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2023年7月20日

7月の神社探訪・・・綿貫重吉の狛犬を探して 西脇市黒田庄町小苗、 古奈為神社です

綿貫重吉の狛犬を探して、西脇市黒田庄町小苗82、延喜式内社・古奈為神社です

西脇市黒田庄町付近は、よく走っているのですが、所在知りませんでした

社頭です
・「延喜式内社」に記載されている「多可六座」のひとつ


拝殿

まずは、綿貫重吉の刻銘を探します
石工 綿貫重吉 と、なんとか読めます
そして、資料では、昭和御大典記念(昭和三年)1928年とありますが、見落としました


      では、拝見しましょう

        背後から



横から

いい鬣ですね

拝殿の彫刻

祭神は、木花開耶姫命・和産霊神で、古くから女神を祀る社として崇敬されており、安産の神として信仰を集めています

創立年代は不詳ですが、江戸時代・享保二十年(1735)に社殿が造営されたとあります


獅子噛・龍などなかなか見事な彫刻群ですが、中井一統ではありませんね

左面 

     手挟み

尾垂木の龍と木鼻
本殿背面は網で保護され、写真撮影者を寄せ付けません

境内のケヤキは樹齢約500年を誇る古木です

 拝殿の左手には、 胸高幹周 4.95mのケヤキの巨木が植わって おり、平成8年に兵庫県から有用広葉樹母樹に指定されました。
幹の上部は、再生治療のため樹木医によって切断されました。 それ以前は、樹高は20mあり、空洞にはフクロウが住みついていたそうです。
地元では、樹齢400年と称されていますが、幹周からも、それに近い樹齢であることが類推されます。 本殿が再建されたのが、承応四 (1655) 年ですから、 再興された神社を見守り続けてきたことになります。(黒田庄つうしんより)

その後、江戸時代・享保二十年(1735)に社殿が造営されたとの記述もあります(西脇市)
        


加古川、水の新百計 川下祭
加古川と篠山川の合流点に近い黒田庄町小苗の古奈為神社では、7月30日に 「川下祭」が行われ、 鳥居の前に竹の柵を組んで川下さんをお祭りします。 小苗は加古川舟運が繁栄した当時、 筏引持ち越し場所があったところで、 この祭はそれとの関連が 見られるものと思われます



定番の一枚、マンフォール
綿貫重吉の狛犬もそうですが、この社殿の彫刻も大変気になりますね

綿貫重吉の狛犬は、残すところ、一基となりました








2023年6月18日

6月の神社探訪・・・兵庫県西脇市、喜多天満宮の本殿彫刻は中川利兵衛の世界です

6月の神社探訪・・・兵庫県庫県西脇市黒田庄町喜多484の喜多天満宮です
ここ喜多天満宮の本殿彫刻は中川利兵衛の世界です
 
再訪になります
ここ参道の石灯籠は初めてです
前回は裏?から走ってきましたね

社頭



五條為範公の御染筆とある



喜多天満宮の由来

当天満宮の祭神は学問の神として名高い菅原道真公で 京都・北野天満宮より勧請しお祀りしています。 勧請年月は不祥ですが、慶長五年(1600) 姫路藩主池田輝政の行った慶長検地の帳面に当天満宮の名が見え、又宮寺の 梅松庵の創建は天文元年(1532) と記されていることから それ以前であることは疑いありません。 社殿は延宝検地帳 (1677) 及び元禄の普請帳により、当初は喜多村字北 野にありましたが、元禄五年(1692)頃現在地に遷したと考えられ、更に宝暦七年(1757)から七年の歳月を掛けて 本殿の造営と境内の整備を行い、宝暦十四年ほぼ現在の社親になったと思われます。
拝殿を兼ねた覆殿に納められ、精緻な彫刻の施された本殿は著名な浪速の彫物師 宮大工の中川利兵衛の手になるものです。
鳥居の額 の「天満宮」は享保九年(1724) 東久世博高公の取持で菅原氏庶流の正三位五條為範公(後に正二位権大納言)の御染筆と記 されています。
 又、社殿を取り囲む高塀は現在では極めて珍しい石積土塀となっています。
梅松庵は往時播磨守護職等に任じた赤松氏系の上月氏 の庇護を受けていましたが、延享二年(1745)当地にあった福自庵と統合して妙心寺派福聚寺となっています。
その跡地には地元の医師で教育者の上月玄栄が、明治六年(1873) に喜多小学校を開設し、後に福地及び雄嘉小学更校と統合され大志小学校(現楠丘小学校)となっています。
明治三十四年(1901)には黒田庄唯一の高等小学校が設立されています。




