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2014年6月13日

野見神社、永井神社・・大阪府高槻市!

高槻城跡に鎮座する、野見神社、永井神社を巡りましょう!

野見神社・・
高槻城の図に描かれています(左図:赤丸部分)

高槻城内北大手に鎮座し、祭神は、須佐之男命を祀っております
社伝によれば、宇多天皇の時代(880年代)、当地方に悪疫が流行し、このとき「社殿を造り牛頭天王をお祭りすれば悪疫は治まる」というお告げがあり社壇を設けて崇拝したところ悪疫は終息し、村人は牛頭天王社として祀ったとあります
その後、高槻城城内守護として、歴代藩主をはじめ多くの人々に信仰されました
しかし、キリシタン大名、高山右近が城主になると社領を没収し、時の神職が石清水八幡宮へご神体を避難させたと言い伝えがあると・・・・
その後の摂津高槻藩、永井日向之守直清は社殿の修築、社領の寄進いたしました
永井氏治世二〇〇年後、明治維新を迎え、神仏分離令により、牛頭天王は須佐之男命と名を変え更に、野見宿禰命を合祀し、野見神社としたと・・・・
摂社末社として、永井神社があると・・・・ (野見神社 由緒より一部引用)


永井神社・・よみがえった「永井神社唐門」
永井神社は、旧城内にある野見神社の摂社で、寛政5(1793)年8月に九代高槻藩主永井直進が、初代直清を祭神として創建しました。
嘉永元年(1848年)には、十一代直輝が初代直清の高槻城入城200年を記念して、社殿を修復し、併せて唐門と拝所を造立しました。
江戸時代の建築様式をよく表す高槻藩の歴史遺産として指定文化財となっています
造立から約160年・・屋根や柱回りの傷みがみられるようになったため、高槻市の文化財補助事業として野見神社による保存修理が行なわれ、江戸時代に創建された当時のままに、巧みな彫刻と精細な飾り金具で飾られた優美な姿が復元されました(高槻市より引用)
唐門の装飾が蘇り、なかなか優美な門です
そして、蟇股、彫刻も、お見事・・表側は鶴と龍・・裏面は虎?・・(私見)
拝殿の彫刻も又、お見事ですが、 鳥?・・わからん、獅子やね?・・(私見)
脇門と透塀・・これも、修復されたとあります
写真左下:正面より、 脇門と透塀を・・写真右下:拝殿側か唐門、脇門と透塀を・・
写真左上:その前に立ち並ぶ石灯籠も、時代を感じます・・触るといまにも、倒れそうです・・!

残念ながら、絵馬堂内部は見ることができません・・・資料館の絵図を見たかったのですがね!

広い高槻城跡地・・・中学校、高校、公園、野球場など・・有効利用です!
どこでもとは云えませんが、城跡近辺にその市の市役所なり、行政関連建物が位置するのが多く感じられるのですが?・・・(私見)!
いつの日か、天主閣など、再建していただければ、嬉しいですね・・・(*^_^*)

さぁ、高槻城跡の次は、茨木城跡へ・・参りましょう!


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