美山のかやぶきの里を散策しています
その里の東の山麓に、知井八幡神社があります
ここ、知井八幡神社の彫刻は中井一統と推測されています
下写真、赤い橋の右橋桁の斜め上、鳥居が見えます(赤四角)
参道下に到着
社頭
鳥居をくぐれば、三度目の知井八幡神社の境内です
舞殿
知井八幡神社の由緒
当神社は、中世知井之庄九ヶ村の惣 (総)社で、延久三年(1071年)に創建された。 永禄十年(1568年)に山抜けによる大洪水で流失したため、社殿移築の協議がまとまり、元亀元年(1570年)に現在地に 移転・再建された。
伝承によると、和銅六年(713年)妖怪が 出没人々を恐怖におとしいれた。
天皇の命を受けた古師は、丹波の奥山に棲む八つ頭の大鹿の仕業と判じた。
天皇は直ちに甲賀三郎兼家に命じて大鹿退治に当たらせる。
首尾よく退治に成功した兼家は神恩に感謝してその地に建てた社が、知井八幡神社の起源とされている。
天皇の命を受けた古師は、丹波の奥山に棲む八つ頭の大鹿の仕業と判じた。
天皇は直ちに甲賀三郎兼家に命じて大鹿退治に当たらせる。
首尾よく退治に成功した兼家は神恩に感謝してその地に建てた社が、知井八幡神社の起源とされている。
なお、大虎退治に従った家来たちの中には、この地にとどまり村を拓き、氏子として八幡宮の守り手になっていったという。
現在の本殿は、明和四年(1767年)に 再建されたもので、特に、神社彫刻では丹波地方を代表する神社として広く知られている。
現在の本殿は、明和四年(1767年)に 再建されたもので、特に、神社彫刻では丹波地方を代表する神社として広く知られている。
また、この地は小浜と京都を結ぶ若快 街道の道筋にあったため、往来の人たちで にぎわい、旅の安全を守る神社として 賑わった歴史がある。
本殿は三間社流造、軒唐破風、千鳥破風
装飾彫刻は江戸時代中期以降の丹波地方の寺社建築の代表的なものと言われている
本殿
御祭神 応神天皇
イイすね‥なんか久しぶりに見事な神社彫刻を見た感じ
向拝・・・
破風先の懸魚「菊の花」
破風先の懸魚「菊の花」
懸魚の菊花の細工は、彫刻を別で繋げている物ではなく、元々一枚物の板から菊の花を彫り出だしている
力神・・・鬼の形相で力の限り屋根を支えている
正面目貫「松に鶴二羽」
蟇股は孟宗、持送りは鳩
手挟み・・牡丹に鳳凰
左面
背面
右面
左、脇障子‥獅子の子落とし
右、脇障子‥鯉の滝登り
本殿正面に設置されている、彫刻の説明
本殿石段下より舞殿超しに鳥居側を望む
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