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2022年12月8日

和歌山県への旅・・・那智の滝です

和歌山県と云えば、那智の滝、有名です
必ず、訪れたかった場所でもあります
強いて言えば、熊野那智大社、青岸渡寺と、那智の滝はセットですけどね
そして、飛瀧神社は、熊野那智大社の別宮です

さぁ、降りて行きましょう

この左隣に「P」があります
緩やかな長い石段を下って行きます
途中の写真はありません・・・足元ばかり気になり、そんな余裕はなかったです

おぉ! 見えてきました、那智の滝(那智御瀧)

左の建物は、別宮 飛瀧神社 熊野那智大社の別宮で、那智の御瀧を御神体として「大己貴神
」をお祀りしています。

鳥居横まで進み、那智御瀧の全景を・・・
御瀧の高さは133m、銚子口の幅は13m、滝壺の深さは10mあり、流下する水量は毎秒1トンといわれており、国の名勝となっています
一番良い場所に、観光記念写真を生業にしているカメラマンさんが陣取っています

     そのお立ち台の前から、帰りに、一枚


たくさんの方々が降りてきます、そして帰途、登っていく光景です




 
無事? 那智御瀧を拝見できました
そうなんです・・・瀧に見とれて、石段に踏み外しそうになり、あわや転倒か!
運良く踏ん張りました・・・

若くはないので、石段は、必ず下足元を見て一歩一歩確実に降りる、そして、パチリするときは、きちっと立ち止まる!
これ、私の行動原則だったのですが、つい!
気をつけましょう











2019年5月17日

名勝 天橋立・・・ 京都府宮津市文珠

名勝 天橋立・・四度目ですが、なんど訪れても素敵な場所です
展望台から眺めれば、さらに絶景が・・・一字観公園もおすすめですよ!

JR天橋立駅

智恩寺の山門の右手から観光船のりばをすぎて、天橋立へ

小天橋

小天橋(廻旋橋)
昔は「九世戸の渡し」と呼ばれ、渡し船があったが、大正十二年に架橋
通船時に一時的に旋回する 昭和35年3月に電動化



「日本の道100選」顕彰碑

府道「天の橋立線」は、昭和62年8月10日の「道の日」に、建設大臣から日本の特色ある優れた道路と認められ「日本の道100選」の一つとして顕彰されました
この府道は「天の橋立線」は日本三景の一つ天橋立の中を通る道路であり、周囲の景観との調和を図るため砂利道のまま管理しています
道路の幅員は3.5mから5.5mで、沿道には大小約7000本の黒松が続き、白砂に縁取られた天恵の景観を有するとともに数多くの史跡や物語を秘め、美しい風光を保ち、地元の人々はもとより、全国的にも多くの人々から愛され親しまれています・・・京都府


黒松・・・
冬の強風の影響でしょう・・・枝が砂浜に、そしてそこから根を生やしている

大天橋





    松並木が続く、天橋立、府道です
    ・・・・ラッキーなことに、誰もいません・・パチリです・・・

宮津湾です 波穏やかで、よき眺めです
・・・中央奥の島影は、亀島、伊根の船宿の付近ですね

ここにも・・黒松の枝が地面に根を生やしている


文殊港の灯明台

この橋のあたり、昔は船着場で、文殊の??った、ことにかっての岩滝港や須津港へ出入?船はすべてここ文殊の水道を通った
さてここに建てられた「石灯篭」は天保十五年(1844)大阪の商人、大和屋藤兵衛という人が、当時宮津の有力商人・宝来屋義八と酒見屋弥兵衛の二人を世話人にたのみ、ここ文殊・船着場の燈明台として寄付したもので、この台石に「照海夜白」とあることから、当時の港を照らす灯台であったことが知られる
その後、ここ文殊が天橋立とともに発展し、むかしの港風景は知るよしもないが、この灯篭だけは土地の人々に愛されいまもその場所を変えることなく、幕末の姿そのまま、かくも立派に名勝「天橋立」を見守り続けている


観光ボート
・・・子供たちが小さい折、乗りましたね・・・その時と変わっていません、多分!


市営「P」へ戻ります
・・・ふと発見した、宮津市指定文化財

この塔の特徴は、刻字を持たないこと、火輪(笠)が平面立面ともに三角形であることがあげられる。五輪塔の笠を三角形に作るのは、鎌倉時代に東大寺を復興した重源上人ゆかりの形といわれていえる。このような形態から造塔の年代は鎌倉末期に近いと考えられる・・・一部省略 説明板より引用


阿蘇湾

天橋立、堪能しました
よき天気に恵まれました・・・
次回は、笠松公園へのロープウェイに乗っていき、そこからの眺め(北から南を)たいですね!






2017年11月18日

島根県への旅・・・神話の舞台「稲佐の浜」・・・島根県出雲市大社町杵築北稲佐

島根県をふたり旅です・・・

松江市、松江城から、夕刻にかけて、出雲市へ移動です・・・
宍道湖の北側の湖岸を走ります・・・途中の「P」で、休憩・・・宍道湖です・・・
海岸線とか、湖岸を走しるのが、大好きな私・・・(*^_^*)
国道431号線を走り、道は出雲大社の社頭を通過して、神話の舞台「稲佐の浜」へ・・・
・・・出雲大社は、明日朝一、参拝いたします・・・m(_ _)m
しかし、社頭に誰もいない・・・写真的には、バッチシ!・・・「α君」の車内、信号待ちです!
出雲大社社頭より、数分・・・日本の渚・百選 「稲佐の浜」へ到着です・・・
・・・写真、iPhone WinZipよりキャプチャーです・・・復活です!

