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2014年7月2日

尼崎城跡へ・・・あと色々、兵庫県尼崎市!

荒木村重がの有岡城の戦いの折、逃げこんだ城・・・尼崎城、荒木村重の嫡男(長男)荒木村次の城である!・・・それは、諸説あるようで、大物城(尼崎城)というらしい・・・

ググっていくと、尼崎城跡・・明城小学校校庭南西と検索で、でてくる
では、まずそこへ参ろうか・・・国道43号線の側道に、ちょっと、わかりづらいが・・・
明城小学校の正門前にプレオ君を停め、小学校金網塀越しに校庭をみると・・・
おおぉ・・・お城がありました!
・・・小学校校内には入れないので、金網塀越しに、パチリ!

後で気がついたのですが、カメラ構えて、金網塀越しで校内、覗いていると、絶対、不審者です!
・・・防犯カメラにその姿、撮っているよね・・・わおぉ!!

ググって見ると、この場所は、荒木村重の時代の城跡ではないようです!
さらに、ググって見ると・・・
大物城は、細川高国が永正16年(1519年)に当初は柵程度の城を築城
その後、増改築をし本格的な戦国期の城が大永6年(1526年)には築城していたと思われる
また、この大物城が別名「尼崎城」とも呼ばれていたので、現在の尼崎城とも混同されやすい・・・と、ある(Wikipedea引用)

左図:尼崎市案内より引用
赤丸:地名、大物・・この辺か?大物城!
又、戦国期大物城はむしろ近世尼崎城の北東、大物の西側付近にあったものとの考えが示されている
『尼崎城下絵図』によると、池のような場所の南に「古城」という場所が記載されており、これが大物城のことではないかと推察されていると・・・
現在の阪神電車車庫東端からその東側辺りで、近世尼崎城でいうと城下町にあたる。
これらよりただちに「同一の城ではなかった」とは言えないが、現在では「別の城であった」という説が有力である・・・(Wikipedea引用)

「大物」の名はよく知っているだけに、再度調べてこようかと、走っていると・・・・
お!・・赤茶けた、煉瓦造りの建物・・・うん!これは、なにかなぁ?・・と、興味津々!
現在の阪神電車車庫東端からその東側辺りで、近世尼崎城でいうと城下町にあたる・・と


ほんと、偶然の出会い・・・!
尼崎市、まちなみ建造物部門、まちかどチャーミング賞・・・阪神電車尼崎車庫レンガ倉庫!


尼崎市の資料から・・・1905年(明治38年)に運転を開始した阪神電鉄の発電所として建設!
低い棟はボイラー室、高い棟にタービン室、変電室とのこと・・
道路沿いのレンガの積み重なった造形美!
いや、見事ですね・・・阪神さんもよく保存してはります・・感謝!

で、その左手に、なにやら、城の城壁が現れました
ここは、尼崎城跡公園と・・・

かつての尼崎城跡を生かした公園で、尼崎城があった場所に、石垣の城壁や日本庭園風の植栽、石畳の遊歩道が整備されているとありますが・・・

・・工事中か、柵がされ、中には入れないのかも?
尼崎市立中央図書館の北側にあたります(写真右上:半円形部分?)

と、いうことから、この辺一帯が、近世尼崎城跡とのことです!
近世尼崎城は、元和3年(1617)に5万石の大名、戸田氏鉄によって、現在の北城内・南城内の約300メートル四方、三重の堀をもった城だったとのことです!(Wikipedea引用)

尼崎城と、荒木村重との関連、大物城に触れた記事が見当たらない?・・よく分かりません
伊丹市の有岡城跡からたどってきたので、荒木村重と、近世尼崎城とは、区別して、見なければなりません! 
そうすると、次なる荒木村重の逃亡先、神戸市の花隈城へと導かれますかね!
尼崎城跡を後にして、この付近はちょこちょこ、動き回った土地柄で、裏道?を西へ走って行くと・・・
何やら、見事な門の寺院が・・・法華宗四大本山の一つで、本興寺!
応永27年(1420)日隆上人の開基した寺院。開山堂・三光堂・方丈は室町・桃山時代のすぐれた建造物として国の重要文化財に指定されていると・・・

うん?・・と、プレオ君の車内から眺めていると、後に車がきて、つい、駐車できず、左折してしまいました!
止む得なく進むと、又々、りっぱな、レンガ造りの建物が・・・尼崎信用金庫記念館

兵庫県 景観形成重要建造物

現在の尼崎信用金庫の前身である尼崎信用組合創業時の本部事務所として使われていたと・・現在は記念館となっています
この建物は初代理事長の邸宅の一部として建てられたもので銀行創設時に本部事務所に転用されました
建築年代は定かではありませんが明治30年代とも言われています・・と


後ろの三階建ての白壁の建物は資料館、残念ながら、開館はPM4:00まで・・又、伺いましょう!・・
尼崎城に関する資料、地図などが展示されているとあります
そして、この付近は、本興寺など、寺町と案内板があります
・・・別の機会に、寺町、ゆっくり、散策に来ましょう・・・

帰路、この辺は、よく通った街、道・・久しぶりに武庫川の川沿いの土手を北上しましょうか!
今日は良き天気・・・川沿いを走るのも気持ちが良いです
暫く走ると、国道2号線の武庫大橋が・・・いつも眺めていましたが、今日は、なにやら、優美さえ感じさせる姿に見えます!
おもわず、プレオ君の車内より・・・パチリです!
橋を境に、右が尼崎市、左が、西宮市・・そして、すこし上流へ行くと宝塚市、伊丹市です!
(写真:上部、山並みが、上流です)

武庫大橋・・ググって見ました!
尼崎市と西宮市の境を流れる武庫川にかかる武庫大橋は、橋梁設計の第一人者、増田淳が設計した橋
優美なデザインで、全長約210m、橋の中央部は、支間長20mの六連開腹式アーチで構成されています。
花崗岩を用いた欄干と欄干に張り出したバルコニーや青銅製の電灯などは、1926年に完成した当時のまま維持されています
完成当時は鉄道併用橋として、路面電車が敷設されていました

そう、実を言うと、高校から大学時代まで、この近くに住んでいました!
路面電車、国道二号線を、阪神国道電車?走っていましたし、利用していました
ほんと懐かしいです・・青春時代が思い出されます!

最近、同じ風景でも見方、感じ方が変わってきているような・・・平凡な、おっちゃんがいますね!

備考:今回、プレオ君車検、尼崎城跡の写真、デジカメ持参しておらず、iPhone4でパチリ、いまひとつ写りが・×でした!(武庫大橋、再度、撮り直しにいこうかなぁ?)


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