2016年いよいよ、紅葉の時・・毎年の恒例、紅葉巡り・・いきましょうか・・と!
そして、今回は、樹齢600年の大イチョウが・・・秋には黄金の絨毯に・・そう、養父市、日光院です
そして、、養父市、日光院は、中井権次一統の足跡でもあります・・
中井権次一統の足跡を訪ねて、2015年7月7日訪れました
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/07/blog-post_7.html
その折りに知ったのです・・・左の大イチョウは樹齢600年とか・・・秋には黄金の絨毯が・・・と!
その2015年は伺えませんでした・・・!
・・・・山、駆け上り・・到着です・・・・
山門を一歩、入れば・・・・おおおぉ! そこは、 | 黄金の絨毯で~す!・・(*^_^*) |
この2~3日前の風で、葉が散り、・・この状態に・・・最高です
誰も歩いていないのかと思えるほど、本堂への石段も見渡せる範囲は、黄金の絨毯なんです!
戦国時代には、特に武門将士の信仰を集め、山名宗全も、ここ日光院で戦勝祈願をしました。それらの古文書は「日光院文書」と呼ばれ、中世の歴史を伝える貴重な資料として、県指定重要文化財となっています。
天正年間、羽柴秀吉の山陰攻めの兵火にあい、寺門一時衰微しましたが、寛永九年には、ここから西方五十丁の妙見中腹に移転復興し、三代家光公より、三十石のご朱印地を賜りました 。 叉、寛文五年には出雲大社の御造営に際し、本殿の御用材に日光院の妙見杉をお譲りしたお礼に、出雲大社より日光院に三重塔を譲り受けました。 そして、妙見全山を伽藍とする壮大な妙見信仰の一大霊場として繁栄を極めました。
明治になり廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、妙見信仰の弾圧が始まりました。 明治九年七月八日、ついに「寺号を廃して、不動産のみ名草神社にせよ」という布達にて再びこの地の末寺成就院と合流し、今日に至っております。 つまり寛文九年から明治九年まで(245年間)の日光院の建物に、新たに名草神社が入り、お寺の建物がそのまま神社とされたのです。 そこが日光院であったが故に、仏教の象徴である三重塔が名草神社の境内に存在しているのです。
幾多の困難な時代を乗り越え、妙見大菩薩のご加護と、檀信徒の信心により妙見信仰の法灯を護持し、今なお宗教、宗派をこえて開運厄除のお寺として、多くの信仰を集めているのです。
高野山真言宗 妙見山 日光院 第五十二世 山主・・・全文、案内板より引用
本堂で、参拝を済ませ・・・振り返れば、絶景です・・・これほどの黄金の絨毯は初めてです!
いや、お見事です・・・偶然にも訪れた日がよかったのです・・・幸運です
この時、住職さんがおられ、お話ができました・・・
この日光院からさらに上にある、あの名草神社のことから、お寺のご説明から・・・
初めてですか? との問いに・・実は、中井権次一統の足跡で参拝しました!と・・・
・・・おお、それはそれは・・と!
この落ち葉の処理は?と・・・
ケヤキの葉が茶色、同じように銀杏の葉も茶色になっていきます・・・
そうなれば、檀家さんの協力で、お掃除らしいです・・・(*^_^*)
・・・どれだけのビニール袋がいるのかなぁ? なんて、考える私がいました!
山門を出て、右みれば、白壁に苔むした道、その脇の紅葉・・・いいすね!
大イチョウは樹齢600年・・・秋には黄金の絨毯に・・・その言葉どうりの見事な黄金の絨毯でした!
落葉から、2~3日という、好条件に恵まれ、すばらしい景色を拝見できました・・・
よかった! よかった!
参拝日:11月16日
追記:Panasonic DMC-FZ1000 修理中のため、SONY RX100+Ricoh DW-6でワイドレンズ装着で撮影しました・・・
・・・・う~ん? 難しい??
0 件のコメント:
コメントを投稿