その折り、教えていただいた道順にて、坂を上って行きます
10分ぐらい、上りをゆったり歩くと、左手に大きな「P」が・・・その入り口に案内標識があります
首塚記には・・・別所長治公の首は秀吉の陣地から何と安土の信長の元にまで送られ首実検されたとのこと・・その後ここ雲龍寺和尚が安土から首を持ち帰り埋葬祭祀したとあります
ちょうど、この場所で、友人から電話・・・電話が終わってみれば、肝心な写真が一枚だけ・・(^_^;)
ここは、 雲龍寺・・塀沿いに歩くと、曹洞宗雲龍寺の正門に・・・・天徳2年(958年)に慈恵僧正の創建と伝えられている 羽柴秀吉との三木合戦の時は、三木城内にあったため、殿堂、及び伽藍は焼失、三木城開城後、領主、杉原白耆守は秀吉に上訴して再建とあります
この寺は明治維新までは、公寺で、その創建は村上天皇の勅命によるもので、天皇の勅願所でもあったとあります・・・
歩くこと、数分・・・なにやら、古い校舎が・・・何か懐かしいお姿・・・
入り口には埋蔵文化財展示室とあります・・入り口右手のパイプの水飲み場・・・ありましたね・・こんなの!!
三木城跡へ・・・図書館から、絵馬殿にて絵馬眺めていると、どこぞの方か・・あの絵馬は嘘ですよ!・・この時代は天守閣はありませんよって・・・私、へぇ・・っと!
そして、外堀(空堀)は雲龍寺の「P」の側の公園がよくわかるとか・・・
そんなこんな話、歩きながら、聞いているから、絵馬殿、写真撮影、忘れました・・・m(_ _)m
で、歩くと、4~5人ぐらいが・・・別所長治公の騎馬像の前で記念撮影?・・・
でも、下調べの折、拝見したWikipediaにある別所長治公の絵図と比べるとね! なにか、お顔が違うのでは・・ |
ここで、アクシデント?・・デジカメ、電池切れです・・えぇ!です・・ここからは予備の「ISW16SH」で撮影です・・普段は電池予備、持って歩くのですが、今日は・・・鞄に入っていない・・(^^;)
天主横から、眺める、三木市内・・・
口径3.6m 深さ25m・・大きな井戸です・・石を投げ込むと「カンカン」と音がしたそうです
これで、戦いの双方の城跡を見て参りましたが・・1年10ヶ月の「三木合戦(三木の干し殺し)」の戦場でもあり、武士、領民が飢えに苦しんだ地とすれば、戦略的にも苦悩するでしょうし、非情ですね!
人生五十年と云われる時代、その年数の中、二年間もひたすら、相手が餓死、降伏するまで待つ、確かに戦死者を出さない戦方ですが、耐えがたい時間の流れと・・辛いものを感じます
では、三木市産業環境部観光振興課のパンフ・・「街道をゆく」を見ながら走りましょう・・
「ナメラ商店街」、「湯の山街道」を「α君」が走れる街道の場所を進みます・・
本来なら、徒歩で散策なんでしょうが・・・・m(_ _)m
では、続きます・・・
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