鶉野飛行場に残る戦争遺跡「無蓋掩体壕」と、海上自衛隊「SNJ-5」練習機をパチリしてきました
そして、息子に「紫電改」を見せてやろうと、やってきました
え! 新しくなっているぞ!
そうか、新聞で見ていたが、すっかり失念していました
・・・「soraかさい」は4月18日にオープンしました・・・
地道の「P」も、周辺道路も舗装され、大きな建物「soraかさい」が増設されていました
平日だし、休館と思いガラス越しにパチリと思っていました
「soraかさい」・・・なんと、入場できました、開館されていました
入ります
おおぉ・・・なんと、「紫電改」ともう一機、ぶら下がっているではありませんか!
テンション、MAXです
再開やね・・・紫電改
第二次世界大戦末期、滑走路の南西にあった川西航空機姫路製作所鶉野工場で組み立てられていた戦闘機「紫電改」、パイロット養成に使用されていました
あえて操縦席
2階への階段があり、上から展望できるようになっています
階段途中から紫電改をパチリ
二機の配置です
これはスマホでパチリです、オリンパスでは画角に入りません
九七式艦上攻撃機 一一型(B5N1) 実物大模型
かつて姫路海軍航空隊が飛行訓練で使用し、同隊で編成された特別攻撃隊「白鷺隊」が特攻作戦に使用した九七式艦上攻撃機の実物大模型です。
防衛省防衛研究所所蔵の「九七式一号艦攻取扱説明書(草案)やわずかに残る実機の写真などの資料を参照し、外観や形状、寸法を正確に再現しています。
搭載しているのは特攻出撃時と同じ800Kg爆弾の模型です。
全長:10.300m 重量:約1t
800Kg爆弾の模型
1階へ下りてきました
紫電改
各部処の説明です
・銘板
銘板
水平尾翼の下の銘板には製造番号が記されています。
川西航空機姫路製作所の場合は7から始まる数字、 鳴尾本社工場の場合は5から始まる
数字が記され、 製造場所がわかるようになっていました。
垂直尾翼には部隊の番号が記されていました。
今回発見・・・
・尾翼の下の穴
地上でエンジンの稼働試験をする際にも使用していた穴です。
尾翼の浮き上がりを防止するために、直径5cm程度の鉄パイプを差し、左右2つずつ合計4個の石臼を重石としてぶら下げるなどしていました。
それでも浮き上がる場合は、水平尾翼の上に数人が乗ることもありました。
局地戦闘機 紫電改 紫電二一型(NIK2-J )
増槽タンク
戦場までの燃料を積むためのタンクで、戦闘になれば捨ててしまう消耗品でした。
材料は軽量なベニヤ板でしたが、 燃料が漏れないようにつくられていました。
紫電改の増槽タンクは、 零戦より大きく、容量は約400Lありました。
ミュージアム・・・
・技術ゾーン
・歴史ゾーン(撮影禁止)
soraカフェ&ショップ
バーガー、カレーなどあるようです(土日限定の品もあります)
そして、お土産も・・・
旧滑走路です
一番奥に「soraかさい」の建物が見えます
一番最初に鶉野飛行場を探して来たとき、この滑走路を「α君」で爆走?しました
今は、周辺道路も整備され、もちろん滑走路には入れません
そして、残された滑走路を端から端まで見てきました
一番最初に訪れて記事にしたのは、2014年10月25日
川西航空機鶉野飛行場跡地・・・兵庫県加西市鶉野
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2014/10/blog-post_25.html
おぉ・・・8年前か!!
・戦後の鶉野飛行場
終戦後、鶉野飛行場跡は、占領軍の接収、 開拓団の入植、土地の払い下げ、兵舎の払い下げ等が進み、その景観もどんどん変わっていきました。
姫路海軍航空隊の建物などがあった場所は神戸大学農場 (現 神戸大学大学院農学研究科附属食資源教育研究センター) となりました。
滑走路は警察予備隊、自衛隊と管理者が変わっていきました。
ただ、鶉野飛行場の様相が変わる中、コンクリート製の滑走路、防空壕や機銃座などは取り壊されずに残り、当時のようすを伝えるフィールドミュージアムとして、活用されることになりました。
反対側です
我が息子と二人して、各々館内を行ったり来たり上がり下がりして、撮影してきました
今回の機材は、オリンパス E-M1+単焦点M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8なので画角がね!
次回、嫁連れて見学に、そしてNikonZ7+24-70mmでパチリしましょう
息子・・・喜んでくれましたよ~
案内して良かった良かったです
因みに私の紫電改を・・・(オリンパス E-M1+単焦点M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8)
追記:記事文言は説明板より、引用いたしました
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