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2023年2月22日

味間奥の二村神社・・・兵庫県篠山市味間奥280

二村神社・・・兵庫県篠山市味間奥280です
この二村神社一の鳥居のそばには、文保寺の石標もあります
文保寺への道と同じというか、同じ山間に位置します


二の鳥居

二村神社由緒

当社は味間地区七ヵ村の惣社として古来より氏子の崇敬を集めてある。由緒によれば室町時代の文明十四年(1482年)、延喜式内社である見内の二村神社で座争いが起こった際、神宝、神器が周辺の各村に持ち帰られ、味間には御神体が御輿によって運ばれたとされる。御神体はまず西古佐村字イミノ木に仮の社を築いて安置されたが、のちに、味間村字松本に社殿を築きここを永年の鎮座地としたとある。当神社にはその時、御神体を運んだと伝えられている御輿が今も遺され西古佐のイミノ木はこれを契機に神興谷と称される。
二村の社名は、この座争いの神宝分散の経緯により見内の二村神社に則ったものと見られ味間二村神社の歴史はここを発端するのであろう。
当神社の主神は伊弉諾命と伊弉再命である。 明治41年に御霊神社のほか五社が合祀される。 特に記するべきは明暦二年(1656年)に境内地に祀られた波多野秀治の御霊神社である。・・・二村神社由緒案内板より引用


           二村神社祭礼

二村神社は、もともと古市地区の見内にあり、その氏子は、かつて篠山市西部の広い範囲に及んでいました。 1482年、 神事の座席争いからご神像争いへと発展し、 真南条村と味間村には新たにそれぞれ二村神社が建てられました。 味間では10月第2日曜日に山車と太鼓御輿 が、真南条では10月第1日曜日に太鼓御輿が繰り出され、 祭礼が行われます。



拝殿と社殿

拝殿正面より







拝殿と本殿の彫物師は異なりますね

梁?を支える力士





       寛保四(1744)と読める



二村神社の座争いで分散された、二村神社は全て参拝してきました
昔の人々の争いとは、着座位置という、どちらが上か下かということで起きたということで、考えれば、たわいもないことかと思えますが、当時は大変なもめ事だったのですね








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