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2014年12月2日

崇福寺・・・九州の旅・・長崎市!

長崎市の観光スポットも、色々見てきましたよ!・・いよいよ、残すところ・・・2ヶ所になりました・・

今から伺うところ・・西日本随一の文化財を誇る唐寺・・聖寿山崇福寺・・です!
日本最古の唐寺、興福寺に遅れること9年、寛永六年(1629年)に長崎在住の中国福建省の人達によって建てられたと・・・
一つの寺でこれだけの文化財を擁するのは、京都や奈良を除けば西日本随一という崇福寺 
その数、21もの文化財があるのです・・・
長崎にある国宝・・・三つあります・・その一つが、先ほど、見てきた、・・大浦天主堂・・です!
そして、残る二つが、崇福寺の大雄宝殿(本堂)、第一峰門なのです・・・

では・・・興味津々・・・参りましょう・・・・

崇福寺、三門に着きました・・・おおぉ・・竜宮城みたい・・・そう、俗に竜宮門といわれていますと・・

崇福寺三門(楼門)・・・国指定重要文化財・・桁行三間、梁間二間、二重門、入母屋造、本瓦葺、左右脇門付
なぜ、三門?・・三門は禅宗寺院の場合そう呼ぶことが多く、三解脱門(空門、無相門、無作門)の略である!
三門の扁額の「聖寿山」は、興福寺でも出てまいりました、隠元禅師の筆とのこと・・・

写真左下:門をくぐりながら、見上げると、彫刻・・龍か?・・・
写真右下:門扉の取手の金具・・なんなんでしょうか?・・龍ではない?
三門から見上げれば、第一峰門が、見えてます・・・石段を上がります
石塀の彫刻も、お見事です・・

第一峰門・・・国宝です!・・四脚門、入母屋造、本瓦葺

二の門、中門、唐門、赤門、海天門などの別名がある・・中国寧波で切組み唐船で運び、元禄九年(1696年)ごろ建てたとある・・唐通事林仁兵衛(林守壂)の寄進・・
軒裏の複雑な組物(四手先三葉栱斗栱詰組)が特徴で、華南地方に見られるが、日本では唯一例である。平垂木を放射状に割り付けた扇垂木に鼻隠板打ち。極彩色模様が施されているが、雨かかり部分は単なる朱塗りである。当初材は広葉杉であることが判明した・・
額の「第一峰」は即非禅師書で、県指定文化財である・・・
写真左下:崇福禅寺の額の右端に寛永廿一年甲申九月吉旦とある・・1624年! 左には、長崎譯士林仁兵衛尉敬立とある・・・
第一峰門を境内側から見る・・門戸の装飾も見事です!

護法堂・・国指定重要文化財・・桁行三間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺

中央に観音、右に関帝、左に韋駄天を祀る・・・
黄檗天井・柱上部籐巻・挿肘木・扇垂木・鼻隠板・半扉など中国様式であるが、屋根の妻飾は日本風であるから、軸部を中国で切組んだものを唐船で運び、非本陣棟梁が建てたものと思われる・・と!大梁下面に享保十六年(1731年)に建てた墨書きがある
写真左下:黄檗天井、装飾が見られる・・
写真右下:梅花奇獣の浮彫りのある柱礎も中国製である・・・ありゃ、右端が写っていない!!


大雄宝殿(本堂)・・国宝・・・桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦葺

本尊に釈迦(大雄のよみもある)を祀る。中国で切組み、正保三年(1646年)建立した。
寄進者は唐商何高材。長崎に現存する最古の建物。初めは単層屋根であったが、天和元年(1681年)入母屋屋根の上層を付加、現在の姿となった・・・
軒回りに擬宝珠付の垂花柱が珍しい・・前面吹放し廊下のアーチ型天井は黄檗天井で、黄檗建築独特のものである。
写真左下:大雄宝殿(本堂)正面から・・・写真、全体、入りません・・・
写真右下:軒回りに擬宝珠付の垂花柱

媽姐堂門・・・国指定重要文化財・・三間三戸八脚門、入母屋造、桟瓦葺

文化財指定は媽姐門・・大雄宝殿と方丈とをつなぐ廊下を兼ね備えた巧みな配置である。
現在の門は文政十年(1827年)に再建されたもので、建築様式は和風だが、扉前面は黄檗天井がある。・・・
写真左下:正面から  写真右下:左、大雄宝殿が、右端、方丈