神門
舞殿

  拝殿を兼ねた覆殿



格子のある部分だけが、金網が破られ、正面・左右面を覗くことができます
格子穴からSONY RX-100のレンズを差し込み、F1.8、AUTOで撮影します

覆殿に納められ、精緻な彫刻の施された本殿は著名な浪速の彫物師 宮大工の中川利兵衛の手になるものと、説明されています

覆殿に納められていると、痛みは少ないようできれいですね



左面・木鼻群

右面

拝殿内の奉納絵馬
右額は、明治?六年の赤い文字

中央額は文政十三(1830) 右側は寛?永元年(1848)

寛政元年(1789)

享保十年(1725)

元禄十?六年
右から、弘法大師・菅原道真・小野道風
奉納額の彩色がよく残っていますね


手水舎

背面にいってみると、宝暦三年(1753)とありました

社殿を取り囲む高塀は現在では極めて珍しい石積土塀となっています


境内舎
この山は、黒田城址・・・と、思う

見事な彫刻でした
もう少し、工夫して、撮影しなければ・・・
スマホのカメラの方が、向いているかも・・・

そうそう、前回は2016年7月でした












2023年6月16日

綿貫重吉名照の狛犬・・・西脇市黒田庄町喜多、八幡神社にいてました

綿貫重吉名照の狛犬の発見です
西脇市黒田庄町喜多、八幡神社にいてました

神社探訪の場所を調べていると、Googlemapに先人が、アップしている写真をみて・・・
うん?
これは・・・
もしかして・・・
綿貫重吉名照か?

早速出かけてみました


過去の記事一覧の画像(再訪含む)
各々のページへは、右サイドより彫り師・石工「綿貫重吉」を選択してください


右・獅子


通常、狛犬と呼ばれますが、本来は、向かって右が「獅子」、左が「狛犬」らしいです

その右側の「獅子」の台座に刻銘がかろうじて読めることができます
大正九年と見えます
肝心な刻銘は、はっきりせず、現像時に拡大し、モノクロにしてみたり、いろいろ試しましたが・・・

        
        
        なんとか、読めるようになりました

        谷川駅前
        重吉名照作

        左・狛犬
     子がぶら下がっている?姿は、高座神社で見た覚えがある




過去、綿貫重吉名照作の狛犬は、六社見つけています

遭遇した、綿貫重吉名照作の狛犬は・・・
・丹波市春日町中山 八田神社
・丹波市青垣町東芦田 高座神社
・丹波市山南町大川 大歳神社
・丹波市市島町中竹田 加茂神社
・丹波市山南町池谷 岩上神社
・丹波市山南町南中  南中一宮神社

ここ八幡神宮で、七社目になりました

以前、調べた折、確か、この丹波地方に12基の狛犬がつくられたと、記憶しています
残り、五基、未発見の狛犬がいます

さぁ、どこにいるのか、五基の狛犬よ!!
今回は、西脇市

探す道のりは長いね
神社、総当たりするしかないかなぁ!




追記
株式会社森田石材店さん
・大正5年頃には森田藤四郎として仕事をし始めたとあり、大正8年初代森田藤四郎が名石工 丹波佐吉の流れを継ぎ、久下村(現在の山南町谷川)にて狛犬職人として創業した会社です

師匠の綿貫重吉は丹波佐吉の弟子で狛犬を作っていた、そんな環境の中で弟子として黙々と仕事をしていた森田藤四郎は15歳でほぼ一人前となる。この頃の仕事は「綿貫重吉作」と銘打っているが藤四郎が大半をしていたらしい・・・社歴に記載されています
・・・株式会社森田石材店さんのホームページより一部抜粋、引用させていただきました


ここ八幡神社の狛犬は、大正九年と刻まれているので、創業後すぐの狛犬のようです
しかし、森田藤四郎の銘ではなく綿貫重吉名照の名を刻んでいるのですね・・・
最初に出会った高座神社の狛犬の刻銘は昭和六年で、綿貫重吉でした
2016年でしたね
7年前か・・・