ページ

2023年6月18日

6月の神社探訪・・・兵庫県西脇市、喜多天満宮の本殿彫刻は中川利兵衛の世界です

6月の神社探訪・・・兵庫県庫県西脇市黒田庄町喜多484の喜多天満宮です
ここ喜多天満宮の本殿彫刻は中川利兵衛の世界です
 
再訪になります
ここ参道の石灯籠は初めてです
前回は裏?から走ってきましたね

社頭



五條為範公の御染筆とある



喜多天満宮の由来

当天満宮の祭神は学問の神として名高い菅原道真公で 京都・北野天満宮より勧請しお祀りしています。 勧請年月は不祥ですが、慶長五年(1600) 姫路藩主池田輝政の行った慶長検地の帳面に当天満宮の名が見え、又宮寺の 梅松庵の創建は天文元年(1532) と記されていることから それ以前であることは疑いありません。 社殿は延宝検地帳 (1677) 及び元禄の普請帳により、当初は喜多村字北 野にありましたが、元禄五年(1692)頃現在地に遷したと考えられ、更に宝暦七年(1757)から七年の歳月を掛けて 本殿の造営と境内の整備を行い、宝暦十四年ほぼ現在の社親になったと思われます。
拝殿を兼ねた覆殿に納められ、精緻な彫刻の施された本殿は著名な浪速の彫物師 宮大工の中川利兵衛の手になるものです。
鳥居の額 の「天満宮」は享保九年(1724) 東久世博高公の取持で菅原氏庶流の正三位五條為範公(後に正二位権大納言)の御染筆と記 されています。
 又、社殿を取り囲む高塀は現在では極めて珍しい石積土塀となっています。
梅松庵は往時播磨守護職等に任じた赤松氏系の上月氏 の庇護を受けていましたが、延享二年(1745)当地にあった福自庵と統合して妙心寺派福聚寺となっています。
その跡地には地元の医師で教育者の上月玄栄が、明治六年(1873) に喜多小学校を開設し、後に福地及び雄嘉小学更校と統合され大志小学校(現楠丘小学校)となっています。
明治三十四年(1901)には黒田庄唯一の高等小学校が設立されています。




神門
舞殿

  拝殿を兼ねた覆殿



格子のある部分だけが、金網が破られ、正面・左右面を覗くことができます
格子穴からSONY RX-100のレンズを差し込み、F1.8、AUTOで撮影します

覆殿に納められ、精緻な彫刻の施された本殿は著名な浪速の彫物師 宮大工の中川利兵衛の手になるものと、説明されています

覆殿に納められていると、痛みは少ないようできれいですね



左面・木鼻群

右面

拝殿内の奉納絵馬
右額は、明治?六年の赤い文字

中央額は文政十三(1830) 右側は寛?永元年(1848)

寛政元年(1789)

享保十年(1725)

元禄十?六年
右から、弘法大師・菅原道真・小野道風
奉納額の彩色がよく残っていますね


手水舎

背面にいってみると、宝暦三年(1753)とありました

社殿を取り囲む高塀は現在では極めて珍しい石積土塀となっています


境内舎
この山は、黒田城址・・・と、思う

見事な彫刻でした
もう少し、工夫して、撮影しなければ・・・
スマホのカメラの方が、向いているかも・・・

そうそう、前回は2016年7月でした












0 件のコメント:

コメントを投稿