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2016年11月29日

広兼邸・・・吹屋ふるさと村・・岡山県高梁市成羽町!

備中松山城を訪れる折、高梁市の観光案内をググっていたら・・・吹屋ふるさと村を発見!
その案内の中に、あの映画「八つ墓村」のロケが行われた場所・・・広兼邸が・・・
その写真を見て・・おおおぉ・・・これは、行ってみなければ・・とね!


・・・・「銅と弁柄の里・・・吹屋ふるさと村」・・・・

映画「八つ墓村」・・・
・・・多治見家と八つ墓村にまつわる由来は、戦国時代にまで遡った。1566年、毛利に敗れた尼子義孝という武将が、同胞と共に8人で今の八つ墓村の地に落ち延び、村外れに住みついた。しかし落ち武者たちは、毛利からの褒賞に目の眩んだ村人たちの欺し討ちに合って惨殺される。落ち武者たちは「この恨みは末代まで祟ってやる」と呪詛を吐きながら死んでいった。このときの首謀者である村総代の庄左衛門は褒賞として莫大な山林の権利を与えられ、多治見家の財の基礎を築いた・・・Wikipediaより引用


山間を走り、「P」について、その姿を見た瞬間・・・おおぉ・・凄い!の一言!!
広兼邸です!・・・「P」の一番奥からのパチリしないと全景が入りません・・
その映画では、多治見家の屋敷として、そのロケに使用されたようです!



広兼氏は、大野呂の庄屋で、同家二代元治が享和、文化の頃、小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き、二階建ての母屋、土蔵三棟、楼門、長屋、石垣は文化七年(1870年)の建築で、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えで今もそのままに当時の富豪を偲ばせている・・・案内パンフより引用
旧・広兼邸・・

この邸宅は昭和60年2月に前所有者広兼宮氏から岡山県が寄付を受け、その後この文化的遺産の保護を図るとともに地域文化の振興に役立てるため、岡山県郷土文化財団が協力して修復したものです
この場所も映画によく登場しましたね・・・
右端は、案内パンフでは、楼門とある・・

その上部は、不寝番部屋、その右は門番部屋・・
手前が店の間 玄関と続く・・・
店の間正面から・・・
玄関・・立派な神棚です
客間
客間、庭先、右から見る・・
奥の主人居室から一番奥の、おくどうさんまで見えますね・・
離れ座敷・・・パンフでは、大正時代の建築で、当主の結婚式に一度使用しただけとのこと・・・
離れから主屋を・・・
土蔵・・三つあります
土蔵内部展示品・・・立派な羽織、裃・・・
手前が花火筒・・・
おくどうさんの上・・・見事な梁ですね!
台所から居間、寝室、主人居室へと連なる・・・
・・・いいすね! 囲炉裏・・・

風呂・・・

火乃要慎・・・そう、火の用心です
じっくりと、豪邸を拝見しました・・・座敷などに上がれなかったのが、残念です!
坂道より「P」を・・・
柿の木・・・ええ感じですが、渋柿やね! 
・・映画に出ていたかなぁ? そうや、映画は夏だった・・(^^;)

もう一度、パチリ・・・
・・・いや、何度眺めても、この左右の広さには圧倒されます・・・



帰宅してから、早速、映画「八つ墓村」昭和52年制作を観ました・・・最後は、八つ墓のたたりなのか、この建物が焼けてしまうのです・・・

その当時、映画、ロケで使われることは、広兼邸はよかったどうかはわかりませんが、ラストシーンでの我が家が焼けるのをみて、どう思われたでしょうかね!
昭和52年映画「八つ墓村」は、主役は、萩原健一さん、金田一京助役は、なんと、渥美清さんでしたね!

渥美清さん・・・高梁市にご縁があるようで、・・・ご存じ、「寅さん」でも高梁市でロケされていましたね!

いや~! 懐かしい映画の場所、広兼邸を拝見できて、よかったです・・・(*^_^*)


追記:平成8年にもロケがおこなわれました・・・パンフより








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