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2024年6月25日

豪雨がやんだ日曜日の早朝、パチリした写真です

雨の音で眠れませんでした
そんな夜も明け、雨は降っていません
では、朝のウォーキングでいつものコース以外を歩いてみました

早速ですが、定番「紫陽花」


咲いていました・・・「ネムノキ」

好きなんですね、この花

キョウチクトウ

有間川・・・普段より水量は多いね
シャッタースピード 1/20でパチリです

橋の上から・・・

カボチャの花

ムクゲ

クチナシ

アオサギが2羽
今の時期、水田には餌になる水生動物?オタマジャクシも多いからね

久しぶりの朝のウォーキングでの写真でした

お伴は、Sony α350にMinolta100-200mmを取り付けてます
難点は最短撮影距離が長いのです
それを忘れて近づきすぎて、ピント合わないことも度々!
未熟ですが、まずまずの写りに大満足です








2024年6月24日

備中国一宮 吉備津神社 国宝、本殿と、廻廊です

国宝の本殿・拝殿の備中国一宮  吉備津神社はちゃんと記憶しています
県重要文化財の廻廊が大のお気に入りです

吉備津彦神社と吉備津神社への参拝は二度目です
国宝、本殿・拝殿そして廻廊を再び拝見できると思うと、楽しみです


境内図

吉備津神社案内

記紀によれば、崇神朝四道将軍の随一とし て、この地方の賊徒を平定して平和と秩序 を築き、今日の吉備文化の基礎を創られた 大吉備津彦大神(五十狭芹彦命を祀る山陽 道屈指の大社。仁徳期創建で「延喜式」では 名神大社。また最高位を与えられ一品吉備津 宮とも称される。古来、吉備国(備前、備中。 備後・美作開拓の大祖神として尊崇され、殖 産興業・交通安全の守護神、延命長寿の霊験 あらたかな神として朝野の信仰があつい。
吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉 備津造」「比翼入母屋造の勇壮な社殿、鳴釜 の神事、桃太郎伝説にモデルなどで著名。

国宝:本殿・拝殿
重文:御電殿・南北随神門・木彫狛犬
県重文:迴廊


急な石段を登ります

すごい寄進提灯の数です

重要文化財 北随神門

石段の途中で、ローアングルでしかパチリできません

見上げるほどの急な石段・・・授与所

国宝 拝殿


国宝 本殿・拝殿です



本殿

我が国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿

現在の本殿・拝殿は今から約600年前の室町時代、将軍足利義満の時代に約25年の歳月をかけて、応永32年(1425)に再建されたとのことです(HPより引用)


一段高いところにある一童社前より・・・

素晴らしい



廻廊へきました
そうです、お気に入りです

南随神門

370mの長廻廊・・・
曲線美といい、筋交いも無い、長廻廊を往復しましょう


振り返って・・・


御竈殿

御竈殿鳴動神事の由来

社伝によれば御祭神に退治せられた鬼「温羅」を祀る処と 伝えられる、縁起によると、或夜吉備津彦命の御夢に 温羅の霊が現れて「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽嬢をして
ミコトの釜殿の神饌を炊かしめよ。若し世の中に事あらば 釜の前に参り給はば幸あれば裕かに鳴り禍あれば荒らか に鳴らふ、ミコトは世を捨てて後は霊神と現はれ給へ、吾が 一の使者となりて四民に賞罰を加へむ」と告げた、これ神 秘な釜鳴神事のおこりである、今日も「鳴釜の神事」が行 われており鳴動の音の大小長短により吉凶禍福をトす るのである。
江戸時代の林道春の「本朝神社考」や上田秋成の「雨月 物語“吉備津の釜”」などに紹介され神秘な神事として 天下に有名である。

うずなへる神のひびきに鳴る釜の
      音のさやけき宮どころかな重胤

御釜 殿祈祷一件につき 参阡円也

神火授与
吾国では古来より火は神秘なものとして神聖視されて 来ました。当御釜殿の火は古くから消える事なく伝わる 神火でこの火で各家庭の火を清めると禍を祓い福を招 くと伝えられ今日でも特に火を取り扱われる人々が火縄にてお持帰りになって居ります。


殿内撮影禁止ですので、案内板を拝見します

午後3時、閉まってしまいましたので、内部に入れませんでした

手水鉢

寛政の文字がみえる(1789~1801年)

廻廊を上ります

辰年

「P」横から参道・・・吉備津の松並木
県下、最大の松並木です
いや~ よかったです
二度目の吉備津神社でしたが、国宝の本堂の姿を一段高い場所から眺め、県重文の廻廊を往復して、大変満足です
また、機会があれば必ず立ち寄ることでしょう!




