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2023年12月22日

四国、お城巡りの旅 復元された木造天守「大州城」

四国、お城巡りは、愛媛県、復元された木造天守「大州城」です
現存十二天守の「宇和島城」からの距離は約40km、40分です
閉館、札止めが、午後4時半
間に合うか、ギリギリです

GoogleMapより

無事、午後4時20分に到着しました
急ぎ、受付に走ります
肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。
明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、惜しくも天守は解体されました。



見えてきました


間に合いました



大州城の沿革
大洲城は、鎌倉時代の末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城が始まりといわれています。激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、このころ 4 層 4 階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。元和 3 年( 1617 年)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が 6 万石の城主としてこの地を治めました。明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年( 1888年)には天守も取り壊されました。しかし、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。城跡も県史跡に指定され、今日も大切に保存されています。4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに、平成16年(2004年)に木造で復元したものです



夕暮れで、閉館時間(17時)が迫っています
急ぎ、天守、最上層へ参ります

天守よりの眺望

ここで、城内放送が・・・
肱川橋梁をJR予讃線の観光列車が16時30分に徐行通過しますので、幟を振って歓迎しますので、お集まりください・・・
私どもは、天守最上層のため、無理!

と、いうことで、カメラ構えて待っています
まるで、撮り鉄気分

16時33分・・・夕陽に照らされ、やってきました
いや~、なんという光景、体験でしょうか!
いやいや、よかったです

木造天守、最上層の木組み
戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、19.15mの高さは日本一となります。また、本来なら建築基準法では認められない規模であったため、当時、愛媛県に建設計画をなかなか認めてもらえませんでしたが、2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外となり、往年の複合連結式による天守群の復元にいたりました。
使用された木材はすべて国産材で、天守の内部に足を踏み入れれば、城郭建築特有の迫力ある木組が訪れる人を驚かせます。


  さぁ、天守を下りながら、天守内を拝見しましょう



元禄五年大州城絵図
大洲城のはじまり(1331~)
大洲はもと港を意味する「津」という文字を用い、大津と称していました。大津における城の創建は、元弘元年(1331)伊予国守護の宇都宮豊房に遡ります。戦国末期の永禄11年(1568)までの237年の間宇都宮氏の居城でした。永禄11年(1568)宇都宮は河野・毛利連合軍に敗れ、城は河野の武将大野直昌が預かるところとなりました。

藤堂高虎の時代(1595~)
文禄年(1594)に朝鮮で病死した勝隆の後を受け、文禄4年(1595)6月に藤堂高虎が宇和郡板島万石の城主として封ぜられました。併せて宇和、喜多、浮穴各郡約6万6千石の蔵入り代官を命じられた高虎は、板島に城代を置き、大津城を居城としました。慶長5年(1600)高虎は、関ヶ原の戦いの恩賞として、今張国分山城を追増され20万石となり、さらに、慶長7年(1602)には今治城の普請をを始め、大津には養子の高吉を城代に据えました。慶長10年(1605)奉行田中林斎は、命を受けて城下に塩屋町を創設した商人に褒状を送っています。このころから大津が城下町としての形態を整え始めたのです。


高欄櫓一重要文化財
高欄櫓は大洲城の中で唯一、2階に縁と高欄のある櫓で、ここからは城内が一望のもとに眺められます。現在の高欄櫓は、台所櫓同様、安政4年( 1857 )の地震で大破し、万延元年(1860 )に再建されたものです。昭和45年(1970)に台所櫓とともに解体修理を行いました。




石落とし

高欄櫓 2階に縁と高欄が確認できる

なかなかのお姿

夕暮れの大州

番外:TV番組で見ましたが、大州城、なんと宿泊ができるようです
しかし、1組限定貸し切り 確か料金は150万?
いやいや、リッチな海外のお客さんが多いらしい


下の写真の古民家風のHOTELもそうかもしれない
外国の方は、こういう日本文化を楽しむらしいですね

時間もなく、慌ただしく、大州城を見学できましたが、重要文化財の櫓の全てを拝見できませんでした
しかし、無事、登城できたことは、なによりです
満足しております


追記:記事中文言は、案内板、大洲市広報から引用いたしました









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