・・・2015年1月17日、参拝し、備忘録に記しました・・・しかし、その折りは、中井権次一統のことは知りませんでした!
中井権次一統の足跡と知れば、再訪問、あるのみ・・・・やってきました、いそ部神社!
社殿の内容、水別れ公園など・・・内容、重複しますが、再度、記します・・・m(_ _)m
一ノ鳥居・・
・・・夫婦杉・・・
二ノ鳥居・・・拝殿が奥にみえますね・・剣爾山は、三角形の美しい形をしています。こういう山を昔の人は「神奈備山(神様の山)」と言いました。 山上近くにある大岩は、神様が天から下りてこられる拠り所と考えて、こういう岩を「磐座」と言いました。 その山の前に建てられたのが、石部神社です。 このあたりのご先祖、石部の民は、大きな岩をつかって、古墳を造ったり、たんぼを造ったり(後には条里制水田造りもした)する土木工事が得意な人たちでした。 いその部の人達の祖先、奇日方命をおまつりした、いそ部神社のはじまりは、和銅三年、今から約1300年前頃です。 後に、八幡宮を勧請して、八幡さんとなりました。 なお、この八幡さんは、柏原の八幡さんより歴史が古く、昔から、このいそ部神社のお祭をして、その次の日に神様を、柏原の八幡様にお送することになっておりました。 |
拝殿、本殿・・・
祭神 奇日方命
配祀 誉田別命 神功皇后 比売大神
透塀で囲まれて、それも高い・・・・本殿の様子を容易にうかがうこともできない・・当たり前ですがね!
右、脇障子・・・左脇障子は、撮影できませんでした・・・
いそ部神社の彫師の刻銘を見つけることができませんでした・・・中井権次一統の資料では、彫刻は中井言次君音、刻銘「柏原住中井言次君音彫之」とある!
氷上町指定文化財・・・いそ部神社本殿、春日社殿、熊野社殿
延喜式内社 奇日方命、譽田別名、神功皇后、比賣大神を祀る古社である
創立沿革は不詳であるが、社伝によると永禄年間(1558年~1570年)に再建され、宝暦二年(1752年)に改修されています 本殿・・・三間社流造、檜皮葺 向拝の面取角柱、高欄の木割・逆蓮頭、頭貫鼻、肘木鼻の絵模様繰形、蟇股 、手挟の紋様などは古く、後補されているが、なお多分に室町時代末期の様式を残している |
よき天気・・水別れ公園の水辺まで行ってみます・・・
いそ部の石清水・・・
いそ部神社の「御祓橋」のそばに清水が湧き出ており、名付けて石清水といいます
昔から旱魃の時にも涸れることなく今もこんこんと湧いています・・・案内板より引用
この場所、その石清水を汲みに来る方が多いようです・・・偶然にも、お二人が・・・
一人は車を乗り付け、水タンク数本に・・一人の方は、ペットボトルに・・・
その方にお聞きましました・・どうですか? お味は? 美味しいですよ!
しかし、生水での飲用は不可です・・って!
・・・・越知川名水を水汲みしている私には興味津々なのです・・・(*^_^*)
ここは、二本列島の背骨「中央分水嶺」の線上にあるところです この位置はの道路の中央が「分水界」で前方(北側)の雨水は由良川を流れて日本海へ、一方は後ろ(南側)の雨水は高谷川から加古川へ注いでいます 「石生交差点」から山のすそ「水別れ公園」の奥までの1250mの間は全く平地のなかで分水しており標高94.45mは日本一低い谷中分水界です・・・案内板より引用 |
ということで、再訪問の「いそ部神社」でした・・・
この「いそ部神社」は、実は三度目なのです・・・遠い昔、嫁と、柏原市内に所用で・・その足で、散策を!
その時は、こんなに、丹波市を訪れるとは・・・まだまだ、丹波市から離れるわけにはいきませんけど・・・(*^_^*)
参拝日:5月13日
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