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2014年5月9日

兵庫県三木市・・国史跡、三木城跡です!

ぶらり、一人旅・・兵庫県三木市へ・・前回は、国登録有形文化財 三木の町屋、旧玉置家住宅を尋ねました!

その折り、教えていただいた道順にて、坂を上って行きます
10分ぐらい、上りをゆったり歩くと、左手に大きな「P」が・・・その入り口に案内標識があります
三木城主、別所長治公、首塚です
首塚記には・・・別所長治公の首は秀吉の陣地から何と安土の信長の元にまで送られ首実検されたとのこと・・その後ここ雲龍寺和尚が安土から首を持ち帰り埋葬祭祀したとあります

ちょうど、この場所で、友人から電話・・・電話が終わってみれば、肝心な写真が一枚だけ・・(^_^;)

ここは、 雲龍寺・・塀沿いに歩くと、曹洞宗雲龍寺の正門に・・・・天徳2年(958年)に慈恵僧正の創建と伝えられている 羽柴秀吉との三木合戦の時は、三木城内にあったため、殿堂、及び伽藍は焼失、三木城開城後、領主、杉原白耆守は秀吉に上訴して再建とあります
この寺は明治維新までは、公寺で、その創建は村上天皇の勅命によるもので、天皇の勅願所でもあったとあります・・・

正門の石の階段の横に天保十四とあり、江戸時代1843年の折の石材か?(写真左下、赤丸)
さぁ、三木城跡へ・・・・
歩くこと、数分・・・なにやら、古い校舎が・・・何か懐かしいお姿・・・
入り口には埋蔵文化財展示室とあります・・入り口右手のパイプの水飲み場・・・ありましたね・・こんなの!!

ここは、図書館・・今回はパス・・後でわかったのですが、埋蔵関連の資料が、そして、二の丸跡とのこと・・・残念なことしました!・・下調べが甘かったです(^_^;)

三木城跡へ・・・図書館から、絵馬殿にて絵馬眺めていると、どこぞの方か・・あの絵馬は嘘ですよ!・・この時代は天守閣はありませんよって・・・私、へぇ・・っと!
そして、外堀(空堀)は雲龍寺の「P」の側の公園がよくわかるとか・・・
そんなこんな話、歩きながら、聞いているから、絵馬殿、写真撮影、忘れました・・・m(_ _)m

で、歩くと、4~5人ぐらいが・・・別所長治公の騎馬像の前で記念撮影?・・・

でも、下調べの折、拝見したWikipediaにある別所長治公の絵図と比べるとね!

なにか、お顔が違うのでは・・

その右側に、天主跡の石碑が・・・登っていくと、別所長治公、辞世の句の石碑があります
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」・・・23歳だったとあります

ここで、アクシデント?・・デジカメ、電池切れです・・えぇ!です・・ここからは予備の「ISW16SH」で撮影です・・普段は電池予備、持って歩くのですが、今日は・・・鞄に入っていない・・(^^;)

天主横から、眺める、三木市内・・・
その先に、「本丸井戸・・かんかん井戸」とあります
口径3.6m 深さ25m・・大きな井戸です・・石を投げ込むと「カンカン」と音がしたそうです
三木合戦図の絵図が、物語として展示されています
さぁ、降りましょうか・・・稲荷神社の石段を降りていくと、「本町滑原遺跡出土石列遺構」が・・・ガス工事の際発見されたと・・・
その商店街・・「ナメラ商店街」・・失礼ですが、人、いません・・今日は休みか??・・しかし、お店、数店舗、開いています・・商いになるのでしょうか?
この商店街は「湯の山街道」とあります・・この商店街アーケードを通り、県道20号へ、そこは、出発地点、商工会館前なのです!
案内板の古地図からみると、三木城跡の西1/3ぐらいを回ったことになりますね・・教えいただいたルートどうりで、目的達成です・・

これで、戦いの双方の城跡を見て参りましたが・・1年10ヶ月の「三木合戦(三木の干し殺し)」の戦場でもあり、武士、領民が飢えに苦しんだ地とすれば、戦略的にも苦悩するでしょうし、非情ですね!
人生五十年と云われる時代、その年数の中、二年間もひたすら、相手が餓死、降伏するまで待つ、確かに戦死者を出さない戦方ですが、耐えがたい時間の流れと・・辛いものを感じます

では、三木市産業環境部観光振興課のパンフ・・「街道をゆく」を見ながら走りましょう・・
「ナメラ商店街」、「湯の山街道」を「α君」が走れる街道の場所を進みます・・
本来なら、徒歩で散策なんでしょうが・・・・m(_ _)m

では、続きます・・・

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