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2016年2月3日

多田銀銅山遺跡・・・兵庫県猪名川町!

多田銀銅山遺跡は、猪名川町を中心に兵庫県、大阪府の7市町に広がる鉱床群の総称です

i以前から、一度訪ねたかったのですが・・・
2015年は、生野銀山、開延鉱山・・と、巡ってきました・・ついに、多田銀銅山遺跡へ!
さぁ、地図に記されているポイントを左下から、順に巡っていきます・・・現在地から出発です
歩く距離も往復、4km弱です・・備忘録も長文になります・・・m(_ _)m
多田銀銅山 悠久の館・・・まずは資料集めから・・・平成19年に開設されたようです!
館内撮影禁止ですが、管理員さんから、この辺はいいですよ・・と、許可いただいて・・・     
        悠久の館の内部、展示から・・・・・・鉱脈と鉱床範囲・・・
        

          
多田銀銅山歴史年表・・・
東大寺大仏の献銅伝承がある奇妙山(川西市域)・・・奈良時代、天平十四年(742年)と、年表にありますね!        



銀山史跡案内板・・・

銀山橋の南方向にある約千坪の広大な銀山役所跡。
多田銀銅山は品位の高い銀の産出地として豊臣時代、徳川時代(天正期~慶長期)、そして徳川時代(寛文期~天保期)と二度も全盛を極めました。
当時、銀山の人口は1万人のも達し戸数は三千戸あったといわれています。
銀山の最盛期は寛文期で寛文四年(1644年)には銀が5625kg、銅が453t産出していました。
明治時代、役所廃止後は坑夫等の住居地や畑地として転用されました
銀山代官所跡・・・
・・・石垣が壊れているようですね・・・通常であれば、川向こうまで行き、史跡を見学できるのですが・・・通行止め!
高札場跡・・・

高札は、法度・掟書・犯罪人の罪状などを板札に墨で記し、人々に広<周知させるため、交通量の多い、人日につ<場所等に掲げられていました。
地元に残されている絵図には銀山橋の脇に高札場が描かれています
その脇に立つ常夜灯・・・文化十一年(1814年)?と読める・・
・・・・金比羅大権現と、ありますね・・・・
甘露寺・・・
甘露寺は敏達天皇の頃(6世紀)に開かれたと伝えられています。
現在、三重県の伊勢にある甘露寺は多田銀銅山から移住した鉱夫達によって建てられたといわれています。
・・・坂、登っていきましたが、墓地と荒れたお堂がありました・・・

道標・・・左辻、高平三田道・・って、読めますが・・?
銀山代官所の門・・・

代官所の門(伝承) 代官所にあった門を移築したという伝承が残っています

門は当初、馬に乗ったまま通れるほど高いものでしたが移築の際に低くしたといわれています

代官所は1626年に設置されたとのこと・・・

案内板も充実しています・・・散策がしやすいです・・歴史街道です!
金山彦神社です・・・
神門・・・
金山彦神社は大同二年(807年)に建立され、天禄二年(971年)、源満仲により修理がなされたという伝承が残っています。「金山彦神社」は鉱山の神様をまつっており、全国各地の鉱山で建立されています。
現在の本殿は、多田銀銅山の最盛期である寛文年間(1624~1645年)に建立されたものです。
本殿・・・
隙間からレンズ差し込んで・・・パチリです・・極彩色だったのでしょうね!
・・・木鼻は、銀色?それとも白色?・・・
        左右脇障子・・・色鮮やかです・・コバルトブルーのような色ですね!
           

      本殿前の石灯籠・・・元禄五年(1692年)と読めるが・・うん!よき姿ですね!
           

青木間歩
・・・坑道は江戸時に「間歩」と呼ぱれていました

薬用植物として利用されるアオキが周囲に茂っていたことからその名が付いたといわれています。
江戸時代に採掘されたと思われる手掘りの露頭堀りと、削岩機などの機械を使って採掘れた坑道との両方が楽しめます。
唯一坑道内を体験できる間歩です。照明設もあります
午前9時~午後5時まで自由見学できます
さぁ、坑道探検です・・・・ワクワクしています!(*^_^*)
おおおぉ・・天井が低い・・ヘッメット装着して・・腰かがめて進みます・・
      天井に気をつけながら進みます・・結構、奥深いし、長いですよ・・(*^_^*)
           


脈状鉱脈・・・

鉱石の生成時代は白亜紀後期ないし末(6400万年前後)と考えられる
鉱脈が安山岩、流紋岩中を切って存在する・・・
鉱石1トン当たりの内訳
金:0.2g
銀:0.584kg
銅:20.9kg
鉛:5.3kg 
亜鉛:28.0kg
石英残砂:722.0kg 
その他の鉱物 223.8kg
・・・金、気が遠くなりそうな数字ですね! 
鉱脈かも?・・・(*^_^*)
写真左下:フラッシュ使わなかったら・・ 
写真右下:坑道、入口付近に設置されているヘルメット・・2個しかないよ! 頭頂部は傷だらけ・・
           
上記坑道の上に登ると・・・
        手堀の旧坑道跡があります・・・
          

青木間歩からさらに、川沿いを歩くと・・・水抜通風穴跡が・・・

ドンドン、川沿いの緩やかな坂道を登っていきます・・・

日本鉱業多田鉱山事務所跡・・・

昭和19年(1944年)以来、日本鉱業(株)が、瓢箪間歩周辺を中心に機械を使って採掘を行い、最深で地下約270mまで掘り下げました。
昭和48年(1973年)に閉山し、多田銀銅山の約1000年の鉱山としての歴史に終止符が打たれました
事務所跡・・
写真上の山を登ると・・・エレベータ跡がありますが・・・全貌はわかりません

