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2013年9月13日

世界遺産・・奈良! 南都七大寺の旅・・薬師寺!

奈良、南都七大寺である、興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺のうち
興福寺、薬師寺、元興寺、・・そして、なぜか、唐招提寺を巡ります・・一日、四寺院です・・がんばります!!

興福寺、元興寺、唐招提寺・・と、巡ってきました・・
本日、最後の古刹は・・・・薬師寺です・・・

唐招提寺のバス停から、すぐ左折して、一方通行を、南に・・・

嫁と・・ブラブラ、テクテクと、歩いて・・この歩きも良いもんです・・
何人もの方が、薬師寺から、唐招提寺へ・・逆方向で歩いてこられています
又、平凡な、おっちゃんみたいに、薬師寺へ・・・と!

薬師寺といえば、高田好胤管主が、TVなどで、有名です!
この高田好胤管主により、昭和42年白鳳伽藍の復興が発願されました

薬師寺の写真といえば・・・このアングル!・・パンフ、パチリ・・失敬!!
このアングル・・
どこの位置からか、地図で調べてみたら、多分そばにある、観音池の付近からと思います

しかし、今は、国宝(白鳳時代)の東塔(右の塔)は、解体修理真っ最中ですので、引用させていただきました!
680年天武天皇にて発願、697年持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の御代に至り、飛鳥の地にて堂宇の完成です
710年、平城遷都に伴い現在地に移されたとのこと(パンフより引用)

当時はその伽藍は国随一の荘美を誇ったそうです・・しかし、1528年の兵火で、国宝(白鳳時代)の東塔を除く
講堂が全て、焼失したとのことです

だからなんです・・・・今から、記します、ブログに掲載する写真の数々は、朱色鮮やかな、建造物なんです
金堂、西塔、中門、回廊、大講堂が復興されました・・その復興は、莫大な資金が・・と、思います
パンフに檀家、門徒など、お寺を支えてくださる人をもたない薬師寺・・全国各地から納められたお写経とその永代供養料によってのことです
今日まで760万巻のお写経が祀られているそうです

現存する国宝、建造物は・・東院堂(鎌倉時代)です
この東院伽藍も973年の火災で焼失、1285年、再興された、国宝、建造物です
やはり、堂内はカメラ禁止・・・おばさん、監視員の眼が厳しく、その目線が刺さるようです
東回廊を歩いていくと、その東院堂がありますが、やはり、色彩の違いが新旧が1300年の時の苦難に現れているようにも感じられます

そして、中門から、見た、金堂・・・龍宮造りと呼ばれ、二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階をつけた美しい堂です(パンフ引用)

写真:左の屋根は東塔修復中の大屋根

裳階(もこし)って・・・知りません・・恥ずかしい!
調べました・・Wikipedia引用・・・・
・・・・軒下壁面に付いた庇状構造物のこと・・別名:雨打(ゆた)・・
通常、本来の屋根の下にもう一重屋根をかけるかたちで付ける、裳層とも書く・・

元来は風雨から構造物を保護するために付けられたものだが、構造は本屋より簡素であり、建物を実際より多層に見せることで外観の優美さを際立たせる効果があるため、特に寺院建築で好んで利用された・・・・
そうみれば、写真の、東塔・・・とくに三層だが屋根の下に設けられた裳階により六層に見える

偶然か・・撮った写真が、西塔相輪のてっぺん・・宝珠、竜舎に大陽が重なり、・・うん!・・なかなかです!
写真は素人・・もっと、うまく写るはずですが、こんなもんですね!


そして、大講堂・・いや、大きい・・・正面41m、奥行き20m、高さ17m・・伽藍最大の建造物です
パンフ引用しますが、講堂が金堂より大きいのは、古代伽藍の通則で、南都仏教が教学を重んじ、講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです

その色彩、朱色の艶やかさに圧倒されながら、今日、1300年の古刹を巡ってきて、最後の薬師寺・・・現代の名刹・・として、拝観しました

このギャップが、あまりにも大きく・・・歴史の遺構の復興は、難しいのやね・・と、嫁と語りながら・・・
唐招提寺の駐車場へ向かい・・帰途へ・・つきました

嫁・・・やや、ばて気味・・スマホ歩数計、10000歩・・よく、歩きました
そして、「α君」・・152.4km 平均燃費22.4km/L・・

雨が続いた後の晴れ日・・天候に恵まれ、夏を思わせる温度・・でも、久しぶりの・・小旅行・・
おっと・・奈良、南都七大寺である、興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺のうち・・
西大寺、大安寺が・・・残っています・・次回の奈良の旅、早急に企画します・・はい!

4回に渡る、世界遺産・・奈良! 南都七大寺の旅の備忘録・・・自分自身に、ご苦労様でした・・
平凡な、おっちゃん・・・本音、疲れました!・・では!

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