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2023年6月2日

伊丹市指定文化財、鴻池稲荷祠碑です

場所は伊丹市鴻池6丁目14番、児童公園内・・・
伊丹市指定文化財・・・鴻池稲荷祠碑を拝見いたします
そして、あの鴻池財閥の鴻池村山中総本家跡なのです

公園入口

稲荷社



鴻池稲荷祠碑


背面


      碑を読めるようにトリミング・・・無理ですね

亀石です

伊丹市指定文化財 鴻池稲荷祠碑
案内説明板より文字起こし、してみました

・説明板、右側

【本文翻】
(太字の部分は現在剥落しています。)
鴻池山中氏之富以釀興也慶長五年至今殆二百載而釀不廃焉其祖日幸元蓋鹿之介幸
盛氏之孫云造双白澄酒而大售其伝送関以東初也担次以馬駄其旁邑池田伊丹一 
带及灘西宮等以釀著名者亡慮数百家矣皆做慕而起者今南海之帆陸続東嚮而馳者莫
不酒之載也宅後有大池日鴻池是邑所以得名而浪華諸宗人又用為鋪号也始醮之歳舎
後祀稲荷以鎮宅及業日興乃以為神乃福祐也益处祷祀幸元諸子分居浪華者三家厥初
亦皆以酶興皆小宗也其支派又九家而僕款起家者不与焉今夫浪華鴻池氏之富甲于天
下亦能知敬宗無失礼也宝曆癸未之秋大風祠旁松折圧壞祠不改作者二十載於是諸宗
人相与謀曰祖之德弗忘也神之祐其可遺乎奉請新祠以綏後禄其費雖微一人承事其余
為忘祖乎請醌金命工咸日善天明甲辰祠成復旧觀而有加焉石表石燈翼如也乃相与約
日後年祠有頹圮者亦必以斯従事母使大宗独任也又日盍紀諸石乎今之大宗子名元長
実為幸元七世孫其子元漸從余受業是歳仲秋余偶遊北山訪其居主人觴我于池上奉家 
牒而請焉余既甘其酒而嘉其語也遂叙而銘之
 忠武震世者其角嶽々聖賢富家者其業奕々天不絕善人後神豈苟降多福
 不然天下多富民孰如山中氏子孫繩々芬華赫々 
                                                       浪華 中井積德撰并書


・説明板、右側

この児童公園は江戸時代の豪商として知られる鴻池家の発祥地とされています。 東大阪市には鴻池家が開いた鴻池新田会所が残り、 国の重要文化財に指定されています。
鴻池家の由来を記したこの碑は、 中国の古代貨幣 「布貨」 の形をした砂岩製で、花崗岩製の亀趺 (亀形の台石) の上に立てられています。 上部の凸出部を篆額に見立て、右に「稲荷」、左に 「祠碑」の文字を篆書で刻んでいます。 本文は大坂私塾懐徳堂の教授であった中井積徳 (履軒) の撰文と筆になります。 製作年は 碑文の内容から、天明4年(1784年) から間もないころと考えられます。
碑文の大意は次のとおりです。
鴻池家は酒造によって財をなし、 慶長5年(1600年)から200年も続いている。 その初代は幸元で山中鹿之介 (正しくは鹿介)の子孫であると言われている。 鴻池家は、はじめて清酒諸白を製造し、江戸まで出荷した。近隣の池田・伊丹・西宮などでは鴻池家にあやかって酒造業を起こした者が数百軒もあった。
鴻池家の屋敷のうしろには大きな池があり、 これを鴻池といった。 これは村の名の由来となり、またその名前を大坂の店の屋号として用いた。
鴻池家が酒造業を始めた年、 屋敷の裏に稲荷の祠を祀って家内安全を願っ た。 幸元の子供らのうち大坂で分家した者は三家、そこからさらに九家が分かれた。 大坂の鴻池家の富は莫大になっている。
宝暦13年(1763年) 秋の台風で稲荷の祠が壊れた。 20年後、当主たちが集り、先祖の遺徳を忘れてはいけない。 祠を再建する費用はわずかであるが、一人だけが出せば、 他の人は祖先の恩徳を忘れてしまう。 皆で出し合おう」 ということになった。 天明4年に祠が復旧されたとき、 それらの事情をすべて石に 刻んで残そうということになった。 幸元から数えて7代目の当主元長の子、元漸は自分 (中井履軒) の弟子であったので、 元漸の依頼によってこの銘文をつくった。



児童公園の西側に「鴻池土地区画整理事業記念碑」があります





地区計画の目標
本地区は、 伊丹市の北西部に位置し、 鴻池旧集落の落ち着いたまち並みと池や河川等の自然的環境 の残る田園地帯で、 周辺には伊丹スポーツセンターや市立鴻池小学校 市立天王寺川中学校、県立伊 丹北高等学校が立地し、 文教的環境にも恵まれた地域である。
現在、 鴻池旧集落では、 平成7年の阪神淡路大震災からの復興関連事業が実施され、 また、 その 周辺では土地区画整理事業 道路事業等により都市基盤整備を実施し、 新たな市街地の形成を図ろう としている。
本計画は、土地区画整理事業により創出される事業効果の維持増進と、良好な居住環境の維持・形 成を図ることにより、 活力と魅力あるまちづくりを目指す。


伊丹市の資料から引用

摂津川辺郡鴻池村全図 明治十二年


定番 マンフォール
昆陽池の鳥・・・白鳥やカモのデザイン

鴻池財閥は、江戸時代に成立した日本の財閥。16世紀末、鴻池家が摂津国川辺郡鴻池村(現・兵庫県伊丹市鴻池)で清酒の醸造を始めたことにはじまる。その後、一族が摂津国大坂に進出して両替商に転じ、鴻池善右衛門家を中心とする同族集団は江戸時代における日本最大の財閥に発展し、明治維新後は華族に列した・・・Wikipediaより引用

色々調べると今更知る、鴻池財閥の凄さですね
その発祥地が、摂津国川辺郡鴻池村、そして、その初代は幸元で山中鹿之介 (正しくは鹿介)の子孫であると言われている

東大阪市の鴻池新田会所にも行ってみたいね









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