多田銀銅山 大露頭(町指定天然記念物)

大露頭は瓢箪ひの鉱脈が地表に現われているものです。
銀鋼の品位は低いのですが、鉱脈の様子を分かりやすく示す露頭として重要です

・・・上記「ひ」漢字出てきませんm(_ _)m

大露頭の左下に「坑口」らしきもの・・・蓋されています・・

台所間歩・・・



江戸時代の文書には大坂城(現大阪城)の台所(財政)を潤すほど銀鋼の産出量があったことからその名がついたと記されています

瓢箪間歩・・・・
案内板、右図は瓢箪間歩周辺の優良鉱脈の様子を表しています・・と!


瓢箪間歩・・・・

江戸時代の文書には豊臣秀吉が馬印を掲げることを許したといわれるほどの銀鋼の産出量があったと記されています。
銀山地区で最大規模の横相坑道(通路状の坑道)です。

足利時代に一度盛山であった旧間歩。豊臣時代(天正期)におびただしい銀・銅を産出し大繁栄した代表的な間歩。山先(鉱山技師)の原丹波、原淡路親子がこの鉱脈を発見し、ほうびとして豊臣秀吉の馬印である千成瓢箪を与えられ入口に掲げたことから瓢箪間歩といわれています。
検分に来た豊臣秀吉が馬上のまま坑内に入ったといういい伝えがあります

・・・案内板より引用

山中鹿之助一族の墓、久徳寺跡
ググってみると・・・
久徳寺に関して・・・山中鹿之助の縁者が豊臣秀吉の援助により建立された山中鹿之助と尼子義久公夫妻の菩提寺であったらしいと・・・

川の対岸からしか、望めないが、墓石は確かにみえます・・荒れ放題です

平炉跡・・・ 使用された詳しい時代はわかりませんが、間歩で採掘された鉱石を製錬した炉跡であると考えられます。


戻ってきました・・・悠久広場へ・・・

堀家精錬所の歴史・・・
多田銀銅山は明治28年(1895年)、島根県津和野の鉱業家、堀藤十郎が「多田鉱山」という名で採掘特許を得て明治30年から銀、銅、鉛を生産しました・・一部省略・・明治40年(1907年)秋におこった銀・銅の価格暴落によって明治41年休業・・・大正14年(1925年)久原鉱業(日本鉱山)に鉱業権が移るまで「多田堀鉱山」と呼ばれました・・昭和48年(1973年)日本鉱業多田鉱山の閉山時に埋め土で覆われました・・・案内板より引用
機械選鉱跡・・レンガ構造物・・・近代化遺産?
精錬所で使われた赤レンガ・・鍋形カラミとカラミレンガ
生野銀山は、四角形のカラミでしたね・・・

悠久広場から望む、悠久の館・・・
管理員さんからお話を聞き、その資料をパチリさせていただきました・・・

その話とは・・・
問い・・なぜ、昔の人は、鉱脈がわかったのですかね?・・
答え・・それは、ヘビノネコザが生息している場所が、鉱脈・・その鉱物、鉱脈に生息するからね・・って!

・・・おおおぉ・・・! それはすごい情報です・・いや、知らないことは、聞いて教わることですね!

ヘビノネコザ・・・

冬になると葉が枯れるシダ植物で、鉱山などで、よく見かけられます

そのため、カナヤマシダ、カナケシダという名で呼ばれることがあり、鉱石や鉱脈を見つけるために利用されてきました

また、カドミウムなどの重金属を吸収することでも知られています

多田銀銅山の坑道の入口などに群生しているのを見ることができます・・

さらにググってみると・・
・・・ヘビノネゴザ・・・
学名のyokoscenseは、横須賀で発見され命名された由来による。
別名「カナヤマシダ」、「カナケシダ」の通り、金属鉱床地帯の指標植物となる。
重金属を固体内に濃集する特徴があり、カナダでの調査結果では、これを焼いた灰1トンあたり4グラムの金が含まれていた、との報告があるという。
金属鉱山の廃坑のあたりで、植物が極端に少ない場所では、このヘビノネゴザは独占的な群落を形成する。同じ株から毎年繰り返し発生するので、前年の株の上にヤチ坊主のように盛り上がってくる。
・・・恐ろしきかな、ヘビノネゴザ!


いままで、生野銀山、明延鉱山をみてきました・・すべて、山深いところです・・
昔の人は、なにをみて、鉱脈を発見したのか、知りませんでしたし、不思議でした!
この、ヘビノネゴザは金属鉱床地帯しか生息しないのを知っていて、山中、谷間、岩山を歩き、鉱脈を発見したのではと・・
・・・いやいや、昔、昔の人の知恵は、すばらしいです・・・(*^_^*)

しかし、多田銀銅山跡のそばの住宅地の地名が・・「白金」・・なにか、意図したのかなぁ?

多田銀銅山跡の巡り・・・往復4km・・・疲れました・・寒い日でしたが、防寒具の内は、汗びっしょりに・・!

そして、備忘録も長文になりました・・・・


・・・ご苦労様でした・・・


追記:この多田銀銅山遺跡巡りする歴史街道は、奥にダンプの置き場?会社があるようで、車幅一杯で走ってきます
悠久の館に「P」して歩くことが一番です・・・そう、Uターンもすれ違いも出来ませんから・・・ね!











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