因みに・・・
ここ吉備津神社、長廻廊は、ロケ地として最近観た映画で、2021年公開の「燃えよ剣」
主役の岡田准一さん、鈴木亮平さんと歩くシーンがあります
それを観て、行きたいなぁと思ってたわけです

「燃えよ剣」より廻廊部分のです
いい感じですね
上・・・さすが、映画! 良き構図ですね
この角度から写真撮りたかったのですが、一般的には難しいですね


岡山県は映画ロケ地が多いね
MAPもあるぐらいですから、それだけを目的が走るのも面白いです
「燃えよ剣」「八つ墓村」のロケ地、広兼邸も行きましたね
このブログ投稿開始以前のお話ですが!







2024年6月23日

備前国一宮 吉備津彦神社・・・岡山市北区一宮です

岡山の神社で備前国一宮、吉備津彦神社は二度目の参拝ですが、記憶が・・・
なぜかなぁ?
思い出せない、大体は、社頭に立てば、おおぉ!と、いって思い出すのですが!
奥にみえる、大きな石灯籠も記憶にないのです
境内にはいれば、記憶がよみがえる?かも・・・
いや~ 困ったもんです


随神門

境内案内図・由緒
御祭神
主神   大吉備津彦命(第七代孝霊天皇の第三皇子・別名 彦五十狭斧彦命)
相神   吉備津彦命(大吉備津彦命の御子・別名 稚武吉備津彦命) 
           孝霊天皇・孝元天皇・開化天皇・崇神天皇・彦刺肩別命・天足彦國押人命・
           大倭迹迹日百襲比賣命・大倭迹迹日椎屋比賣命・金山彦大神・大山咋大神

由緒
古代より当社背後の吉備の中山には巨大な磐座(神が鎮座する岩)・磐境(神域を示す巨石群)が 有り、山全体が神の山として崇敬されてきた。
主祭神は大吉備津彦命。命は四道将軍の一人(西道将軍)として山陽道に遣わされ、「温羅」という 鬼神を退治し、吉備国を平定・統治し、現人神として崇められた。 御年二百八十一歳で薨去され、 吉備の中山の南嶺に御陵(茶臼山古墳)を定め葬り奉っている。
仁明天皇承和十年(八四三)十月二十四日一品(いっぽん)爵位を贈送され、一品宮とも一品吉備津 彦大明神とも呼ばれ、吉備国が備前・備中・備後・美作に別れると備前国一宮として崇敬された。 

当社 (備前国一宮  岡山市北区一宮  吉備津彦神社)
         (備中国一宮  岡山市北区吉備津  吉備津神社)
         (備後国一宮  広島県福山市新市町 吉備津神社)

中世には武家や庶民の信仰が厚かったが、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって 社殿がことごとく焼かれた。 江戸時代に入ると岡山藩主池田氏は崇敬厚く、延宝五年(一六七七)に 三百石の社領を寄進、元禄十年(一六九七)には綱政公によって社殿が再建された。昭和三年(一九二八) 十一月十日国幣小社に列せられた。昭和五年(一九三〇)、不慮の火災で御本殿、随神門を除いて焼失、 現在の社殿は昭和十一年(一九三六)の再建である。
神宝類は多く、池田綱政奉納の井上真改作の太刀一振りは“国指定重要文化財〟である。 "岡山県 指定重要文化財〟は御本殿・紙本淡彩神事絵巻(室町時代)など、〝岡山市指定重要文化財〟は随神門・中門・子安神社御本殿拝殿・安政の大石燈籠がある。



       安政の大石燈籠
安政の大石燈籠(岡山市指定重要文化財)
高さ十一メートル、六段づくり、笠石の大きさは八畳敷。文政十三年から安政四年(一八三〇~ 一八五七)にかけて地元有志が発起人となり、天下泰平・国家安全・万民豊楽・五穀豊穣などを 念願し、備前一円と浅口郡の合計一六七〇余人から五六七六両の寄付が寄せられ、安政六年(一八 五九)に完成した。各段には寄進者の名前が刻まれている。 幅広い信仰の証である。



                  左側・大灯籠

拝殿







拝殿前より境内を・・・

狛犬



左側から社殿拝見いたします

祭文殿

本殿

右側から本殿を・・・

左から、祭文殿、渡殿、本殿

辰年ですね

手水舎

元禄十年(1697)の文字が判読できます

さざれ石

昭和5年(1930年)12月、失火により本殿と随神門以外の社殿・回廊を焼失したとのこと
現在見られる社殿は昭和11年(1936年)に完成したものである

安政の大石燈籠・・・
この大石灯籠は、六段造り、高さは十一米、 笠石は八畳敷の広さがあり、まさに日本一 といわれているだけあって、でかいです
大阪の住吉神社の大石燈籠もでかいですけど・・・

ここまで回ってきても前回の記憶がでてこない!
困ったもんです