前回は、現存する12天守のうち一番小さな天守・・丸亀城を備忘録に・・・
今回、なぜか一人旅・・・理由!・・嫁には、やや、登りが厳しいのです!!・・700m、20分・・なんです!
平日は、ふいご峠の駐車場まで車、上がれますが・・・土、日はダメ!・・麓の大型「P」から、シャトルバスかタクシーなんですって!・・!
山陽道を通り、岡山道・・岡山道、初めてです・・北へ山越えのルートです
賀陽ICで降り、高梁市へ入るのは、国道484号線・・、ループ橋を・・なかなか、快適な路です・・
ドライブレコーダ+WizMap キャプチャー画像です
期待してます・・・備中松山城・・もしかして、雲海!!
国道180号線に入り・・・いつものこと、資料集め・・高梁市観光協会へ・・
はい、沢山いただきましたよ・・そして、見所も教えていただきました!
そして、事件が・・・おもいきり、頭・・鴨居?・・ぶっけてしまい・・首、グッキと・・うずくまりました!・・痛いよ!
20分ぐらい、様子をみて・・・大丈夫と判断して・・気を取り直して・・!
高梁市観光協会の前からみた、標高430mの臥牛山(がきゅうざん)頂上付近は、雲が・・・いいね!・・
写真右上:高梁川沿いも土塀が・・・ずっと続いています・・・
・・さぁ、登りましょう・・・
平日では車、上がれる、ふいご峠の「P」へ・・14台らしい・・運良く空いていました・・!
そうやね、8台はいたね・・岡山、広島や、多摩ナンバーの車・・・
看板があります・・・ようこそ、日本一高い山城 備中松山城へ
今回の備忘録・・・歩いた順番に記しております・・又々、長文、写真、多々です!
遊歩道?・・崩れかけた、石段ですよ!・・いや、厳しい・・でも、親切に、竹の杖が置いてありましたので・・拝借!
最初の遺跡、中太鼓の丸跡・・・おお、見えてきた・・登ること、初めての石垣・・!
その下太鼓の丸跡と大手門跡とのほぼ中間地点、戦略上、重要な地点・・・中太鼓櫓が建っていたと・・・通信網の要衝とのこと!
曲輪のまわり、瓦の残骸で・・いっぱい!・・・いつの瓦なのかなぁ??
前山山頂・・・赤丸部分・・・
北方以外の三方向が視界が開け、南方向は市街を一望できる・・太鼓の音を中継する通信所の一つである
さぁ、続き・・登りましょう・・石段を登ると、見えてきました・・・何層もの石垣が・・・
ここは、大手門跡・・
見事な岩盤に樹勢する木・・素晴らしいけど、ね!
何重にも重なるが如くの石垣、城壁・・大手門長屋?上番所、三の丸、足軽番所が建っていた跡
写真右下:最上部の右端、現存する土塀の一部
土塀の一部が現存部分で残り半分は復元・・よく、風雪に耐えて、残っていますね |
国指定史跡・・備中松山城跡、 国指定重要文化財、備中松山城、 建造物・・・ ・・・天守、二重櫓、三の平櫓土塀 と、記してあります・・・! |
そして、「21世紀に残したい日本の自然100選」にこの地が選ばれていると・・・・・
さらに、石段を上がり・・黒門跡・・・その左手、四の平櫓跡・・・
荷馬を繋いでいた厩曲・・・ この石段を馬が・・大変やったろなぁ! |
この二の丸の広場は最も広いところです!!
ググると・・この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されています
そんな歴史をおもい、眼下には、三の平櫓跡、土塀、高梁市街・・が広がり、絶景です!
本丸南御門から、入城です・・・300円!
岩盤の上に石垣を構築して、天守が建っています・・・ね!
