そして、三田市、歴史の散歩道、案内板にも記されている、金心寺から、伺いましょう!
今を去る千三百年前、僧定慧上人により父、藤原鎌足と実兄有間皇子の菩提を弔い、平和祈願と国の安泰を願い三田の地に壮大な七堂伽藍をそなえた寺院として建立されたと伝えられていると・・
金心寺の寺域は県立有馬高校、三田小学校の周辺から、屋敷町一帯に及んだが、織田信長の摂津、播磨攻めの兵火に巻き込まれ堂塔伽藍は灰燼に帰し、本尊は三田御池に難を逃れたという
明治二年、三田市天神の地へ移ったと、あります・・・
本尊彌勒佛、修復の時、胎内に「当地は松山庄というが、これを金心寺三福田(恩田、敬田、悲田)により三田と改める」と記されていたとされ、三田の地名の起こりとされた
近年、屋敷町で奈良本薬師寺東塔の系譜を持つ瓦が発掘され、寺伝との関わりをうかがわせると・・
山門は三田藩御下屋敷の門を移築したものであると・・・
文化財(国指定)として・・・ 彌勒仏座像、不動明王立像、十二面観音画像 市指定には、礎石がある ・・三田市観光協会 案内板より引用 |
ここで、うん??・・・明治2年に此の地の移ったと・・・
三田城跡の折、備忘録に記しました・・・ その古図には、金心寺が記されているが・・ 古図は明治2年以降の作か、同窓会寄贈だから、現代に模写したものに金心寺の絵文字を書き込んだのだろう・・よ! 左図:三田小学校前にある三田城跡の石碑の横にある、三田古地図のほうが、古地図(模写)そのものみたいです・・・ |
右手に御手洗所があり、「七世紀 金心寺創建された当時の礎石とのこと・・・柱の穴は下にあります」・・と!
右手に、新築されている建物があり・・工事中!・・これ以上は入れませんね!
引き返しましょう・・・ふと、「P」へ向かう途中・・いつものように、足元のマンホールを見る癖が・・
ググって見ると・・
市の花サツキと・・ 市のマスコットキャラクター、きじの「キッピー」で~す。 色つきもあるようです!・・探してみようかなぁ・・・ |
さぁ、次なる目的地・・・心月院へ・・・・
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