媽姐堂・・・県指定史跡
唐船に祀る守護神の媽姐小像を在泊中、安置した・・・媽姐堂があるのは長崎の唐寺だけの特徴!
現在の建物は寛政六年(1794年)再建のものである

写真左下:開山堂・・資料がない?   写真右下:媽姐堂門裏にある、魚板(魚鼓)
大釜・・市指定有形文化財・・
第2代住持であった唐僧・千獃(千呆)性侒が、飢餓救済の施粥のために造った大釜である。  延宝8年(1680)の諸国不作以来、米穀不足となり、天和元年(1681)には長崎にも餓死者が出た。福済寺2代住持唐僧慈岳や当寺の千獃は、托鉢や富商の喜捨などで粥を煮、多数の窮民を救った。粥の施しを受けるものは多い日には、3,000人から5,000人に及んだという。千獃は翌天和2年(1682)2月大釜を造り、4月14日完成。鋳工は鍛冶屋町の鋳物師、安山弥兵衛と推定される。

鐘鼓楼・・・国指定重要文化財・・桁行三間、梁間二間、二重、入母屋造、本瓦葺
上階に梵鐘を吊り、太鼓を置いて、鐘楼と鼓楼を兼ねる。
鐘楼は享保13年(1728年)の再建。
軸部は中国で切組み、日本棟梁が建てた。
建物の特徴は護法堂と同じ。
雨ががりだけが、朱塗りである。
円窓、華頭窓、白壁の組み合わせの意匠も優れている。
梵鐘は正保四年(1647年)加治屋町住の鋳物師阿山氏初代の作・・県有形文化財

再度、第一峰門から、大雄宝殿を・・・・瓦に「崇」「福」の文字が・・立派な鬼瓦も・・・
写真上の右端がお土産物屋さん・・・おばさんに聞きました・・・

私・・ここって、NHK大河ドラマの龍馬伝を撮影されていましたよね!・・って・・
・・おばさん・・そうですよ!・・
私・・媽姐堂門、媽姐堂の間の石畳付近で宴会?していたシーンをかすかに覚えているのですが・・?
・・おばさん・・あっちこっちで、撮影していたよ・・って!

う~ん!・・記憶が正しかったね!・・雰囲気は、興福寺より、崇福寺の方が、長崎を演出するには、適しているね!・・一人、ブツブツと・・・

さぁ、崇福寺の文化財を満喫しました・・名残惜しいですが・・では!
・・上記、各々の説明文は、説明パネルより、引用させていただきました・・


・・・ちょっと遅めの昼食に・・・もち、長崎チャンポン、皿ウドンです!・・・・二日連続?・・って云われそうですが・・・

実は、昨夜の中華街以外のお店もググっていました・・普通?の中華料理屋さん・・
ここは、崇福寺からすぐの、かの有名な「思案橋ブルース」の思案橋・・・・おおおぉ・・
つい、口ずさんでいる、私がいます・・・ええぇ!・・嫁も口ずさんでいます・・

写真左下:左へ行くと、思案橋通り?  写真右下:所謂、飲み屋さん街?
写真左下:その右の筋が思案橋横丁 
で、この横丁に、とにかく、うまい長崎チャンポン、皿ウドンのお店が並んでいると・・・口コミ情報!
で、三軒ほど、リストアップしてきています・・・とりあえず、店の位置、場所わかりませんから、一番最初の着いた店に・・・と、云って・・ものの、10mほど・・「天天有さん」がありました・・・

早速、入り、今日は、私が、長崎チャンポン、嫁が,皿ウドン・・勿論交換しますけど・・・
江山楼でいただいたものより、甘い・・・特に皿ウドンのあんかけは、甘いね!
二日連続で、長崎チャンポン、,皿ウドン・・満喫しました!

写真右横:ここのご主人は今、四代目・・
あの四海楼で修行して、昭和21年天天有を開業したと・・
・・説明書の写真、ピンぼけで良く読めないね・・

安いし、美味しい・・中華街にわざわざいくこともないね・・料理品種多いし・・普通の街の中華料理屋さんです!

さぁ、お腹も満足・・・最後の見所・・・出島へ路面電車で参りましょうか・・・は~い!




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