ページ

2014年2月26日

篠山市、春日神社です!

何を思ったか、私・・急に、篠山市の大正ロマン館で昼食を・・っと!
嫁・・・えぇぇっと!・・まぁ、いいか!・・久しぶりに走りましょうか・・っと!

「α君」さぁ、行きましょう・・篠山市の大正ロマン館まで、我が家から、40km弱、1時間ちょっと・・!
国道176号線を、「カーナビ君」に任せて、勿論、一般道でっす!
平日、車は少なく、信号も少なく、50km制限を60km前後で、燃費考え、ゆっくり流します・・・

篠山市、さすが、観光に力入れてはりますので、数カ所、「P」があります・・トイレも!
篠山市の国重要伝統建造物群保存地区の河原町妻入商家群から北へ行った左に「P」があります
河原町妻入商家群は前回、訪れ、備忘録記しました
所謂、町外れ?に位置する観光スポット付近、ここへ「α君」停めておけば、篠山観光地区はゆっくり、歩いて一周観光できます、穴場の「P」です!!
ではその「P」に、「α君」停めて、ゆっくり散策しながら、大正ロマン館へ行きます・・・

篠山市、そう、何度、訪れたことか、もうすぐ、桜のシーズン、それより、3月2日、篠山マラソン大会が・・・お堀端にはその準備か、テント群が・・今回、お城は行きません
篠山マラソン大会・・・天候に恵まれればいいのですが・・・・
次回篠山城へは、・・昨年も訪れましたが、勿論、桜見物=篠山城へ・・・です

今日は、ただただ、昼食なんです・・何故か、理由はないのです・・・ただ、篠山へ・・・
この町いや、市は何度訪れても、よき佇まいの、静かな城下町です・・好きですね!・・篠山市!
「P」から北へ歩いて行くと、うん?・・何か門に刻まれている真新しい案内板が眼に入り・・・

浄土真宗、尊寳寺・・・・その山門が・・・
慶長十四年、八上城下より移築、明和三年(1766)十一月再建、文化四年(1807)の大火にも焼け残る・・と、あります!
以前、通った時には、案内板、無かった?、いや、見落としたのでしょう・・・

門前から、大正ロマン館へ・・通い慣れた道?・・・5分ほどで、着きました
さぁ、昼食です・・・私、丹波特産、山芋づくし定食・・・美味しかった、です!
とろろご飯、山芋をすり下ろし、揚げ物・・いやいや、美味ですなぁ!!

大正ロマン館は、旧篠山町役場の建物、今は観光の拠点で、大変賑わっています・・・
そのロビーに、ひな人形が・・・おもわず、パチリです!
そして、その前に明治時代から、昭和初期にかけての、人力車が展示されていましたので・・これも、パチリ!!
・・・いいもんですね・・・・

さぁ、帰りましょう・・と、・・・嫁!
しかし、折角来たのだからと、少し、ウロウロと・・・私・・・
実は、デジカメ、持ってきていません・・・あるのは、スマホ、nexus5のみ・・・・
初めて、nexus5での写真撮影です・・・・

大正ロマン館を出て、北へ、・・・
信号待ちしていると、・・・目の前のボタン鍋のお店の上に・・・
イノシシが・・・おおぉ・・さすが、丹波篠山、ボタン鍋のお店が並んでいます!!
その信号を西へ・・・清浄山誓願寺(浄土宗)へ・・
この誓願寺・・慶長十四年(1609)篠山に築城されると八上城(高城山)周辺の神社、仏閣は新城下へ移築されたとのこと!
民心の安定と、城下町造りの拠点としてこの地に移されたと、説明板にあります
そして、楼門は、一間一戸重層屋根入母屋造、本瓦葺の四脚門で、本堂とともに、室町後期の様式を残し、釘一本も使わず、組み合わせ工法とのこと!
写真右上:彫刻も見事で、素晴らしい楼門です!

