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2014年6月13日

高槻城跡・・・大阪府高槻市!

高槻城とはいえば、キリシタン大名・高山右近の城と、NHK大河ドラマ黒田官兵衛で登場しました!
有岡城跡、訪れれば、やはり、高槻城、茨木城、尼崎城・・・と・・・

今回は、高槻城、茨木城を巡ります・・・
城跡公園の北にある、国道171号線から北大手西の信号から入れば、すんなりいくものを、なぜか、南側から入ったため・・狭い道!・・鍵型に曲がり、やや、複雑な道・・・・「カーナビ君」の指示とうり、進むと大きな「P」へ・・・30分100円・・「α君」を停め、城跡公園へ向かいます・・・・

「P」の南・・・ 「槻の木高校」の角地に残る高槻城跡の石碑が・・・(校庭内につき・・と、注意書きが・・)

明治、城破却後は櫓や石垣などが鉄道建築の資材として使われ、当時の遺構はほとんど残っていないのです!・・

その石碑の左手にある石垣の根石が発掘されたものとのこと・・・ この根石しか、高槻城跡のものとして残されていないと・・

後述する「しろあと資料館」の案内の方より説明いただきました・・・・
高槻城は、高山右近が一時期城主を務めたことで知られる城で、京都、山崎から摂津国における西国街道沿いの重要拠点だったとのことです
永禄十二年(1569年)和田雅長が入城・・・1571年戦死・・天正元年(1573年)芥川山城に居たとされる、高山飛騨守右近親子が入城・・その後、秀吉の直轄となり、さらに徳川の時代になり、慶安二年(1649年)永井直清が入城、以後十三代、240年間、永井氏が城主継承 そして、明治二年(1869年)版籍奉還 明治七年(1874年)高槻城破却まで、長き時を経てきた高槻城・・・
絵図から、三層の天守を持つ広大な城郭であったとされる・・・しかし、現在は、当時の遺構はほとんど残っていないのです!

城跡公園に入りましす・・・梅雨に合間の晴れ?・・写生の方々が多く、重要?ポイントに座って、絵を描いておられるので、写真撮影、アングルとりづらいね・・・

最初に目に映ったのは、高山右近の石像・・・結構大きなもの・・・・
高山右近・・摂津高山(現、豊能郡豊能町)で生まれる・・豊能町か、よく商用で行った地域ですが、全然知りませんでした(関係ないか?)

荒木村重謀反の折、織田信長に子、妹を人質にだしていたため、降伏、その後、秀吉に仕え、高槻城の城主としては播磨明石へ移封までの12年間でした!
その後、秀吉のバテレン追放令を発したとき、右近は改宗を拒否、領地、没収、徳川幕府により、慶長十九年(1614年)国外追放、マニラ到着後40日ほどで熱病にて亡くなったと・・・・
(高槻市案内板より一部、引用)

公園内の池、石垣は、城跡を感じさせる造りです・・・蛸公園もありますよ!
公園の内部には、歴史民俗資料館があります

江戸時代中頃に建築された、妻入本瓦葺き、上屋の扠首構造
旧笹井家住宅が、指定文化財・・安政年間に同地で干物屋を開業し、瀬戸物屋を経て米屋として今日まで続いている商家です
土間が広く、住居部分(畳)は少なく、商家の造りですが、家自体の間口が広いね!

では、高槻城のことを詳しく知るには・・・「しろあと歴史館」へ・・・
公園を出て、右側に・・・陸軍工兵第四聯隊跡の記念碑が・・・その駐屯地の営門が、平和のモニュメントとして残されています!

ふと、足元を見れば、又々、マンホール・・
これは汚水だが、なかなかですね!
その北側には、市立第一中学校が・・・正門でしょうが、やはり城跡をイメージしているのでしょうね!・・・なかなかのもん! いや、門です。。。m(_ _)m
その門から、振り返れば・・「P」より見る高槻市の市役所、関連役所建物・・・

その中学校の先を右折すると、・・・「高槻市立しろあと歴史館」があります・・・おや?、ここには「P」が、・・無料です!
「しろあと歴史館」へ参りましょうか・・・入場無料です・・・
入場して、受付の方に、「ここは写真撮影は可能ですか?」の問いに、今日は、全てここの品ですから、OKですと・・・!

では・・と、できるだけ、歴史あるものを、撮影しておきましょう・・・!
まして、誰もいません・・・監視カメラを意識しながら(*^_^*)・・・パチリ、パチリです!
常設展示室と、展示室に別れ、展示室には、高槻市の川口氏コレクションと、常設展示室は高槻城と、街道などその歴史が展示されています

まずは、高槻城に纏わるものを・・・
西国街道・・・の、説明図から・・・
国道171号線・・呼び名が、「いないち」とも呼びますが、子供の折り、西宮市に住んでいましたから、西国街道!・・って呼んでいました!

西国街道は、山崎宿から、芥川宿(高槻)、瀬川宿(箕面市)、昆陽宿(伊丹市)そして、西宮宿(西宮市)それから、山陽道へと繋がります・・・
いまも高速道路、山陽道・・・むかしのまま、いいですね!
そして、街道の道案内が、残っている場所とその道標が・・・・昔の人と同じもの見ていると思えば、・・う~ん! ロマンです!
高槻城絵図(旧伊藤家蔵)・・・鳥瞰図です 想像を交えて書かれていて事実とは異なると・・・
そして、同じく、高槻城絵図・・・これは、後ほど伺う、野間神社内の永井神社の絵馬堂にある絵図です!
左下の永井直諒(なおまさ)公旧家士、大阪府支配所とあるので、最後十三代目の明治の時代か?・・(私見)
高槻藩主永井家十三代の家系図・・・凄いです!
凄い歴史ですね!・・子孫、男の子、必須の時代やね
その、西国街道の絵図・・高槻です・・大きな絵図と、その行列が再現されています!
発掘?された、鯱!
どこに使われたものかは、不明です?

さぁ、寄贈さえて展示されている川口コレクションの・一部を・・・(市内の美術品愛好家、故、川口義弘氏より173件、288点)

刀説明図 上左上:1 上右上:2 中左下:3 中右下:4 下左下:5 下右下:川口コレクション

時あるごとに、刀剣は拝見しますが、写真撮影不可が多く・・・
あまりにのも、綺麗なため、特大図で・・クリックいただくと、さらに大きくなります・・・m(_ _)m
刀ですが、芸術品ですね!

1:刀 銘・・越後守包貞(二代)

2:脇差 銘 河内守国助(二代)

3:脇差 銘 河内守藤原国助(初代)


4:銘 南都藤原文殊包守太郎兵衛・・

5:刀 銘 相州住秋広
鐔・・

鎧、甲

伝:佐久間象山の和時計

鉄砲、右、十手
右下:砲術大会の記録帳、鉄砲玉が命中した的

楼閣山水図屏風(個人蔵) 
石田 幽汀・・・
享保6年(1721年-天明6年5月25日(1786年6月21日)は、江戸時代中期の鶴沢派の絵師
幽汀は号で、名は守直
円山応挙、田中訥言、原在中らの師として知られる

Wikipedia引用

「高槻市立しろあと歴史館」の内部資料、展示品は素晴らしく、・・・
城跡公園、資料館、歴史館を拝見して、高槻城跡・・よ~く!わかりました!

では、古絵図にもある、「野見神社」へ、参りましょう・・・・

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