中井権次一統の足跡、美方郡香美町小代区平野400、牛玉山光明寺へやってきました
香美町は昨年秋に中井権次一統の足跡を巡りましたが、雪解けを待って、やっと訪ねることができました
養父市を経て、国道9号線、国道482号線を走ると、「おじろスキー場」の看板が・・・
しかし、今日は雨・・・山を越えれば、天気は変わりますね・・雪でないことが幸いでした
「光明寺」への案内板です(「α君」の窓越しにパチリです)
正面の山は、雪ですね・・・
小代の地とともに1000年余り・・・高野山真言宗 牛玉山光明寺です
事前に拝観のお願いで電話をさせていただきました
・・・本堂の前には残雪が・・・
桁行18.0m、梁間12.0m、入母屋造、向拝一間、銅板葺 建立年代:天保十三年(1842)(寺蔵記録)
天平年間(740年代前後)、行基菩薩の開基にして成り、本尊薬師如来は行基作と伝えられている。
光明院帝(北朝)の貞和年間、野間谷福善寺を当地に移し、牛玉山光明寺と号し、夢窓国師の開山と伝えられている。
天正五年(1577)兵火の災い。諸堂消失し、乱世にて、復興難しく、衰退し、無住となる。
正保二年(1645)平野村住民が衆議し、往古の古跡を整備復興を計る。
現在の光明寺の復興の基盤を築いた
本尊薬師如来は17年に一度のご開帳です
早速、本堂内へ・・・
おお!・・六代目中井権次橘正貞(1791~1855)の欄間彫刻です
下部は須弥壇がありますので、トリミングしております
阿吽の龍 (左側)
中央・・・太鼓をたたく2人の天女の舞姿
阿吽の龍 (右側)
丹波新聞コラムによれば・・・
欅に着色された中井一統の彫り物は初めてだ。天才正貞が晩年、頭に閃いたものを具現化したものなのだろう。
水銀アマルガムを塗り、熱を加えると水銀だけが蒸発し、あとに金が残る。この上に着色する。往時からある技法と聞いた。
ともあれ優美にして迫力満点であると・・・
ご住職から説明をいただきました
欄間の刻銘を探すも見つからないらしい・・一緒に探しましたが、発見できませんでした
恐らく、欄間の縁に墨書きがあるかも・・・
しかし、見事なものです・・・中井権次一統の足跡を巡るものとして、必見です
黒田雲峰・・・襖絵
向拝を・・・
龍ではなく、三頭の唐獅子です
左、木鼻、持送り
左、木鼻・・・横から
右、木鼻
刻銘・・・
彫物師 丹波柏原住人 中井権次橘正貞
本堂前より境内
本堂、左手の庭園
久しぶりの中井権次一統の足跡、それも天才正貞の欄間、向拝の彫刻・・・見事です
事前に牛玉山光明寺さんに電話をし、拝見させていただきたい旨をお伝えしました
気持ちよく、ご案内いただき、本堂内の撮影も許可いただきました
ご住職曰く・・・あとはご自由にご覧下さいと・・
そうなんです・・・実は、護摩堂、山門の彫刻が・・・あの、秋塚治助廣貞作なのです
その彫刻は、次回の備忘録で・・・続きます
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