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2013年11月26日

四国、香川県 丸亀城!

現存天守・・・
日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことである!
現存天守は・・・十二城です!
1 弘前城 2 松本城 3 丸岡城 4 犬山城 5 彦根城 6 姫路城 7 松江城 8 備中松山城 9 丸亀城 10 松山城 11 宇和島城 12 高知城

その内、犬山城(備忘録)、彦根城、姫路城(備忘録)、松山城は訪れました・・・

そして、今回、丸亀城へ・・・と、本日、金比羅宮さん、善通寺と行ってきました・・・
善通寺さんから、直線距離で、約7km・・僅かです!

ここまで、懸念材料があったのです・・・それは、足、膝が、保つかどうか?だったんです!
金比羅宮さん・・765段の石段・・丸亀城は60m上の天守へ、勾配きつい坂道なんです・・
密かに、パンテリン液持参して・・

案ずるより産むが易し・・でした!・・旅での鍛錬の賜です・・うん!!
どこへ、「P」するか、ググってきてます・・・資料館前、市民広場が、無料なのです!
そして、大手門前から、天守の勇姿を、その城壁を・・と、すれば、市民広場なんです・・もちろん、公園利用者が優先ですが・・!
トイレもありますし、芝生の広場・・・すばらしい石垣、天守が全部視界に入る場所ですね!


「P」に「α君」を駐め、見上げました・・・「おぉおぉ・・」なんです!
嫁・・すごいね、あの石垣は!・・高いね!!・・と、・・・
ほんと、すばらしい石垣、天守なんでしょうか・・・・さぁ、行きましょう・・・

標高66mの亀山に築かれた平山城。滅名亀山城とも呼ばれています。本丸・二の丸・三の丸・帯曲帯、山下曲輪があり、東西約540m・南北460mの内堀内204,756㎡が史跡範囲とのこと
「石の城」と形容されるその名のとうり、丸亀城は石垣の名城なのです!

普通?は大手門・・・しかし、丸亀城は、「大手二の門」、その次に「大手一の門」と続きます・・
「大手二の門」「大手一の門」は、勿論、重要文化財・・・
堀端の高麗門を、「大手二の門」・・
城内側を、「大手一の門」と呼びます
 寛文10年(1670)京極氏のおり、完成しました ・・

「大手一の門」は楼上に太鼓を置き、城下に時を知らしたことから、太鼓門と呼ばれています
 大手二の門から、左右の石垣、内堀を・・・
大手枡形・・・枡形、大阪城で勉強しました
前面に方形の空間を設け、そこに門や口を2重に構えることで、攻撃側は桝形内部に侵入しても2番目の門に城内への侵入を阻まれ、桝形内部で守備側からの攻撃を全面に浴びせるためなのです・・と!

大手二の門をくぐり、大手枡形その正面には、切り込みハギの石垣が・・
城の大事なところへ築き、見せる石垣として用いられています
写真左: 枡形の左側 写真右:枡形、正面

そして、大手一の門をくぐれば、そこは、広々とした空間・・・
さて、ググってきています・・・観光協会に行って、資料集めですが、案内所兼うちわ工房竹に伺いましょう・・

理由は・・.大手一の門の内部が見学できるとのこと・・申込みです
そして、意外なことに・・天守閣の入場料が半額に(200円が100円に・!)・・へぇ!珍しいし、ありがたいですね!

「大手一の門」重要文化財・・
内部、見学いたします・・まず、草鞋に履き替え(スリッパはダメ)そして、石落としがあります、
内部写真、ピンぼけです

「大手一の門」から見た、「大手二の門」、枡形です!

はい、では、まずは三の丸に向かって、見返り坂を登りましょう・・・結構、勾配のきつい一直線の坂路です!
登っていくと、石垣の美という案内板が・・
三の丸北側の石垣は、丸亀城の石垣の中でも最も高く、20m以上の城壁が続いています
隅角部の石垣は、算木積みされた美しい曲線美で、「扇の勾配」と呼ばれています
眺めているだけで、顎があがり、のけぞってしまいそうな、曲線です・・
所々、周りと違う白い色の石、多分、修復されたものと思います

