それぞれ、以前の備忘録に記してありますが・・
その歴史の中で、未だ訪れていない、遷都の地・・長岡京へ・・
長岡京の西の一部に位置するだろう、大山崎に所用があり・・・
いつも、この地は来ているのに・・知らんぷり!! だったのです!
長岡京への遷都・・・・
第50代桓武天皇は、天応元年(781年)即位するが、平城京70年の間に強大になり、政治そのものまで左右するようになっていた寺院勢力をふりきり、人心を一新して新しい政治を行い、律令体制の建て直そうと、平城京から北へ40㎞の長岡の地に遷都、造営されたのです
延暦3年(784年)11月11日に遷都し、延暦13年(794年)10月22日、平安京へ遷都される約10年間、この向日市が日本の中心でした(学習院大学 経済論集 第28巻PDFより一部引用)
長岡京の地の近くには、桂川、鴨川、宇治川などの大きな川が淀川となる合流地点でもあり、物流の面でも、平城京の地理的弱点を補ったとも云われています その関係からか、発掘された瓦など、難波京のものが多く出土されているとのことです 難波宮や他の旧宮、平城京の建造物を移築し、かなり完成した姿であったとも云われています 画像:向日市教育委員会パンフより引用 |
発掘調査では、ほぼ各家に井戸が見つかっていることから、そこに住む人々も豊かな水の恩恵を受けていたと言える。平城京で問題となっていた下水にも 対策が立てられた。道路脇の流れる水を家の中に引き込み、排泄物を流すようになっていた。長岡京の北西で湧いた豊かな水は、緩やかな斜面に作られた都の中 を自然に南東へ流れ、これによって汚物は川へ押し流され、都は清潔さを保っていたとも・・・・(Wikipediaより一部引用)
向日市教育委員会パンフのパンフの説明に・・
ユニークな絵柄がありましたので、引用・・ それは、トイレなんです! 上記記述にも、・・・ 汚物は川へ押し流され、都は清潔さを保っていたともあります! 図柄から、こんなトイレ・・今もあるよね! 近い外国の、田舎のトイレ、・・ それも、仕切りのないトイレ・・ ・・違ってたら、m(_ _)m・・ |
はい、それでは、長岡京跡を巡りましょうか・・急だったので・・とりあえず、観光協会頼み・・です!
しかし、電話番号・・向日市市役所・・・ 向日市産業振興課なんですって・・・
向日市・・・初めて行く「市」です・・・なにか聞いたことがある・・そう、京都向日町競輪・・・
駐車しないとダメ・・・で、駐車場のガードマンさんに・・どこですかね、市役所の駐車場は・・って!
この駐車場は、競輪場用です・・
でも、いいですよって・・ 料金は・・午後5時まで、無料・・・ ラッキー・・です!・・・ ここに停めさせていただき、・・散策を・・ なぜかって・・ここまで来るまで、道狭い、街並みが古い、旧道みたいな道・・ 「α君」停めて・・散策!と、思っていました・・・ ですから、ピンポンです! 競輪場へも、市役所への用事も同じみたいなもんです(うん?・・違うか!) |
市役所 産業振興課へ、係員の方から、パンフとか、色々情報収集・・・そして、向日市文化資料館へ・・と!・・歩いて行きました・・・すぐです!・・えぇ?・・門、閉まっているよ!
なんで・・・後で判ったのですが、月一度の資料整理の日だったのです!
向日市文化資料館には、長岡京の復元モデルが展示されているとのこと・・下調べして、散策・・・
これが、常道なんです・・・が、仕方ありません・・・マップ片手に・・・AU-ISW16SHのGoogleMapを開いて、自分の位置確認しながら・・・そう、この道は歴史ある・・「西国街道」なんです!
残念ながら、今日は「西国街道」は散策しません・・・・・
歩いていると・・・いきなり、長さ2m強の板に・・・うんちくが・・
向日まちで一番の宿屋・・富永屋・・と、あります(続きにて記します)
西国街道・・・国道171号線ですが、平凡なおっちゃんの年代は「 西国街道」やったんですよ!・・・
やっぱり、日を変えて、「 西国街道」・・ゆっくり散策すべきやね!
では、先へ・・・長岡京、大極殿跡地・・・ありました!・・地図見ながら、探すって、大変です
ましてや、民家の集まりの中の公園みたいな場所・・・・
大極殿は、宮内で最も立派な建物で、政務、儀式の際、天皇が臨御する場所です
ここまで汗、凄いです・・今日は、足元、革靴なんですよ・・結構、きついね!
そして、すぐ側に・・・閤門跡が・・・
なぜって・・その寺院の前なんです・・・(別途、記します)
さて、 内裏内郭築地回廊跡は、公園?・・・だって、すべり台がありますからね・・まぁ、住宅街やし・・ 内裏とは、天皇、皇后、后たちの住まいです・・
写真を撮っていたら、職員さん・・・「説明しましょうか?」って・・「では、お願いします!」って・・ 約30分ほど、詳しく説明いただきました・・・ やはり、ここの職員さん・・詳しいです! 天皇にまつわる話から、渡来人、百済、秦氏、太秦まで・・ 勉強になりました!・・はい! |
長岡京全体規模は、東西4.3㎞ 南北5.3㎞・・ 現在の向日市、長岡京市、大山崎、京都市一部にあたります 左図:長岡京跡条坊復元図(案内図より、引用) |
いや、所用のついでにと、思って訪れましたが、遷都の地は簡単に散策が終われる場所、向日市ではありませんでした!
そして、遷都で・・未だ、訪れていない地・・「難波京」「恭仁京」があります
「恭仁京」・・・奈良時代の一時期、都が置かれた地、山背国相楽郡・・木津川です!
「難波京」・・所用でよく行く、大阪!・・横目で見て車で通っていましたが・・・はい! 伺います!
それでは、向日市、歴史ある町の散策、そして、「たけの里、向日市」とパンフにあります・・竹の径の散策へ・・・
はい、続きます・・
関連:遷都の地を尋ねて、長岡京・・向日市です!
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