元来、この野間の大けやきには、パワーをいただけるよう十数年通っていますが、いまや、「ごめんね、今日はアオバスク君を撮影にきたのよ」って、語りかけています
そうか、そうか、よう来てくれたね! 云ってくれているように感じます
「野間の大けやき」今年も、樹勢よく、元気そうです
「P」が10時に開きますので、その15分前に到着して、誰も写り込まない「大けやき」の写真を撮りたく計画してきました
国指定天然記念物 「野間の大けやき」
昭和二十三年一月十四日 文化財保護法により指定
昭和二十三年一月十四日 文化財保護法により指定
この大けやきを中心とする一面の地は、もと、「蟻無宮」という神社の境内で、こ の樹はその神の憑り代、すなわち御神体ともいうべき神木であったと思われる。
樹齢千年以上と推定されるこの樹は、目通りの幹回り約十四メートル、高さ三十メ ートル、枝張り南北三十八メートル、東西約四十二メートルあり、一樹にしてよく社 叢をなし、けやきとして大阪府下で一番、全国的にも第四番目を誇る巨樹である。
古来よりこの大けやきにまつわる伝承を探れば、里人らは春さきに出る新芽の出具合によって、この年の豊凶を占ってきたと伝えている。
また、社庭の砂を請い受けて持ち帰り、はたけもの(野菜)や屋内に散布すれば、 蟻が退散するといい、その効験は遠くまで知れわたっていた。おそらく社名蟻無によ るものであろう。
さらに一説では、有無社は紀貫之を祭神としており、貫之が同じく三十六歌仙の一人である源公忠に贈った歌により社名を付したという。すなわち『手にむすぶ水にやとれる月影のあるかなきかの世にこそありけれ』
又経房遺書(安徳天皇ご潜幸の伝承)の一節に「・河合にいとおほきなる沢ありて 水よどめり、さパの中じまに市女が笠てふものに似たるいとうるはしき木の紅葉せし あり...」(原文)、奥書きは、「建保五丑年」とあり、なにか大けやきを連想させるもの がある。
当社の創祀は、承久二 三月十五日とあり、遠く鎌倉時代にさか上るが、明治四十五年当社祭神は野間神社に合祀された。以後、神木の保全・境内の清浄化に蟻無会-(前身は蟻無講中)をはじめ、郷民こぞって奉仕してきたところである。
とくに最近樹勢回復のため治療を施し、ようやく往時の姿によみがえろうとしている
この大きなケヤキの傘の下にいると、すべてを守ってくれているように思えます
この雰囲気は、不思議ですね
そして、蟻無神社も・・・
資料館の前からの一枚
ほんと、だれもいませんが、実は左隅でアオバスクの撮影は始まっているのです
回り込んでみると、この状態です
花壇から一枚
今年も、元気な大けやきに会えて「パワー」をいただきました
そして、無事、アオバスクの雛も撮影できました
そうそう、今年はフクロウは営巣していません
営巣の幹が切られたようです
さぁ、次回は秋、落葉前後の姿を見に来ましょう
そして、パワーをいただきましょう
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