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2024年6月29日

令和の大改修を終えリニューアルオープンした岡山城(烏城)・・・後編

リニューアルオープンした岡山城(烏城)の後編は、天守を下り、中の段の現存の櫓、月見櫓を見に行き、月見橋、旭川を渡り、対岸から天守を眺めたいとおもいます


天守を下り、左側のベンチに腰を下ろし、休憩です
そして、やや斜め、西南からの姿を眺めます

破風、千鳥破風、唐破風と金の鯱が実に美しい
リニュアールされて間もないので、実にきれいです

中の段へ下りてきました


国指定重要文化財・・・岡山城月見櫓
月見櫓は、岡山城本丸を構成する一二三の段の二段目に 当たる、中の段北西角を固める隅櫓です。池田忠雄が城主であった時の城郭整備に伴って、元和年間から寛永年間前半(1620年代)に建てられました。
構造は、一部地下付きの塗籠造り本瓦葺き二階建てで、 城外[北西]側から眺めると二層の望楼型、城内[南東]側から眺めると三層の層塔型を呈しています。規模は、地階と一階が桁行[東西]三二尺三寸(9.79m)、梁間[南北]二六尺二寸(7.94m)、二階が方形で 桁行・梁間とも一六尺五寸九分(5.03m)、棟高 四五尺四寸(13.67m)です。
地階は、一階床下の貯蔵場所であり、一階の床張りが引 上げ式の戸板となっていて、有事の際にはそれを開いて一 階に通じる仕組みです。一階は、西面が唐破風造りの出格 子窓、北面が片流式屋根を持つ出格子窓を設け、共に石落し(俯射装置)を組み込んで、城外側へ臨戦の備えをなしています。入口は南面西寄りにあります。二階は、西面の初層屋根の妻部に千鳥破風の格子窓、西壁に引き違い窓、 北面の踊場北窓に唐破風造りの武者窓、北壁に引き違い窓 を設けて、一階同様に城外側への備えを厳しくしています。 その一方で、二階の城内側の東面と南面には雨戸を持っ た手摺付きの縁側が廻り、内側に明り障子を立てるなど、 日常生活向けの御殿仕様となっていて、月見をはじめとし 四季の眺望を楽しんだり、小宴を催すのに格好の構造と なっています。・・・岡山市教育委員会



現存・・・月見櫓

月見櫓のいくさ備え・・・ 銃眼石・穴倉

月見櫓に接する石垣には、 内側から鉄砲で狙い撃ちするためのすき間がくりぬかれた銃眼石があり、櫓と一体で軍備を高めていました。同じものが見られるのは、徳川幕府の城(江戸、大坂、二条)のみといわれます。



穴倉は香川県の豊島産の凝灰岩 (豊島石)で造られ、幅3.8m、
奥行2.9m、深さ2.3mです。もとは屋根があり、非常用の食料保存庫といわれています。


中の段 表書院跡
Pentax-Q 魚眼レンズでパチリして、やや補正したものです

地中に埋もれていた石垣・・・なぜ、ここに石垣が
江戸時代の初めに城を改造する時に、この石垣を埋め込んで「中の段」 を北に大きく広げたからです。 平成5年度の発掘調査で見つかりました。 石垣は展示施設の壁を越えて続き、 本来の裾は床下に埋もれています。 拡張後の中の段には 「表書院」の御 殿が建てられ、この場所の真上は台所になりました。



守りの要は藩主の通路・・・廊下門

本丸の搦め手(裏手)にある櫓門で、門の上に ある上屋には敵を迎え撃つ目的がありました。 上屋は本段(城主の住 居)と中の段(政治の場) を結ぶ城主専用の廊下として使用されており、廊下門と 呼ばれていました。昭和41年(1966)に再建されました


