慈眼寺のすぐ側とは、わかっていましたが・・見当たりません??
で、慈眼寺のご住職にお聞きすると、ご親切に教えていただきました!
なんと、慈眼寺へ登ってきた、道沿いだったのです!
碑文 表面:鎮守府将軍 源満政霊廟 裏面:元文元年丙辰九月領主建
元文元年は1736年で、江戸時代中頃の建立である。領主とは安部摂津守で町内では神山、山辺、来栖の三村を領有し、本貫地は武蔵国岡部(岡部藩)である
清和源氏発展の基礎をつくったといわれる源満仲公・・・川西市の多田神社
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/04/blog-post_57.html
多田神社は、元、多田院とも亦多田大権現社とも称えた大社でありまして、御祭神は第五十六代清和天皇の御曽孫贈正一位鎮守府将軍、源満仲公を首め頼光、頼信、頼義、義家の五公を奉齋する所謂源氏の祖廟であり、源家発祥の地である・・説明板より引用
そして、現在でも・・清和源氏同族会が存在します
2015年3月24日、国宝、波豆八幡神社 備忘録に記しました・・
神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源満仲の弟・源満政が創建したと伝えられる
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/03/blog-post_67.html
この地域、川西、能勢、猪名川、宝塚などは、清和源氏を知っておかなければならないのです!
まさかと思いますが、兵庫県川西市に清和台という、古い大きな住宅地があります・・・
この清和台という命名もこのゆかりか?・・・そりゃ、こじつけ、考えすぎかもね!・・私感です!
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