伝慶長十五年(1610年)、方五間、一単、寄棟造瓦葺、回縁付
内陣と外陣とを格子戸と欄間で分けた典型的な密教寺院建築とあります 安置されている、毘沙門天は重要文化財で、平安末期の優作とありますが、拝見できませんでした! |
と、いうことで、内陣はさすが、写真撮影は・・ね!
そして、この伽耶院は拝観料はいりませんが、一人、草、百本を抜いて下さいと・・・あります!
で、私、ちと、急ぐので、賽銭とは別に、百円でお線香祈願をさせていただきました(ずぼら!)
では、本堂の右手、多宝塔へ・・重要文化財、正保四年(1647年)小倉城主、源忠真、寄進とある
特徴は初層と、二層の間に白塗りの亀腹を持ち、蟇股と連子窓は彩色されている・・・ 亀腹・・建築物の基礎部分とあるが、この部分も亀腹なのやね! この多宝塔・・お姿、綺麗です・・・ なかなかですね、私のお気に入りになりました! 寺院、神社建築用語は、難しい・・新しい言葉ばかり・・私如き、にわか観光者には特にね! |
三坂社・・重要文化財 伝慶長一五年(1610年)・・
三間社流造こけら葺、建立は本堂と同時期とある
正面の虹染、蟇股、組物彫刻も見事であります |
方三間、宝形造瓦葺で一間向拝付
その向拝は、象鼻を装い、見返しに極彩式の手挟 |
行者堂・・市指定文化財・・寛永七年(1631年)土佐城主、源忠義の寄進により建立、周りは改変されているが、内部の仏壇等は寛永期のものとあります!
では、帰路へ・・・仁王門も立ち寄らなくては・・・・「α君」を停め・・・
仁王門・・・安置されている尊像は行基菩薩の作と伝えられている金剛力士であるが、天正年間秀吉の三木城攻めに際して、頭部及び脚部を焼失したと・・・
花頭窓から覗く・・金剛力士像・・たしかに、脚部に焼け、黒くなっている部分が確認できますね!
すっきりして良い形ですよね! 伽耶院・・新緑、綺麗です、紅葉もすばらしいと思います・・・ぜひ、紅葉見物に嫁と来ましょう・・・ |
伽耶院が飛鳥時代(645年)に、慈眼寺は大化四年(648年)に、法道仙人が開基とそれぞれ、説明があります
しかし、伽耶院の宗派は本山修験宗、慈眼寺の宗派は曹洞宗・・う~ん?わかりません!
伽耶院と、慈眼寺は直線距離で6km強・・・近いです・・色んな意味で、興味津々ですね!
では、次は、蓮花寺、東光寺へと、まいりましょう・・・ここからが、「α君」、「カーナビ君」が悪戦苦闘とは・・・!
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