明延鉱山の中心地跡へ向かいます…下図左下に位置します
12→9→8→13→6→2……と、巡ります
案内看板より……引用
あけのべドーム 森の館
「あけのべ自然学校」 平成元年、明延鉱山の閉山とともに閉校となった明延小学校を再活用し、子供達に自然体験の場を提供する目的で設立された施設・・・ 案内板より引用 |
すごい建物です……中は体育館のようです
梁にスギ20cm角の柱材を3段重ねで使用して 集積材を一本も使用していない斬新な工法の施設!地域の木材を利用することは地域の資源を有効に活用し、地域の活性化させるとともに地域の森林や環境を守ることにつながります……建築面積 1,440㎡
森の館を少し降りて右の細い道を上がると、第一浴場があります
明延地区には鉱山労働者や家族の憩いの場として6ヶ所の共同風呂があり入浴料は無料でした。 現存している第一浴場は一番最初に建築された共同浴場です。 構造は木造平屋建、亜鉛波鉄板葺で床面積は152㎡あります |
近代化産業遺産「第一浴場」
明和寮跡
鉱山に従事する従業員の独身寮として昭和24年に建築されました 第一浴場の向かいの高台に! 鉱山での作業の後の風呂はさぞかし気持ちがよかったでしょうね! |
明延鉱山の中心地跡へ向かいます!
落石があちらこちらに散在して、頻繁に落石が発生しているような小道?を急ぎ走ります
立入禁止なので、川を挟んで見上げます
インクライン(ケーブルカー)の軌道跡がはっきり見えますね
上の写真の部分を、GoogleMapでみると(赤丸部分)……凄いすね!
川の反対の山への入り口には、電車が入っていったのでしょう
踏切警告機が立っています
……なにか、不思議な光景です……
明延地区の街に入ります
「元協和会館」
協和会館は鉱山従業員の娯楽・集会施設として昭和6年に建築され昭和32年に今の建物に建て替えられました。鉄筋コンクリート2階建て、延1122㎡の当館は収容人員1,150人という大きな施設でした。当時の会館には有名な芸能人や一流の歌手が来演し近郊からも多くの人々が押し寄せていました。毎日のように最新の映画も上映されていました。 |
明延鉱山の一円電車
この電車は開延鉱山で走っていた鉱山電車です。 乗車料金が一円ということから一円電車の愛称で親しまれていました。 正式名称は明伸電車です。 一円電車は昭和20年に鉱山従業員の通勤用として運行を開始、昭和62年、鉱山閉山によって廃止されました。 客車には「くろがね」「白金」「赤金」などの名前がつけられ、開延鉱山から神子畑選鉱場までの6㎞の区間をガタンゴトンと走っていました……案内板より引用 |
一円電車が復活しました……11,111人乗車とありますね
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入れないので、外から内部を窓越しにパチリ……
そして、偶然にも、本年2016年1月1日、TV番組で、LIVE放送がありました
くろがね号も、そして、GoogleMapも……おおぉ、ここか! 600mの線路は?
夢は600mの線路に一円電車を走らせること……養父市開延 一円電車でまちおこし!
……実際に手漕ぎ車で走っていました……
しかし、訪問時は、この場所が分からず・・・聞こうにも人、居ないのです・・((+_+))
なぜか、後記しますが、中井権次の足跡の神社、和田神社への道でもありました!
明延振興館……「鉱山の里」
上図、1の北星社宅
昭和11年に建築された鉱山従業員の社宅の一部で、通称「長屋」と呼ばれています 北星西部地区には昭和28年に近代的なプレコンの2階建住宅が建てられました 鉱山の最盛期(昭和30年)には社宅が780戸あり、4000人以上の住民が生活していました・・ 現在残っている社宅は、市営住宅として利用されています……案内板より引用 |
私にとって、どこか郷愁を感じられる、懐かしい絵柄なんです?
この明延鉱山の明延地区には、両松寺があります
明延鉱山産出の銅で造られた梵鐘が残る……文禄5年(1596年)の銘文が刻まれている
…余韻が他の鐘とは違うそうだと…ある!
山門の龍
刻銘によれば……
平成九年「龍」彫刻開始 光雄 十四年 完了……と、ある! そして、最後に両松寺二十八代住職 光雄 と、ありますね! ご住職、自らの彫刻 お見事です! |
そして、中井権次の足跡、和田神社が、両松寺の左手より参道が延びています
参道の途中、獣防止網……紐で結ばれている
いくらなんでも、この紐、ほどいてまで登る勇気はないです……
当日は山へ入る道を発見…… その道を進んだが、位置情報さえ、分からず途中で断念! 後日、色々ググっていると…… 和田神社へ行くには、赤丸の旭山野外活動センターからの道‥ 前述の一円電車の線路の道を進むと、和田神社にたどり着けることが左図から判明…… 再度、チャレンジします‥ そして、まちおこしの、線路を見に行きたいと思います |
明延振興館の前で、全但バスの運転手さんと、しばし、この地区のことをお聞きしました
ご親切な運転手さんで、色々教えていただきました
そう、全但バスは、ここ、明延振興館が始発で、八鹿駅行です
今回は、2015年年末の12月29日に「鉱石の道」を巡ってきました!
今は近代化産業遺産、日本を支えてきたことには間違いがない……
多くの人々により、鉱石が発掘され、栄えたのですが、それも円高の時代とともに終えた明延鉱山、復活はあるのでしょうか?
地下深く、鉱脈は水の中に眠っています…と、TV放映で、語っていたことを思い出しています・・・・
一円電車でまちおこし、がんばれ、養父市明延……応援します!
……ご紹介……
「鉱石の道」 鉱石の道推進協議会発行の「鉱石の道ガイドブック」が完成しました。
但馬地域の鉱山史や明延、神子畑、生野の三鉱山のあらましを紹介しています!
……と、あります!
そして、新発見、鉱石の道のもう一つの鉱山「中瀬鉱山」……行ってみたい、いや行きます!
訪問日:2015年12月29日
追記:明延鉱山の漢字が「開」になっていました……修正しました
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