大阪市中央公会堂、中之島公会堂へやってきました
何年ぶりでしょうか?
5~6回ぐらい、講習会などで、入ったことがあります
もちろん、改修工事前です
いま、堂内は、日限定、有料で施設案内があるようですが、今日はその日ではありませんので、できるだけ見せてもらえるところは、見てみたいです
重要文化財 大阪市中央公会堂 大阪市中央公会堂は、明治44年(1911)に大阪市民の岩本栄之助氏から公会堂のために寄付された100万円をもとに、建設されました。
日本最初の懸賞設計競技で選ばれた岡田信一郎の設計原案をもとに、辰野金吾、片岡安という当時を代表する人たちによって設計されました。
大正2年(1913)6月から5年4ヶ月をかけた工事では、延18万人を超える人々が働き、大正7年(1918)11月17日に開館されました。
西洋の建築の歴史から生まれた形や材料をよく学んで高い水準に造られており、赤煉瓦の公会堂として市民に愛され親しまれてきた、たいへん貴重な建物です。昭和63年(1988)に永久保存が決定され、より良く使っていけるよう平成11年(1999)3月から3年半の工事がおこなわれました。
平成14年(2002)11月1日に再び開館、同12月26日に国の重要文化財(建2419)に指定されました。・・・案内板より
東正面玄関 ファサード(正面)中央の半円アーチは外観デザインを特徴づける大きな要素のひとつとなっています。屋根上には商業の神様とされるメルキュール(左)と、科学・工芸・平和などの女神とされるミネルバ(右)の神像が設置されています。当初の神像は第二次世界大戦中の金属供出により失われていましたが、保存再生工事の際、過去の資料をもとに復元制作されました。
1階ロービー
・・・ここは、催し物があれば、入れませんが、今回は催し物はなしで、ラッキーでした
その1階ロービ-の右側から、ガラス越しで、大集会室をパチリです 約1世紀にわたり、国際的な一流アーティストによるオペラやコンサートのほか、世界的な著名人の講演会が行われた歴史あるホールです。
創建当時の姿にこだわった壮麗な内装や、現代的な活用に対応するための工夫が施されたホールは、当館の象徴といえます。
階段
松杭・・・創建当時、地盤強化と建築基礎として地中に約4000本打ち込まれていました。
展示室
中央公会堂の寄贈者 岩本栄之助
1906(明治39)年、家督を継いで北浜の株式仲買人となった岩本栄之助は、日露戦争終結後の暴騰相場で窮地に陥った仲買人仲間を救い、自らも莫大な利益を得ました。
「北浜の恩人」とたたえられるようになった栄之助は、1909(明治42)年、渋沢栄-が率いる「渡米実業団」に参加。米国の富豪の多くが財産を慈善事業などへ投じていることに強い感銘を受け、帰国後に大阪市へ百万円の寄付を申し出ます。
ところが、この寄付金をもとに始まった公会堂の建設工事が進む1916(大正5)年、第一次世界大戦の影響による相場で栄之助は莫大な損失を被ります。寄付金を少しでも返しても
らったらという声にも栄之助は、「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」と
してこれを拒否。その年の10月、39歳の若さで自ら命を絶ちました。その後も建設工事は
続けられ、栄之助が夢見た公会堂は1918(大正7)年11月に開館の日を迎えました。
3階、集会室・・・偶然にも扉が開いていましたので、失礼して、パチリ・・・
南面
南出屋根岩本栄之助が、「雨天の際の公衆のために」と特に設けさせた出屋根です。
土佐堀川付近よりの全景
屋根中央には商業の神様とされるメルキュール(左)と、科学・工芸・平和などの女神とされるミネルバ(右)の神像があります
大阪通商会社 為替会社跡
定番、マンフォール 市政100周年の記念ですね
念願が叶いました、はやく中之島公会堂を見、撮影したくて・・・
過去、5~6回は、講習会で来ていますから、そのころが思い出されます
その時、今のように、デジカメもなく、ただただ眺めているだけでした
重要文化財となり永久保存が決定して末代まで大事にされることは、喜ばしいことです
館内案内デーに合わせて、また、来ましょう・・・
追記:記述文は、配布パンフより引用しております
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