天守、右手には本丸東御門が・・・あります
そして、天守左下には、八の平櫓跡が・・・
さぁ、内に入りましょう・・・・
二層二階のため、右手に石垣が・・・そして、接続廊下(つなぎろうか)・・八の櫓と天守を繋ぐ廊下です
(写真左下:城内部より、写真右下:外部より)
囲炉裏もありますね・・ |
解体時、江戸時代創建材の蕪懸魚・・・そして、唐破風の材料・・・展示室!
新島襄と備中松山城との関係?・・・新島襄は天保14年(1843)武士の子として安中藩板倉家の江戸屋敷で安中藩士・新島民治の子として生まれる
安中板倉家は、備中松山藩板倉家(板倉家は1744年~1871年の藩主)の分家に当たりその縁で、松山藩江戸藩邸の漢学師範、川田蟹江に師事したとのこと!
繋がっていますね・・・・ねぇ、歴史は面白いね!
天守を出て、右手に奥に進んでいくと、重要文化財、二重櫓が・・・
良い感じですね・・後述、裏から・・も、パチリ・・
写真には出てませんが、入口左の白壁に・・イタズラ書き、名前、年月が刻まれています・・ 腹が立ってきます・・・ 名前、日付まであるから、器物破損、重要文化財損壊で、そんな奴は捕まえろ! ・ 重要文化財を損壊し、き棄し、又は隠匿した者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は30万円以下の罰金に処する・・・ |
さぁ、天守ともお別れです・・・
いや、お姿、キレイです・・・
岩盤の上に石垣を造り、腰板張りで、天守中央部分には唐破風出格子窓が天守の特徴、石落し(出窓型)の機能も併せ持つ。そして、左端に天守入口となる付櫓がある。
鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、天和三年(1683)に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。
本丸跡から右手に七の平櫓跡が・・・
高圧電線で・・・ |
枯れ葉の敷き詰められた路を・・本丸東御門を表から・・・
それを過ぎると・・ちょっと小高い石垣の上・・九の平櫓跡(地図では、後曲輪とあるが・・・)
北側からみた、二重櫓・・
写真・・いかにも、山上という立ち位置ですね・・・お見事!
ここで、関東から来たという25~28歳ぐらいの若者とお話ができて・・・
私・・いいですね!・・この風景!
若者・そうですね!・・お城、お好きなんですか?
私・・好きですね!・・貴男は?・・どちらからお越しですか?
若者・・城、大好きです・・関東からです!
私・・電車じゃ、ここまで大変でしょう・・?
若者・・いえ、車です・・
私・・凄い!・・竹田城は・・?
若者・・行ってきました・・
私・・人、多かったでしょう・・・
若者・・石垣ではなく、人垣でした!
私・・ここはいいですね!
若者・・そうですね・・いいですね!
と、云った会話をしながら、二重櫓を眺めていました
では、お気を付けてと、いって、別れました・・つかの間の会話ですけど・・よかったです!
そして、やはり、いてはるのですね!・・城好きが・・
さぁ、下山しましょう・・・枯れ葉が敷き詰められた路を城壁に沿って・・・
降りていくとき、上から、重要文化財、土塀の全体像を・・・パチリ・・
大手門跡から・・下から見上げるとそびえ立っている・・が、を三の丸から見ると、その造形も見事です!
帰りの立て札・・
本日の登城、大義であった、城主・・ 又、一人ごとで、「ははぁ・・・」と! |
そう、先ほどの若者、やはり、多摩ナンバーでした・・お気を付けて!!・・・
では、高梁市内観光へと、参ります・・・
文中文言、観光パンフ、Wikipedea引用いたしました
備中松山城・・感想・・
お城って、天守が主役なんですが、櫓、門、堀、石垣・・と、いつも、全てを想像しながらみていっていますが、・・今回はちょっとびっくり・・この山城・・石垣好きの私にとって、最高でした・・藩主は普段は裾野の御根小屋で政務だったのだが、いざの折り、登城する・・この急な山に城をつくるとことが凄いね ・・又、700mチャレンジや!!
(今回、写真78枚~ちと、多いかなぁ!!でも、足跡やからなぁ・・!)
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