岡山県高梁市の市街地の北端にそびえる標高480mの臥牛山の四つの峰、大松山、天神の丸、小松山、前山の頂部を中心として築かれた山城である!
現存する天守12天守のうち、最も高い位置にあり、国重要文化財である・・・
いみじくも、2013年12月4日に私、一人にて登城をいたしたのであります!
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
その折りの私の脚力はそれは貧弱で、山登り、いや、登城の坂、石段がそれはそれは、厳しく、きつかったという印象があります・・
勿論、登城には、「P」に・・そう、鞴峠まで、上がれました・・・しかし、3年後の今、城見橋駐車場に「α君」を止め、シャトルバスで、鞴峠までいくことになっております・・・勿論、徒歩は自由ですが!
今回は、嫁と二人・・そう、脚の元気なうちにと・・私一人、2013年12月4日の登城の際の坂道の険しさを嫁に伝えいざ、備中松山城へと向かいました・・・(*^_^*)
・・・石垣の土塀から大手門・御番所・足軽番所のある二の丸へと続く・・・
国重要文化財・・・三の平櫓東土塀!
・・・土塀の一部が現存のもので復元の部分と壁の段差で区切っている・・・
しかし、数ある狭間はどこへ向かって狙うのか? 正面の林を向いているよ!
・・・この土塀の下は絶壁に近いのですが・・・不思議です!
三の丸から厩曲輪へ上ってきました・・・荷馬を繋いでいた厩曲輪・・・馬も大変や、この坂をね
左手の石垣・・・備中松山城で最も古い石垣とある・・自然石の野面積み!
・・・近くの方に聞きました・・高梨市観光協会?市観光課?が、PR撮影ですって!
・・・プロやね・・・先日、姫路城の天守にドローンを飛ばしてぶつけた不届者がおるからなぁ!
天守・・・国指定重要文化財!
・・・最も高い所に天守の現存する山城(標高430m)・・二層二階の典型的な山城・・・
天守創建年は天和三年(1683年) 水谷勝宗
一見、三層に見えるが入り口部分は手前にあった櫓との接合廊下にあたるとのこと・・・
本丸中央部の花崗岩の岩盤を削りその上に石垣と天守を築いている
天守の高さはおよそ11m 岩盤を含むとおよそ19mである・・・
1階の正面中央部の唐破風の装飾がそのバランスの良さを引き出している・・
・・・ここは、天守への繋ぎ廊下である・・・
・・・ここは、神の間といわれ、城主は、1階に座する・・・
板石造りで籠城の時に城主の食事、暖房用としてつかわれていたと云われています・・・
・・・篭城戦を想定して、装束の間が設けています
10畳ほどの広さで格子窓も、狭間もある 床板の下には石が敷き詰められ侵入できないようになっている 篭城戦を想定しているとのことです
・・正方形の角材の角を外側に向けて並べ、外から内が見えにくく、内からは広角に敵兵の動きを見ることができる |
・・・天和三年(1681年)から3年に造営されたと・・・いや、壁に落書きが・・不届者がおるね!
国重要文化財・・二重櫓
・・・天守同様、天然の花崗岩の巨石を櫓台とした二層二階建・・しかし、凄いね・・この櫓の右面は絶壁です!
こちらは北の出入り口・・後曲輪に通じています
さぁ、下山します・・
・・・岩肌に張り付いている機械は、確か、岩盤のズレを見張っている?計測していると、説明板が? 今は無いです!
下っていきますが、帰りは違うルートで・・
備中松山城へ来たのが2013年・・・3年前、それから、中井権次一統の足跡を歩き回り、早朝のウオーキングも効果があったのか・・・以前と違い、あっという間に、登城できました・・・
嫁、宣わく・・・これぐらいでキツイと言ってたの?・・ってね!・・m(_ _)m
まぁ、ここはおとなしく、お聞きして・・・しかし、備中松山城の姿は気に入ってくれたみたいです・・
天候に恵まれ、遠くまで、走ってきた甲斐があったというものです
さぁ、北上します・・・
是非、雲海に浮かぶ城もどうぞ!
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