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2020年2月5日

レンガ積み我が国最古のトンネル、鐘ヶ坂隧道・・・兵庫県丹波篠山市追入

鐘ヶ坂トンネル「昭和のトンネル」の右手にある案内板
・・・明治のトンネル 遊歩道600m・・・
これは、探検せねば・・・と!

金網で封鎖されている・・・これは車両?オートバイの進入を防ぐものなのかな?
左側から、人は入れるようだから、入りますよ!

鐘ヶ坂トンネルは国道176号の兵庫県丹波市と丹波篠山市の市境に建設されているトンネル

明治、昭和、平成にそれぞれ新たなトンネルが建設され、同一の峠に別途3つのトンネルが設置されるという、全国的にも珍しい箇所となっている・・・と!

遊歩道、ヘアピンカーブ・・・以前のトンネルまでの道だったのだろう!

奥見れば、古道、鬼の架け橋とあるね

概略図があります

地図に「金山城跡」があります
丹波金山城・・・織田信長の命を受け、丹波制圧にのりだした明智光秀によって篠山市と丹波市の中間に位置する標高540mの鐘ヶ坂峠の山頂部に築いた山城築かれた城です
大河ドラマで、登場するか楽しみです



この辺で、半分・・・残り約300mぐらいです

到着です
この施設から下をみると、昭和のトンネルの真上ですね

鐘ヶ坂隧道

鐘ヶ坂隧道
鐘ヶ坂峠は落石など交通の難所で通行や物資の搬送は困難を極めていた
明治十二年(1879)、多紀郡長であった園田多祐氏、氷上郡長であった田艇吉氏数名が発起人となり、鐘ヶ坂隧道開鑿之義願書を兵庫県に提出、翌1880年12月に工事許可となった
総工費四万余円、鑿岩工夫63000人及んで完成をみた
その工事費の半額は多紀・氷上両民の寄付でまかない二年十ヶ月を要して明治十六年(1883)に完成した。
日本で、五番目に作られたトンネルで、レンガ積みとしてはわが国最古である
麓の柏原上小倉で、三基の釜が造られ、鹿児島からやってきた職人がレンガを焼き約二十八万枚の煉瓦が使われている
篠山市側坑抗口には、明治維新の立役者有栖川宮熾仁親王の「事成自同」、丹波市側には政治家三条実朝の「鑿山化居」の石造扁額が掲げられている
延長268m、幅4.5m。


遊歩道といい、トンネル前は、よく整備されていますね

「鑿山化居」

入ってみます

柵の間にいつものように、SONY-RX100のレンズを差し込み、フラッシュで、パチリ!

先人曰く、心霊スポットともネット上には、記されているのですが・・・
実は私、場所によっては、「うん~、いややなぁ!」って、少し感じることもあるのですが、今回は全く感じませんでしたね・・・

土木學會選奨土木遺産

壁面を・・・

寄付者の碑
上段右端には、元柏原藩のお殿様「織田信親」の名がありますね
寄付金は左の方より少ないが、そこは、元、お殿様ですね!

右は生野銀山?の往来の安全を祈る行者像には文政十三(1830)
中央は、天下恭平、国土安全の文字、お地蔵さん宝暦四(1745)と刻まれている
左は、柏原、頭取とか読めるが、よく解らない
往来の安全を祈願したもので、いずれも旧道にあったものがここに移されたそうです

この遊歩道は、寒椿がたくさん咲いていました

その遊歩道沿いに現れた、展望台?見張り台?
・・・入って覗いてみたいが、危ない、危ない・・・

よき眺めですが、ここにトンネルを作るのは、大変なことだったと想像できます
そして、トンネルの無い時代の山越えでの物資とか、往来はさぞかし大変だったでしょう

明治、昭和のトンネルをみてきました
人一人いない600mの遊歩道・・・一人ブツブツいいながら、歩きました
よき、ウォーキングでした

機会があれば、丹波篠山市側もみてみたいです


「α君」を停めた側に「不動の瀧」とあります

行ってみます

       不動の瀧です







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