福井県への旅、曹洞宗大本山・永平寺 第二回目です
七堂伽藍を巡ります
寺院の建物を「伽藍」と呼びます
伽藍には僧侶が修行をする清浄な場所という意味があり 禅宗寺院では、特に主要な伽藍として、法堂、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司 浴室を指して「七堂伽藍」と呼びます
中でも僧堂、東司、浴室は「三黙道場」といわれ修行をする上で大切な場所とされています
山門の左手から、廻廊を登ります、左側通行です
軽行廊下(きんひんろうか)
軽行とは、禅宗で、座禅の時に、睡眠などを防ぐため時間を定めて衆僧が一斉に座を立ち、堂内の一定距離を作法に従いゆっくり往復して歩くこととある
僧堂
明治三五年(一九二二)の改築です。 正面には「雲堂」の額が掛けられており、 堂内中央には智慧の象徴である 文殊菩薩が安置されています。 そして文殊菩薩を囲むように、坐禅の出来る 「単」と呼ばれる席が約九〇人分設けられています。
さらに上へと廻廊を登ります
・・・この階段の隅々まで修行僧が、毎朝拭き掃除するのです、いや~大変ですね
正面 承陽殿
手前:承陽門 奥:承陽殿
・・・彫刻、すばらしいですね、見事です・・・
承陽殿(道元禅師の御真廟)
道元禅師を奉祀する御真廟で、 正面の階段を登った所に本殿があります。
「承陽」には仏法を承け 伝えるという意味があり、 日本曹洞宗の発祥の根源として 曹洞宗の聖地とでも言うべき場所です。
堂内は撮影は控えておりますゆえ・・・
・・・木鼻の龍が柱にとりついているようです、持送りの透かし彫りも素晴らしい・・・
法堂へ向かいます
なにやら、たくさんの僧侶が集まっています
法堂前から紅葉を・・・
法殿前より仏殿の屋根を・・・
雨水桶
・・・嘉永五(1852)の文字が読める
法殿の右端から・・・
先ほど集まっていた僧侶が堂内に入いり整列されています
そう、堂内には何十人もの僧侶が介し、車椅子でお出ましの高僧(貫主?)が中央へ
そして、法要?が始まりました
撮影禁止ですので、その様子を上写真の中央から拝見させていただきました
TV番組で観たことはありますが、何十人もの僧侶が一斉に唱える般若心経の声が、地響きのように低音でながれ、そしてその読経は心に響きましたね
ホント、偶然ですが、よき時に居合わせました、よき体験でした
廻廊から見上げる、法堂法堂は、住持が法を説く道場であり、 正面外にはそれを表す 「法王法」の額が 掲げられています。 中央には聖観世音菩薩が お祀りされており、 現在は、說法のほかに 朝課などの各種法要儀式が 行われています
仏殿
明治35年道元禅師650回大遠忌記念の改築で総欅造り宋朝様式の建造物である七堂伽藍の中心をなし、中央には曹洞宗のご本尊であるお釈迦様が祀られております。向かって右側からそれぞれ過去・現在・未来の三世を現しています。
また、正面上に「祈祷」の額が掲げられているように、 昼や晩の勤行がなされ、世界平和や万民安楽をお祈りしております
中雀門・山門をみる
そうなんです
この中雀門から眺める、山門を撮り損ねました・・・ショック!!
舎利殿
拝観も無事、終わりました
通用門か出て見た、手水舎
これを撮影しなければ、終わりませんね
・・・そう勅使門(唐門)です
曹洞宗の大本山永平寺の唐門はかつて「勅使門」とも呼ばれ、皇室から使者を迎える時に開かれた門です。
現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門しています。
門扉には皇室の御紋章の菊花紋が飾られています。
立ち入ることはできませんが唐門へと続く石段の脇には巨大な杉がそびえ、永平寺を象徴する光景の一つとなっています。
勅使門、は天保十年(1839年)の築
永平寺の勅使門を作り上げたのは、永平寺大工で、棟梁職免許状を受けた大久保勘左衛門が手掛けたとされている
曹洞宗大本山・永平寺の拝観はすべて終わりました
いつかいつの日にか、訪れたかった永平寺・・・
たいへんたいへん、良き時を過ごさせていただきました
永平寺を彩る紅葉は見頃で、これまた、格別のものでした
紅葉の永平寺も見事ですが、雪積もる晦日の永平寺にも来てみたいですね
まず、無理かなぁ?
追記:記事中文言は配布パンフ、説明板より引用しました
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