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2025年5月6日

京都 木津川古寺巡り 文化財の木造塔です

京都府内に所在する国指定文化財の木造塔一覧を見つけました
下赤枠が今回巡った木造塔です
三ヶ所の塔を調べて記録として再度まとめてみました


塔の各部の名称と塔のあれこれ‥大変勉強になりました

木造塔の構造は、中心に心柱を建て、周囲に四天柱と側柱を建て、層分だけの木造建築を作る。 初層は中央に仏壇を作り、仏像を安置し、内部を装飾するが、 第2層以上は構造材を 露出し室として設備をしていない。 心柱は最上層の屋根上に 突出し相輪を載せる。心柱と周囲の部分とは構造的に関係 がなく、平安時代末から心柱は初重上部で止まるものが現れ、三重塔は鎌倉時代以後、ほとんど第2層で心柱を止める。 五重塔では海住山寺五重塔が最古の例であるが、時代が下っても第1層まで達しているものも少なくない。
現在、国指定文化財の木造の塔は130基あまり、 そのうち国宝は30基である。
京都府内には重要文化財19基、うち国宝4基である。 そして府立山城郷土資料館の所在する木津川市内には国宝2基、重要文化財1基の塔がある。



国宝 浄瑠璃寺三重塔

国宝、平安時代 治承二年 1178年移築、桧皮葺、高さ16.08m


三重塔 浄瑠璃寺の三重塔は日本の国宝に指定されています
この塔は 1178 年に京都より、今の位置である池の東側に移されてきました。この塔は、平安時代当時の唯一現存している建物であり、その他 の建物は戦乱や火災によって消失してしまっています。 この塔は浄瑠璃寺へ移される直前に建設されたと推定されています。 一階の壁に沿った仏教の神々の絵画は、塔が修復された鎌倉時代(1185 〜1333)の後半からのものであると推測されます。 三重塔の中には、東方本尊である、木造で造られた医薬の仏である薬師如来像が安置されています。 薬師如来は、衆生の病苦を救う存在と考えられています。この仏像は、12世紀に一木造りという手 法で制作されており、国の重要文化財に指定されております。お彼岸の日(春分・秋分)に当たる日にも参拝することができ、この日は浄瑠璃寺にとって特別な日です。この 2つの日には、太陽がちょうど東の「三重塔」から昇り、西の御本堂「九 体阿弥陀堂」の真裏に沈みます。お彼岸の日(春分・秋分)に合わせて太陽の軌道も計算して設計されており、極楽浄土を最も体感できる日であると考えられています。・・国土交通省資料より引用


国宝 海住山寺 五重塔

鎌倉前期 (1214)三間五重塔婆、本瓦葺、初重もこし付、もこし銅板葺

承元二年(1208)笠置寺から貞慶が移住して寺を中興したが、その弟子覚真が建保二年(1214)先師の一周忌にあたり、五重宝塔に仏舎利七粒を安置したのが本塔婆の初見で、塔はこの時完成したのであろう。その後累次の修理があり、その間に初重の裳階の撤去や各重屋根勾配の変更とこれにともなう四・五重目の縁の撤去など、外観にかなり大きな改変が加えられたが、昭和三十八年の修理でこれらはすべて復原され、建物は建立当初の姿に復された。ただ、裳階の屋根は本来の長板葺の上を銅板で覆ってある。塔は比較的小規模であるが、各重とも二手先の組物を用いる点はほかに類がなく、また心柱を初重天井上で止めた技法も現存五重塔では最古の例である・・文化遺産データーベースより一部引用


裳階の屋根は本来の長板葺の上を銅板で覆ってある


海住山寺:五重塔
海住山寺の五重塔は日本の国宝に指定されています。鎌倉時代の五重塔の貴重な遺構であり、総高 17.7m あります。この塔はお釈迦様(シッダールタ)の遺骨である仏舎利を安置するために建てられました。 シッダールタが亡くなった時、彼の遺体は彼の弟子によって火葬されました。遺骨の骨片は「仏舎利」と呼ばれ、中興の解脱上人貞慶(1155-1213)が上皇から拝領した仏舎利二粒を海住山寺に安置しました。それらを祀るために、この五重塔は建てられました。五重塔が最初に建てられた時、5つの層だけで一番下の層(裳階)はありませんでしたが、十数年後に裳階が取り付けられました。
しかし、その後の修繕の際に、裳階は取り外されました。その後、1962 年に復元された時、裳階は再度取り付けられました。海住山寺五重塔には初重に裳階が付設されており、裳階は「重」の一つには数えられないものです。江戸時代から造られた裳階が付いている五重塔は、現在 2 つしか残っていません。海住山寺の塔はその 2 つの中の一つです。海住山寺の四天王はこの五重塔の中にありましたが、現在は奈良国立博物館へ寄託されています・・国土交通省より引用




重要文化財 岩船寺の三重塔



自然の豊かな丘に包まれた岩船寺の境内の中心には、三重塔がそびえています。寺伝によれば、834-847年の間に、仁明天皇(810-850)が、有名な僧侶を偲んでこの三重塔を建立したと伝えられています。しかし、1943年の解体修理の際に、1442年の銘文が発見されました。1221年の兵火により岩船寺のほとんどの寺塔を失ったことから、この銘文の日付は正確であると考えられ、現存する塔は室町時代(1336-1573)の建立とも考えられています。

ほとんどの寺院の塔は下から見上げるのみですが、岩船寺では、三重塔の周りを囲むように上がっていく小道があります。このため来観者はとても珍しいことに18mの高さの塔を上から、またあらゆる方向から見ることできます。各層のそれぞれの四隅に小さな像があり、肩で垂木を「支えている」のが間近で見てとれます。この像のことを「隅鬼」と言います。全て違った表情をしており、重要文化財に指定されています。

特別公開期間中には、三重塔の内部が一般開扉されます。初層の壁には、祭壇の後ろには、様々な色で彩られた仏画が描かれています。本堂にある木像の「普賢菩薩騎象」は、以前はここに祀られていました。普賢菩薩は、慈悲と理知を顕している菩薩です。岩船寺の普賢菩薩騎象は、女性的な優雅さを表わし、女性の救済と復活を導く仏様と考えられてきました。平安時代(794-1185)に造られ、重要文化財に指定されています。‥国土交通省 観光庁


三重塔の全景をやや見下ろす場所からの一枚
ただし、Nikon Z7 24-70mmでは画角に入らず、スマホでパチリです
国土交通省の資料にもこの18mの高さの塔を上から見られるのは珍しいとあります



隅鬼

特別開戸 撮影OKです



今回、巡って拝観した国宝、重要文化財の三重塔・五重塔は素晴らしい塔でした
そして、国土交通省観光局、文化財遺産データーベースを読むことでさらに記事を記するとき楽しませていただきました

現在、国指定文化財の木造の塔は130基あまり、 そのうち国宝は30基である。
京都府内には重要文化財19基、うち国宝4基である。 そして府立山城郷土資料館の所在する木津川市内には国宝2基、重要文化財1基の塔がある


京都府内に所在する国指定文化財の木造塔一覧の未だ見ていない塔を機会があれば訪ねてみたいと思います







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