ページ

2015年1月26日

柏原町、織田家の城下町・・柏原藩陣屋敷跡・・兵庫県丹波市!

織田家の城下町・・兵庫県丹波市柏原・・なんでしょう?・・いい雰囲気の町なんです!

柏原藩主、織田家・・・ 柏原藩は慶長三年(1598年)信長の弟である織田信包が丹波国氷上郡の内3万6千石を与えられ始まりましたが、三代藩主で世継ぎ無く廃絶しました。
しかし、元禄八年(1695年)に信長の次男、信雄の子孫にあたる信休が大和松山藩(現在の奈良県宇陀郡)から柏原に国替となりました。
後期柏原藩の所領はわずか2万石でしたが、10代にわたり明治4年(1871年)の廃藩置県を迎えるまでこの地を治めました

国指定史跡、柏原藩陣屋敷跡を尋ねます・・
写真左上の四角建物は、崇広小学校・・・絵柄的には、う~ん?

陣屋は、織田信休が移封後、約20年を経た正徳四年(1714年)に造営したものです
当時の陣屋は約20,000坪の敷地に表御殿、中御殿、奥御殿のある主屋や台所、幕末には藩校の崇広館などが存在しまいした。
現存するのは文政元年(1818年)の火災で焼失、文政三年(1820年)に再建された表御殿の一部です。
庭にある、説明・・・図・・
写真下:表面表示部として、建物跡が記されている
写真左下:長屋門から表御殿を見る・・  
門から御殿玄関へと続く構えは全国的に類例が少なく、近世大名の居館を考える上でも貴重な遺構で国の史跡に指定されている


柏原藩主織田家旧邸長屋門・・県指定文化財
柏原歴史民族資料館から見る、長屋門・・・
写真下:表御殿より、長屋門をみる・・・
陣屋の表御門にあたる長屋門は、正徳四年(1714年)に築かれたもので、火災にも遭わず陣屋創建当時のまま、残っています。
内部は向かって左側が畳敷きの番所、右側が板張りの馬見所と砲庫の三室に仕切られています。
桁行13間半、梁間2間、桟瓦葺き、入母屋造りと総体的に簡素な構造ではあるが、数少ない大名邸遺構として貴重である

あいにく、今日は休館日・・・御殿内には入れませんが、庭など敷地内は拝見できました・・・(^^;)

では、もう少し、柏原町を散策します・・・続きます・・



0 件のコメント:

コメントを投稿