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2023年7月2日

6月の神社探訪・・・兵庫県小野市、 垣田神社 本殿彫刻は草花平四郎の世界かもしれません 

兵庫県小野市小田町1649、 垣田神社を訪ねます
先人の記事で、草花平四郎の彫刻、棟札があると、記事がありました

草花平四郎・・・享保年間~享和年間(1716~1804)にかけて名を残し、相当な腕の彫物師ともあります

垣田神社の場所・・・久しぶりに迷いましたね

農道の奥に見つけました
α君の車中、窓越しにパチリ・・・ちと、ずぼらです(かすんでいます)


社頭 
・・・式内垣田神社の石標、そして、境内へは、石段を降ります

 左手に手水舎
・・・こりゃまた、大きな手水鉢 すごいです
一周しましたが、刻銘など見つかりませんでした

拝殿
主祭神:底筒男命
配祀神:中筒男命 表筒男命 神功皇后                   

由 緒
 往昔、小野市小田町字神ノ木、つまり小田を貫流する東条川の川北の山の中腹の高台地に祭られた。今、垣田神社の元宮といわれている稲荷社のあるところ附近で、神ノ木という地名が神聖な場所であったことをあらわす。
平城天皇の大同二年(807)、今の地に遷座。
当社の神宮寺だといわれている西の小田町字坂口の西福寺(現在廃寺)や東の松沢町字大深谷の東福寺の建立は、平安時代末期の頃であろう。
昌泰二年(899)に、勅使藤原公方を御差遣になり奉幣の儀がおこなわれ、その時、垣田大神の勅号を贈られたといわれている。
播磨国の名社として延喜式の神名帳に記載され、勅使参向の官社に加列されたのもこの頃である。
明治6年(1873)郷社に列せられる。大正12年(1923)、県社に昇格・・・神社庁より


本殿

いきなり見事な蛙股

少し離れて、ズームレンズで・・・鳥の巣らしきものが見える


       左脇障子



千木が、破損したようで、取り外されています

       本殿、背面


       右脇障子


右側面、蛙股




        狛犬





        石灯籠、天保までは読めるが・・・

本殿、屋根、左の千木がありませんね

やや時刻も遅く、全体に暗い写真になりました

草花平四郎の世界は他にもあるようです
そして、名前さえ知らないときに訪れた神社があります
自分の記事を読み直して、再訪しましょう


追記
この記事をアップしたあと、刻銘、棟札も確認がとれていないので、草花平四郎と断言できないのではと、ご指摘いただきました

しかしながら、先人たちの記述がありますが、私自身が確認したわけでもないので、今回、私は、「草花平四郎の世界かもしれません」と、変更させていただきます
ご理解いただきますよう、お願いいたします













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