神話の舞台「稲佐の浜」・・・
稲佐の浜は、古くから出雲神話の舞台として有名であり、その神話を伝える「古事記」にも「伊那佐之小浜」という名で登場し、ここで国譲りの話し合いが行われたことが書かれています
現在も旧暦10月10日にはここで「神迎え神事」が行われます・・・
そう、旧暦10月の神在月に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。
また、この浜は明治21年に県下で最初に開設された海水浴場でもあり、今も夏のシーズンになると多くの海水浴客で賑わいます
午後15時40分・・・陽が落ちてきて、うん! ええ感じやね!!
・・・弁天島・・・
稲佐の浜のある丸い島・・・
地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。
昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。
神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています
日本海、伊那湾・・・波、穏やか、風、微風・・・最高ス!
・・・砂、メチャ、細かい・・・サラサラです・・・
弁天島と陽を一直線で・・・パチリです!
出雲大社の神在月は、2017年11月28日から12月4日まで・・・
因みに2016年は11月9日~16日・・・旧暦だからね!


古事記に登場する舞台・・・
・・・この浜に立ち、眺めているだけで、陽が、空気が心地よいです・・・(*^_^*)



2016年3月9日

兵庫県猪名川町・・猪名川の名勝・・・屏風岩!

県道12号線を通り、大阪方面へ向かいます・・
「道の駅、いながわ」で、しばし、休憩して・・ふっと、インフォメーションコーナーへ・・・
・・・猪名川の名勝「屏風岩」の案内がありました・・・
では、4~5分ほど、歩けば、着く距離・・・歩道を歩いて行きましょう・・
  

    
古くから「北摂第一の名勝といわれ高さ30mに及ぶ崖が、幅100mに広がる断崖絶壁はゴツゴツした岩肌を見せ、足元を流れる猪名川は鏡のようにその姿を映し出しす
屏風岩は、約7千万年前の火山活動によって、火山灰が降りつもり固まった凝灰質泥岩で、できている
それが猪名川の流れの浸食され、凹凸ある屏風を立てたような現在の形がつくられた

この屏風岩の位置する場所は、県道12号線・・・「道の駅、いながわ」に「P」して歩かないと、「P」する場所はない・・・
この道を北上するときも、南下するときも・・・何時かはと、思っていました・・
本日、歩いて・・見学に・・・・
しかし、交通量も多く、歩道は、反対側のみ・・・向かいは旅館の敷地、そして、建設会社・・
まぁ、旅館の端にある、橋の上から眺めるしかないね・・・川へ降りていくこともできないようです!
写真下の落葉している木は、桜です・・桜咲けば、なかなかの景色になりますよ!

川側の旅館からは、美しい桜と屏風岩が眺められますが・・ね!


次の見所へ・・・
県道12号から県道68号線へ、そして国道173号線へ・・・川西市平野のホームセンタの側に・・
三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)があります
国道173号線を北上する際、右手に写真下の白い建物が見えます・・・
右手の線路は、能勢電鉄・・・です!
写真下は、ホームセンタの屋上から撮影しました・・・m(_ _)m
三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)
川西市平野は、江戸時代には「摂津三湯」の一つ「平野湯」として栄えましたが、明治時代には鉱泉工場が進出しました
明治14年(1881年)明治政府の意を受けたイギリス人ガランにより、この地に湧き出る鉱泉が飲料用に適したことが発見されました
明治17年(1884年)には、わが国最初の飲料水工場が誕生し、「平野水」の生産が始まっています
その後、「平野水シャンペンサイダー」「平野ジンジャエール」なんどの商品が生産されましたが、大正4年(1915年)には「三ツ矢」の商品名に改められ、 とくに「三ツ矢シャンペンサイダー」は長く全国的にも親しまれました
又、大正時代には東洋一を誇る工場に成長し、海外にも輸出されました
残念ながら、西宮工場への移転に伴い、昭和29年(1954年)には炭酸飲料水の製造が中止され、昭和42年(19167年)には炭酸ガスの製造も中止されました
工場の建物は失われましたが、明治45年(1912年)に造られた大正天皇の皇太子時代御用の「御料品製造所」のほか、源泉井戸が現存しています・・・アサヒ飲料株式会社 ・・・案内板より引用

フェンス際までいってみました・・・「P」など、施設はありますが、施錠して公開していないようです!
建物横に案内板がありましたので、ズームで・・パチリしてみました

三ツ矢塔・・・
天然炭酸ガスを充填するために、源泉を吸い上げ、これを噴霧状にし、四段の濾過器を通して??し、ガスタンクに入れ圧力を加え液化してボンベに充填しました

この炭酸ガスは、三ツ矢サイダーの製造に使われました

この塔は長い間平野のシンボルとして親しまれてきたもので、現在の塔は2001年(平成13年)に移設復元したものです
・・・案内板より引用


三ツ矢サイダー・・・懐かしい名称ですね!
私の幼い時は、「ラムネ」・・・あのラムネの瓶の中にビー玉をいかにして入れるか、全くわかりませんでしたね!

ラムネとサイダーの違い・・・ラムネ瓶に入っているのがラムネ、普通の瓶に入っているのがサイダー

ビー玉を上から押して・・プシュン・・いや、懐かしいです・・・(*^_^*)

因みに地図を・・・

            


訪問日:3月3日