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2014年10月24日

国史跡 広渡廃寺跡歴史公園・・兵庫県小野市!

久しぶりに、黒田官兵衛のゆかりの地を巡ります・・・
若かりしの官兵衛の活躍した、「御着」・・もっと早く行きたかったのですが・・・
今日は絶好の青空・・・快晴です・・高速を使わず、一般道をダラダラと、一人旅で「α君」と、走ります!

信号待ちをしていると・・・「大日本中央標準子午線」の石柱が・・大日本?・・って?
思わず、「α君」内よりパチリです!
三木市久留美、県道20号線(加古川三田線)北西側
建立年月日:1926年1月
1926年・・・昭和1年なのですね!
そして、1926年の建立年は、明石・平野町黒田(神戸)の1910年・・西脇経緯度標の1924年に次いで古いものらしいですね!

標準子午線・・東経135度の経度です・・・
・・おもわず、時計を見てしまいました(笑)

で、今回、姫路市「御着」に旅する前に地図眺めていました・・・
なぜか、先日、新聞に、加西市鶉野の「姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡地」の資料館の記事が・・・ 昨年、「姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡地」を探し、結局見つからず・・諦め帰りました・・

よっしゃ!・・今日は通り道・・青空、鶉野飛行場跡地・・ぴったし!・・うん?
で、又々、地図眺めていると、その手前の小野市の「国史跡 広渡廃寺跡 歴史公園」を発見・・・
先日、訪れた、国宝、浄土寺の近く・・・では、最初の目的地を「国史跡 広渡廃寺跡 歴史公園」からと決め・・出発です

「カーナビ君」の案内とうり走ると・・右へ右折(南から走っています)すると、浄土寺・・おおぉ!
左折して、広大な稲刈りが終わった、田んぼ、田んぼの真ん中をど~んっと、走る一直線の道!
青空の下、気持ちよき、ドライブ・・・・「α君」内からパチリです! 後ろ誰もいませんし・・
広大な農地では見かける光景でしょうが・・・今日は気持ち良き景色です! ・・(*^_^*)
着きました・・「P」です・・なかなか、立派な施設です
発掘復元の横に造られた、復元模型です・・縮尺1/2 野外展示されているのも珍しいのでは?
なかなか、精巧で、素晴らしいです・・・手前の金網が写らないように・・金網の隙間にレンズを入れ・・パチリです!

当遺跡は加古川左岸段丘上に位置する古代寺院跡です!
発掘調査により、主要な建物の基礎(基壇)が確認され、建物の配置(伽藍配置)が明らかになっています。本尊を安置する金堂を中央に配し、その前に東西両塔、後に講堂を置き、それらを廊下である回廊が取り囲んでいました。回廊の北には北門、南には中門があり回廊が囲む範囲は東西約60m、南北約90mとなっています。これらの配置は奈良の薬師寺と同じことから、薬師寺伽藍と呼ばれています。各基壇は土を突き固めていく版築と呼ばれる方法で盛られており、周囲には平たい栗石を積んで化粧(乱石積基壇)がなされています。当遺跡は出土遺物などから、7世紀後半頃のは建立され、平安時代末頃に途絶えたことがわかっています。なお、浄土寺薬師堂に本尊を移したとされる「広渡寺」が当遺跡と考えられています。・・・・遺跡案内説明板より引用・・

出土品の瓦を・・・・

古代の瓦をさわってみよう!!・・の、コーナです・・・
奈良時代か、平安時代か・・・すごい体験ですよね・・・私、ちょっと、感動です!
写真右下:落とさないように力、入っています・・
広渡廃寺の整備(クリックして拡大してみてください)
いよいよ、伽藍跡へ・・・
小高い丘より見る、整備後の姿・・・この伽藍の場所は元々、小山だったと・・・
誰に聞いたの?・・はい、それは、伽藍の廻廊内側を3人で、草取りをしているおばさんからです・・・
このおばさん達のお陰で、草、見かけません・・芝生は刈り込まれ、緑の絨毯です・・m(_ _)m
復元模型・・見る方位を変えて・・写真左下:北門から
写真左下:市指定文化財・・西塔心磯
写真右下:金堂  各基壇・・栗石を積んで化粧(乱石積基壇)がなされています
その後の広渡廃寺・・・・
地域の有力者を中心として建立され、何度か改修が行われたが、平安時代中期以降に衰退しています。浄土寺縁起には、鎌倉時代初頭頃に、当遺跡を含む九ヶ寺が「大破壊」を受け、「荒廃」していたことが記述されています

浄土寺の薬師堂の本尊として移したと記述があると・・・

左展示案内のお堂は国宝、金堂です!

国宝、浄土寺の切り接ぎ合わせの手作り感が漂う、案内書・・・(*^_^*)
小野市、国宝浄土寺に伺った折に来るべきでしたね・・・・深い関連があったとは・・・

何事も、よく調べるように・・・は~い!!


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