この石垣を右折・・さらに厳しい勾配の坂を登ると・・三の丸の広場に到着!
結構、息切れします・・はぁはぁ・・いっています!
三の丸は海抜約50.5mの平地・・
三の丸の北側の隅櫓跡から見る景色・・これまた絶景・・瀬戸内海、瀬戸中央道まで広がり、最高!
さぁ・・二の丸へ・・・石垣に囲まれた坂路を上がると・・・二の丸跡へ・・・
山上で二番目に高い平場(曲輪)・・
曲輪とは・・「くるわ」と呼び、城郭内にある一定区画を分かつ区域である。防御陣地・建造物を建てる敷地・兵の駐屯施設として、城郭の最重要施設である。
江戸時代には、中心的な曲輪に、本丸・二の丸・三の丸などの名前が付く・・とのこと。

二の丸井戸・・・最高所にある井戸。現在も水を湛え深さ約65mとのこと・・何か悲しい伝説の井戸とのこと!
写真、ありません・・・二の丸跡の写真の右隅にチョコッと写っています・・・
さぁ、本丸です・・・
山上の最高所が本丸です。本丸には、天守の他に隅櫓、多聞、土塀が石垣上に巡っていました
そして、丸亀城天守・・・重要文化財!
三層三階の現存木造天守です。高さ約15m、一階北側には、石落とし、狭間があり、唐破風や、千鳥破風で意匠を凝らしています
この天守は四国内で、最も古く万治三年(1660)に完成とあります
そして、日本一小さな現存木造天守です
小さい・・そんな言葉さえ、打ち消すように、66m山上、美しい石垣の上に座して青空のなか・・
「我、ここにあり!」と云っているかの如くです

よく出てくる建築用語・・破風(はふ)とは、日本の伝統的建築様式において、切妻や入母屋などにできる、妻側の三角形部分の造形を言う。
そして、切妻造とは屋根形状のひとつで屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根
いやはや、難しいね・・・!勉強、勉強です

そして、いよいよ、天守内部へ・・・写真撮影可能ということで・・・
まずはいっきに三階へ・・・
写真左下:天守三階より、丸亀警察など、役所、市民広場、大手門から北へ延びる路・・瀬戸内海が一望です!
写真右下:そして、南側、金毘羅宮方面です(確か右隅と・・思います)
三階天守、内部、天井の柱組みです
三階から二階への階段・・・この天守の階段幅、広いです・・犬山城の倍の広さはあると思います・・私感!
二階から、一階への階段・・そして、一階の柱です・・
一階の展示品の中より丸亀城の古絵図を・・・パチリ・・初めてです!・・展示品パチリは・・
備忘録記するとき、拡大してみると、追手門があります・・
現在の大手二の門は、内堀淵にありますし、古絵図にもちゃんと・・私感!
写真右下:青丸、追手門 赤丸、大手一の門、大手二の門

はい・・・ゆっくり、内部を拝見いたしました
その天守閣から西側から眺める眺望・・先ほどとまた違い・・これこそ絶景・・です!
その天守の広場から、西から東へ、パノラマ写真を撮りました・・・

感動に浸りながら、帰途へ・・・
見返り坂を下ります・・・そして、御殿表門へ・・(写真左下、三の丸石垣修復部分が・・)
玄関先御門・番所・御駕籠部屋・長屋・・・県指定有形文化財
この門は、京極氏の屋敷にあたり、形式は薬医門です。
この門に接して番所・御駕籠部屋・長屋があります
古絵図でも、御殿とあり、焼失しています
今は芝生広場、資料館になっています


写真左下:大手二の門の柱修理箇所?・・・木と石にて組み合わせて修復しています
写真右下:大手一の門の鴨居?・・木組みを・・パチリ
ここまでで、結構な時間が経過しました・・・・残念ながら、ここで、帰途につきます
市民広場の「P」に戻りながら・・又、天守を見上げ・・青空に天守と飛行機雲・・いいね!

「カーナビ君」・・にルート設定・・坂出インターより帰途へ・・・

今回、日帰りで、四国、香川県・・金刀比羅宮さん、善通寺、丸亀城・・巡りました
765段の階段、見返り坂・・お陰様で、パンテンリン液使うことなく、元気で歩けました!
この四国の、歴史を、よりググって、いつか、巡って行きたい・・と、思います
現存する天守・・四国は、 松山城、宇和島城、高知城・・あります
ゆっくり、泊まりがけで、四国西半分をぐるっと回り、訪れます・・そんな気分です!

走向距離438km 平均燃費22.3km/L ・・又々燃費悪し・・踏みすぎに注意かも・・(^^;)

※内容は私の主観によるもので正確性を検証していません。
 文中、Wikipedia、丸亀城案内書より一部、引用いたしました



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