  廊下門
Pentax-Q 魚眼レンズでパチリして、やや補正したものです


刻印のある石も見える・・・小納戸櫓下の石垣

池田忠雄が1620年代に築いた石垣で、搦め手(裏手)の廊下門を守る小納戸が上に座って いました。右手の角を曲がってみ ましょう。月見橋の下まで続く石 道山犬島(岡山市東区天)から切り出したとみられる石が横まれています。刻印のある石も見られ、例えば、突き出した石(石)の下方には「○に+」の形が刻まれています。


旭側からの天守
・天守石垣は野面積み


月見橋を渡り 後楽園側にいきます

ここが、撮影ポイント
今日は残念ながら、風があり、川面がやや波立っていますので、川面に天守が写りませんね

岡山後楽園 南門
前回はここから出て、上の写真の天守を眺めて帰りました

月見橋から北東を・・・

戻ってきました
月見櫓を見上げます
城外側へ臨戦の備えをなしています。入口は南面西寄りにあります。二階は、西面の初層屋根の妻部に千鳥破風の格子窓、西壁に引き違い窓、 北面の踊場北窓に唐破風造りの武者窓、北壁に引き違い窓を設けて、一階同様に城外側への備えを厳しくしています



見上げは鉄板張りの出窓・・・月見櫓の石垣

池田忠雄が1620年代に築いた石垣です。隅は算木積みといい、長方形の石を、交互に振り分けて強度を高めた積み方です。石材は白味の強い花間岩で、瀬戸内海に浮かぶ人島(岡山市東区大島)で切り出されたものとみられます。石垣の上に建つ月見物(国指定重要文化 財)を見上げると、表面を鉄板で覆われ、下部に石落のついた出窓が見えます。


中の段南西部の石垣

小早川秀秋が築き、次の池田忠継の時に改修された 石垣です。あまり加 工していない石材 を緩い角度に積むのが特徴で、高さは11mあります。右には大納戸櫓の石垣が接し、左には1620年代に池田忠雄が築いた切石積みの石垣が接しています。

1620年代に池田忠雄が築いた切石積みの石垣

ここには多聞櫓があった

前に立てはわかる大きさ・・・内下馬門付近の巨石

本丸入口あたりの右確には城主の威厳や権力を誇示するため巨石が使われています。最大で高 さ4.1m、幅3.4mで、厚みのない板石を立てたもの です。発掘調査により、池田家が城主になった頃に築かれたと考えられています。
また、豊臣家滅亡後、 徳川幕府が築いた大阪城で最大の巨石である蛸石は、徳川家康の孫にあたる岡山城主・池田忠雄により運ばれたものです

この付近の巨岩の一つには、昭和9年(1934)の 室戸台風による洪水被害の水位も示されています。

上赤枠が、洪水被害の最高水位標識の位置です

最高水位標識


「P」の横には文化財・・・林原美術館長屋門

時代 :江戸
年代 :江戸末期/明治後期移築、昭和42年改修
西暦 :1830~1868
構造及び形式等 :木造平屋建、瓦葺、建築面積148㎡

解説文:
敷地東側の道路から入った位置に東面して建つ、土蔵造入母屋造本瓦葺の長屋門。旧生坂向邸の敷地から明治末までに移築されたもの。外部は漆喰塗りで腰下は海鼠壁、柱梁にトガの良材を用いる。池田家、生坂家の遺構としても貴重で武家屋敷構えを今に伝える。


定番:マンホール  デザインは「桃太郎」
設置地図では、2ヶ所だけ? そして彩色されていましたが!

2回に分けて、ニューアルオープンした岡山城(烏城)を見てきました
正直、驚いています
こんな立派な石垣に囲まれて、戦火で失ったとはいえ、見事に再建されたお城をみて、もっと早くくれば良かったのにと、思いました

後楽園側からお城へ入ると、周囲の石垣群を眺めることを忘れるかもしれませんね
そして、事前調査が足りず、旧岡山城、石山城の曲輪、石垣があることを知りませんでした

次回、訪れるときは、必ず拝見いたしましょう

良き天気に恵まれ、青い空、金色の輝く鯱、黒い下見板張りの姿がお見事でした
ほんと、よきお城でした








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