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2014年6月11日

有岡城、岸の砦跡・・猪名野神社、兵庫県伊丹市です!

有岡城、岸の砦跡・・猪名野神社内に土塁が残っています

有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し、南北1.6km・東西800mに及ぶ惣構えが築かれ、摂津一国の中心として主郭部、侍町、町屋地区の全体を堀と土塁で囲み、北には岸の砦、西には上﨟塚砦、南に鵯塚砦が配置され、惣構の城を完成させたのです

猪名野神社は、有岡城の北端に位置し、本殿裏に鎮座する末社と北側と境内西側に走る道路の間に土塁が残っています!

画像:赤丸、 猪名野神社 赤四角、有岡城跡、上﨟塚砦、鵯塚砦

画像、文:伊丹市案内板より引用

土塁もさることながら、猪名野神社について・・・神社前の御由緒略記から引用です!
古くは野ノ宮、天王ノ宮と云われ、祭神は猪名野坐大神と称し建速須佐之男命を祀る
孝徳天皇の御代猪名寺に在ったのを延喜四年(904年)に此地に勧請したものと云う
寛文元年伊丹の地は近衛家の所領となり、近衛基凞公は貞享二年(1685年)本殿玉垣を再建された
之が現在の建物である
爾来伊丹郷町の氏神として、賑わい明治二年に至り、神仏分離と共に猪名野神社と改めたと、あります・・・・
鳥居前は、「α君」停めることできません・・・猪名野神社への車はこちらへの案内に従い・・・
西側から狭い道を進むと、それは境内へ・・・誰もいないようですが、「α君」はここに、停めます!

一度、鳥居前にもどり、改めて、参道を歩きます・・・
参道の両側には、古い?燈籠が立ち並んでます・・・刻まれている年代は・・寛文、元禄の年号が・・・
そして、新しく寄進された方々の石碑が並び・・・伊丹郷町の氏神様・・酒造業の方々が多いのでは!

右手に手水舎、社務所が・・・そして、正面に拝殿です・・では、参拝いたしましょう・・・
左奥に回ると、本殿がみることができます・・・工事中か、工事柵にて囲まれています
本殿西側には、土塁をみることができます
そして、本殿裏に鎮座する末社と北側と境内西側に走る道路の間に土塁がみられます
北側の摂社、愛宕神社です・・・
こちらの石燈籠の年代は、元禄(1696年~)と読めます
愛宕神社からその右側に鎮座する相殿社の裏あたり、土塁が?・・・


そして、拝殿の右には高さ、5m?はあるでしょうか・・・立派な燈籠が・・天保十一年(1840年)寄進が刻まれています
寄進された方々、そして、石工の名もハッキリみえますね!
伊丹市 大和田屋でググってみると・・梶曲阜であり、伊丹の歴史家であり、有岡古続語の作者
大和田屋金兵衛と称し、有力酒造家、山口家の別家であり、山口家が猪名野神社にこの大石燈籠を奉納し金兵衛の名前が・・・!

と、ありました・・・・
「α君」小さいです・・大きな石燈籠、ほんと広い境内なんです!


境内の西側の公園?には、立派な土俵があります・・・絵馬殿にも、相撲関連の番付などが飾られるていますね!
ググってみると、・・「わんぱく相撲伊丹場所」が、開かれているようです・・歓声が聞こえてきそうです!
神社前の御由緒略記の前の石畳の道路に・・マンホールが・・昆陽池の白鳥、カモやね!・・
ついでにm(_ _)m・・昆陽池・・伊丹市では有名な昆陽池・・・

731年(天平3年)、行基の指導により農業用のため池として昆陽池が作られ、1965年(昭和40年)に伊丹市が公園化。
その後の工事で、さらに拡張し今の形になった。
白鳥が自然放養されているほか、冬には3000羽を越えるカモやカモメなど渡り鳥の飛来する関西屈指の野鳥の楽園として知られていますよ!
だから、マンホールが・・・なんですね!!

2回にわたり、有岡城跡の備忘録を記しました!
私にとっては、伊丹市はよく訪れる街、そして、大阪から神戸へ、神戸から大阪への通り道、いつも眺めていた城跡・・

歴史って・・こうして、刻まれた言葉や、関連語をググっていくと、奥深いです!・・・
荒木村重・・・諸説たくさんありますね・・軽はずみなことは記せませんが、実に面白いです
しかし、ネット上のデータ・・ほんと、凄い事に感心してます

2016年の大河ドラマは、あの大坂の陣で活躍する、真田丸、真田幸村です!
いや、楽しみですね・・・知人に真田幸村大ファンがいます・・その御仁に聞いて、ブームになる前に、関連各所を回らなきゃ・・!

あと、半年、NHK大河ドラマ黒田官兵衛を観ましょう・・・
獄中で、地獄?見てきた官兵衛・・これからの秀吉のもと、官兵衛の考え、行動が・・どう描かれるか楽しみです・・ね!!

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