延暦寺、東塔地域の、根本中堂・・・東塔地域を巡っていくと、なにか1200年の歴史・・よく知っているような錯覚が・・
凡人の私には、やはり、比叡山=織田信長の存在が大きいですね・・と!
これを機会に、比叡山焼き討ちなど、ググってみると・・・なかなか、興味深いものが・・・一杯です!
しかし、尾根、谷に堂塔が建っているのですね・・石の階段の昇り降りの多いこと・・・東塔だけで、ちと、くたびれています!
さぁ、西塔地域へ参りましょう・・・さらなる、修行、苦行の道です!
西塔地域、・・「ようこそ比叡山延暦寺へ」、「慈覚大師1150年御縁遠忌」の横断幕の門?をくぐります
その、第3代天台座主 慈覚大師 円仁(延暦13年(794年)-貞観6年1月14日(864年2月24日)は・・・ググってみました!
坂を下りていくと、親鸞聖人ご修行の地、親鸞聖人旧跡の石碑が・・・親鸞(見真大師、1173年 - 1262年)浄土真宗の開祖
この「にない堂廊下」は2つの堂の間に渡り廊下を配した全体の形が天秤棒に似ているところから「担い堂」の称があると・・・ 桁行四間、梁閒一間、唐破風造でつながれて二つの堂と廊下の姿から「にない堂」と呼ばれていると・・(案内板より引用) |
桁行五間、梁閒五間、一重、宝形造、栩葺の建物で、正面に一間の向排をつけています
常行堂・・・阿弥陀如来を本尊とする、文禄4年(1595年)の建築
左手に、「西塔政所」が・・・ここは、延暦寺学問所・・表示に「修行中につき、拝観?を謝絶いたします」と・・あります!
恵亮和尚(800-859)を本尊として祀っておられます
石段の坂の下に見えてきました・・・釈迦堂です!
延暦寺転法輪堂(釈迦堂) 桁行七間、梁閒七間、一重、入母屋造、栩葺形銅板葺の建物 文禄四年(1595年)に豊臣秀吉の命により、貞和三年(1347年)頃に建てられた園城寺弥勒堂(金堂)が移築されたもので、比叡山では最古の建築です そして、正面の柱間がすべて戸口(入口)になっていて、珍しいものと・・内陣は天台仏堂の特徴である、一段低い型どうりです!(案内板より引用) |
地図を頼りに、「浄土院」へまいります
浄土院(宗祖伝教大師最澄の御廟)であり、山内でもっとも神聖な場所とされて聖域です
待眞は、早暁より薄暮まで勤行と掃除勉学修行に励んで、12年間山を降りない籠山修行の内規に則って生活している・・とのことです!
この案内板を読んで・・・う~ん!・・いや、凡人には、到底できないこと・・・です!
中に入ると、見事な石庭で、なにか空気感が違います、身が引き締まる感があります!
さて、その先の石段・・山王院と、あります
登りましょう・・・なんと、凄い石段・・一段一段が幅広く、そして、高く・・土、洗われ、ごつごつと・・・
ヒィヒィいいながら、上がりました・・・山王院堂!
このお堂は歴史上、貴重なお堂です・・・と、(案内板より一部引用)
ここからが、問題、発生なのです・・・「浄土院」と、「山王院」は、東塔地域の入るみたいなのです!
地図に無いのです・・で、私達、道、迷いました・・・で、最終的に、ドライブウエイを歩こうとしたら、・・・
親切な方がおられ・・「ドライブウエイは歩行禁止ですよ!」・・「元の石段を降りて下さい」・・と!
道標案内図では、山王院よりグルッと回る道があるので、それを帰ろうと・・・その道がドライブウエイだったとは・・・
Wikipediaでは、「浄土院」は東塔地域、案内図では、西塔地域・・・ここは、正式図で、西塔地域として・・・
えぇえっ・・あの石段の坂を降りるの?・・・修行です、いや、苦行となっております!
なんとか、降りてきました・・写真右下は浄土院の前付近です・・さらに、来た道を戻ります・・
ちょっと、いや、ちょっとどころでは、ありません・・・ばてています・・足元、どたどたです!
さぁ、「α君」に戻り、・・・昼食に・・・そこは、蜂道レストラン・・・
展望台より・・安土城方面?を・・パチリです・・・ |
・・・・しばし、休憩・・次は横川地域です・・続きますm(_ _)m
追記: ググっているとき、わかったのですが、瑠璃堂があります
瑠璃堂・・織田信長の比叡山焼討ちに際して、焼け残った唯一の堂とのこと!
その場所は、・・釈迦堂の東ぐらいから入る道が?・・よく、わかりませんし、そして、ドライブウェイを跨がなくてはなりません・・残念!!
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