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2014年6月11日

有岡城跡・・兵庫県伊丹市です!


NHK大河ドラマ、黒田官兵衛も2014年6月8日、有岡城から、無事救出され、そして有岡城、落城・・が、放映されました

伊丹市、有岡城跡・・歩いても数分のところのすぐ近くには、阪神免許更新センターがあり、3年に一度、免許更新来ています!・・なんで、3年に一度?・・自慢じゃないですけど、ゴールドではないのです(^^;)

以前にも備忘録記しました、「生ポンズです!」⇒http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2013/02/blog-post_1.html・・
の、老松酒造さんも、近く・・ほんの数分・・(GoogleMap引用 赤丸:有岡城跡 赤四角:老松酒造さん、阪神免許更新センター、大溝跡)

この地図でJR 伊丹駅など、位置関係がわかります・・ですから、ほんと、近くまで、よく来ていたのです!
しかし、NHK大河ドラマ、黒田官兵衛が放映されるまでは、有岡城跡・・見向きもせず・・・m(_ _)m
で、放送後の翌週・・これも偶然、近くまでの所用が・・・これは伺わなければ・・と!

近くの「P」に「α君」と停め・・歩くこと、数分・・有岡城跡です・・JR伊丹駅の真ん前・・
やはり、私と同じ考え?か・・5~6人の方が、訪れております・・
城跡ですから、礎石、城壁、井戸、土塁・・が、残っています・・
写真左下:井戸跡 写真右下:土塁
石垣!
石垣の一部を・・・四角の石垣の、墓石か?、燈籠か?のような、石を使っているのを、見つけましたが・・・!
僅かな時間で、城跡は見ることができますが、・・その城跡を一周してみます!
写真左下:左が土塁、その北西側より 写真右下:跡地よりJR伊丹駅を!
JR伊丹駅へ向かう遊歩道の南側には、黒田官兵衛が幽閉時に見たであろうとされる「藤の花」が・・・姫路城の藤から育てた子孫樹をNHK大河ドラマ放映を機にここに植樹とあります
三木城の三木市もそうでしたが、伊丹市もなかなか、やりますね!・・お見事です!
旗印のキャラクタ・・・「村重たみまる」とあります(*^_^*) ・・写真左上:左下部分にも・・
ググってみました・・伊丹市・・
市の名前は、摂関家領橘御園を鎌倉時代から管理していた伊丹氏の名に由来すると考えられていると・・

南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築され、文明4年(1472年)には改築され、それまでの伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城となったと・・・
しかし、天正2年11月5日(1574年11月18日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。(伊丹市案内から引用)
荒木村重にて案内板より、そして・・ググってみると・・
荒木村重は、父義村の代から池田城主 池田氏に仕えたとされています
池田勝正は、伊丹城主・伊丹親興、芥川城主・和田惟政ととみ「摂津三守護」となり村重は勝正の家臣として池田家中にて徐々に力を付け、元亀元年(1570年)勝正を追放し、
翌年勝正と結ぶ惟政を郡山(茨木市)の合戦で敗死させています
元亀四年(1573年)信長に対面し、その後、主君と仰ぎ、その後「摂津国主」に任じられれます
天正二年(1574年)11月15日、伊丹氏を追い落とし、伊丹城に入城し、以後、居城として有岡城と改名、天正三年、摂津守になったと・・・
・・省略・・有岡城、落城後、村重親子は花隈城(神戸市)へ移り、その後西走します
村重は尾道にて入道して「道薫」と名のり、信長の死後、尾道より堺に移り住み、天正十四年(1586年)、堺にて没したとされています(伊丹市案内板より引用)

嫁から子供、親族、家臣を見殺しにして、援軍を頼みに行くにも、城主がね・・諸説あるが、落ち延び生きていたということは、・・自分だけ逃げたのやね!
・・この時代、凄い環境の中・・裏切りと策略が・・人を信じることもできなかったようで・・それが、生き残る術か・・いやはや、恐ろしき時代ですね!

伊丹鄕町の大溝跡・・・
江戸時代の古絵図にも描かれている水路で、本町通りに面した酒蔵からの排水が主たる用途とのこと・・・
有岡城の堀を埋めた跡地に石造りの大溝を築いていたとのことが発掘にて、わかったと・・・

伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城だったことも知らず、勿論、有岡城さえ、見向きもせず・・いやはや!

では、有岡城、岸の砦跡(猪名野神社内の土塁が残る)に参りましょう・・近いのです!



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