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2014年10月10日

廣峯神社・・黒田官兵衛ゆかりの地めぐり!

姫路城を巡ってきました・・そして、ひめじの黒田官兵衛、大河ドラマ館も拝見しました
その折、いただいた15種にもおよぶパンフ群・・すべて黒田官兵衛ゆかりの地なのです!

TV放映でも、出ていましたが、御師(おし)が各地を廻り、情報収集して官兵衛に報告するシーン・・ありましたね!

その御師・・廣峯神社には社家や下級神官で組織された御師制度があり、東は若狭から西は安芸まで神符を配って廻ったと云われ、ともに黒田家家伝の目薬を売ってもらうことで財を成し、黒田家の礎を築いたと・・富だけではなく、土木の技術や各地の情報を伝えたと・・・
当時の廣峯神社の大別当は官兵衛の主君、古寺政職の弟であり、廣峯神社の御師の中に官兵衛と同じ家紋を持つ黒田姓の家があることからも、黒田家と廣峯神社の深い関係が伺えますと・・


ちょっと、お勉強・・・廣峯神社の由来・・・

二千年以上前、素戔嗚尊がご鎮座され、奈良時代にこの地を訪れた吉備真備・・・
吉備真備・・ 持統天皇時代、日本の奈良時代の学者で有名ですね・・・
その吉備真備がご神託を受けて社殿を建立と伝えれています・・
唐で陰陽道を極めた真備がこの学問を日本に広めたいと考え、素戔鳴尊(星の運行を司る神)で「祇園精舎の守り神である牛頭(ごず)天王の化身」であるとして日本の暦を司る神としました。
牛頭天王は疫病の神と崇められ、平安時代に都で流行した時、清和天皇の夢枕にお告げがあり、廣峯の御分霊を京都にお迎えしたところ疫病は収まり、それを祝って始められたのが「祇園祭」で、その後建立されたのが、八坂神社です。
鎌倉時代より廣峯神社は祇園本社として崇敬を集め、室町時代には熊野にも劣らぬほど、参拝者が山を訪れたと記されています・・・
・・上記文言、官兵衛ゆかりの地、廣峰のパンフより引用・・

いやいや、凄い歴史ですね・・・・祇園本社とは・・・全然知りませんでした
姫路城から北へ向かい、山陽道の高架下を通り、山へ上がっていきます・・徒歩では30分とあります!
ほどなく、「P」が見えました・・・数台、停まっていますね・・・立派な鳥居は、その「P」の上・・・
道案内のとうり、 廣峯神社、登口・・表参道です・・
趣きのある道ですと、パンフにありますが?・・・少し、荒れている感じがするのですがね!・・(^^;)
写真左上:坂の上から下へパチリ  写真右上:伊藤家屋敷跡(御師屋敷)でしょう・・・

写真左下:天祖父社  写真右下:夫婦岩  この案内板にも官兵衛くんが・・・
写真左下:土塀です 、古びた風情?・・残念ながら崩れかけていますね
写真右下:土塀が続く先に、本殿の千木、鰹木が見えます 手前の屋根の家は、御師屋敷肥塚家(非公開)です・・
写真右上:団体さんが、説明受けていますね・・・!!

廣峯神社の前に着きました・・・年配の男女、30人ぐらいの方々が宮司?御師?さんの説明を聞かれています・・・なんと、宮司?御師?・・着物、袴、それに脇差しを差しています・・説明員さんかなぁ?

その団体さんを避けるため、ちょっと、門前にて待機・・・待っている間、右側に発見・・・

その石段の右手に・・重要文化財、宝篋印塔・・室町時代初期の作
高さ、224cm・・廣峯神社の背後、俗称「吉備ッ様」と称している地に埋没していたものを現在地へ移した。宝珠の一部を欠くが姫路市内の宝篋印塔のうち最もすぐれたものであると・・・

随神門です・・・ここから見える、播磨灘・・絶景です(やや、木が邪魔しているけど・・(^^;))
表門とある、元禄十年(1697年)
重要文化財、拝殿へまいります・・
幅、広っ!・・それが見た瞬間感じたことです・・それもそのはず、正面十間なのです・・
桃山時代の建立・・・すばらしい、たたづまいですね・・!・・では、参拝いたします

右側より、本殿を拝見に参ります・・
本殿・・・室町時代中期の様式、中央七間に神殿と仏間を交互においた神仏習合の建物と・・・
左側が拝殿 右側が本殿・・・

暦神 牛頭天王(上部説明)・・神秘なる「九つの穴」・・・
そう、本殿の裏側には九つの穴が開いています・・この穴は生年月日により、運命星が定められている現代暦上の「九星」に相当します。穴深くには、自分の守神が鎮まっておられますので、自分の穴に向かい参拝すると・・・・

尚、穴に口をあてがい願い事を小言にて神様に伝える古来からの風習が今も残っています
例えば、平成26年生まれは、白緑木星・・となりますね!・・私、・・ヒ・ミ・ツ・!!
嫁と六才離れているので、左右別れて、穴に口をあてがい、お願いいたしました・・m(_ _)m
本殿の屋根部分・・残念ながら、全体、入りません(^^;)
姫路市指定重要有形文化財 
写真左下:右、庚申社 寛延四年(1751年) 左、山王権現 安永六年(1777年)
写真右下:右、冠者殿社 19世紀       左、大鬼社 享保二十年(1735年)
姫路市指定重要有形文化財 
写真左下:右、熊野権現社 慶応四年(1868年)  写真右下:右、冠者殿社 19世紀      
姫路市指定重要有形文化財 軍殿八幡社 世徳元年(1711年)

本来は白弊山から黒田家屋敷跡と向かうつもりでしたが、・・時間も限りあるため、断念!

展望台より、景色を見ていたのですが・・
なんと、デジカメ・・電池切れ・・・(^^;)
あちゃっ・・!!
3個ポケットに入れているはずが2個だったのです
姫路城で、2個目に入れ替えたとで~す!!

左写真は、最初に訪れた折、振り返って、趣のある道をパチリです・・・土塀が続く参道です!
黒田家の繁栄も目薬と・・・実は、憩いの広場に「目薬の木」があったのです・・・
残念ながら、見ていません・・そこまで、考えが及びませんですした

世界で唯一日本にだけ自生しているカエデ科の落葉樹。
その名の通り、点眼薬や洗眼薬など、現代の目薬の代わりに「目薬の木」の樹皮を煎じて利用されてきました。
目薬の木(メグスリノキ)の樹皮や幹・葉などには多くの薬効成分が含まれており、煎じ液には結膜炎をはじめとして、かすみ目や老眼、近視など、目の健康に効果があるとされています。

写真、内容、Wikipediaより引用

修理中・・白鷺、姫路城! 白鷺に感動して、・・「やっぱり良いよなぁ!・姫路城」と感心しながら、姫路城周辺をママチャリで、サイクリング!

黒田家繁栄の礎の一つで、深い因縁の廣峯神社を訪ねました!

台風一過、晴天・・姫路城を訪れた多くの方々同様、感動に浸りながら・・・無事、一日の旅、終わります・・・

長文、長文、長文・・・・感謝!!


追記:「目薬の木」のお茶・・効能拝見すると・・うん!・・買ってみようかなぁ!!



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