さすが?・・この付近は市の中心より、若干離れているため、人通りも少なく(いません)・・

なにやら、もの寂しい空気感です・・・
田舎の町の雰囲気ですね?
ずっと、続く、真っ直ぐな道、車、いません!
ですから、車道の真ん中に立って・・・パチリです!
次は、帰途への途中にある、春日神社へ・・・以前にも参拝しましたが、修復工事があり・・・ユックリ見ていません
さぁ、参りましょう・・・鳥居をくぐり、随身門が・・
向かって、右には、左大臣、藤原時平像が、左には、右大臣、菅原道真像が・・見張っています!

参拝者は誰も、いません・・・貸し切り状態です!
この春日神社は、貞観年間(平安時代)奈良春日大社よりご分霊を今の篠山城跡に勧請し奉り、日置の庄、黒岡の氏神としてお祀りしていましたが、慶長十四年(1609)篠山に築城のため、現在の地に奉遷しました
そして、境内の能楽殿は、国の重要文化財に指定されています
絵馬殿には、黒神馬の絵馬なども、市の文化財として指定されています

さぁ、まずは拝殿へ参拝です・・・拝殿の上には、丹波の祇園さんとも呼ばれる春日神社
その秋祭り・秋の大祭も京都祇園祭、京都八坂の祇園祭とそっくりとのことです
その山鉾巡行の山鉾の写真が・・・・なかなか、立派なものですね!・・・私、京都八坂の祇園祭、行ったことがないのです!
国の重要文化財、能楽殿です!
文久元年(1861)藩主によって寄進されたもので、もちろん、普段は、板戸で閉ざされています・・・
しかし、2箇所、四角の除き窓みたいな物を発見・・そこに指が入る穴が・・・皆、開けているのか、そこだけ、色、はげています!
勿論、私・・・穴に指入れ、上に板、持ち上げます(写真赤色枠)・・・・
そして、内覗くと、当たり前ですが、真っ暗です・・・そこで、一か八か、nexus5で、パチリ・・・!
nexus5・・・お見事、フラッシュ、撮影、大成功・・・天井彫刻から、松の絵まで・・・ハッキリと!
1年に2回しか、1月1日、篠山春日能の奉納しか、舞台が開かない?・・・粋な計らいかなぁ・・覗き穴?
この備忘録を記する折、写真みていると、覗き窓の穴の下にも同じようなに覗き窓の穴(写真黄色枠) 多分、能舞台の床下には、音響用に瓶がいくつか仕掛けているはず、その床下を覗くため・・・あぁ、残念!!

さて、もう一つの文化財・・・絵馬堂!
この絵馬堂には、22面の絵馬が展示されています(吹き曝し)!
中でも、「黒神馬」「大森彦七南朝の雄魂に悩まされる図」は名作といわれています
「黒神馬絵馬」は、慶安二年(1649)第三代藩主松平忠国が奉納、狩野尚信の筆と云われている
「大森彦七南朝の雄魂に悩まされる図」は貞享(1687)篠山藩の臣、塀和左内景広が奉納
そして、案内板の表示説明の無い、もう一枚の神社の名品の一つが・・・
「巴御前絵馬」・・貞享(1686)松平勘右ェ門の奉納、木曽義仲の妻、巴御前の馬上勇ましく奮戦する絵、絵師不明とある!・・
左から、配置どうりで、「巴御前絵馬」「黒神馬絵馬」「大森彦七絵馬」

22面全ての絵馬は紹介できないが、彩色鮮やかで、素晴らしいものです・・・写真下のように22面の絵馬が掛けられています・・・(絵馬重複していますが・・・)
風、雨水対策しないと、・・と、思うのですが?・・保存のため、もしかして、複製かなぁ・・・?

今回、昼食で、ふと、訪れた、冬の篠山・・誰もいない、春日神社の境内をゆっくり、拝見できましたし、丹波特産、山芋定食・・・美味しかったでっす!!

大正ロマン館での昼食、お盆の下敷きの地図が素晴らしく・・・一枚、お願いしたら、快く頂戴できました
・・「丹波國篠山略繪圖」・・難しい漢字です!!

いや、よき記念品です・・・はい、ありがとうございました!


0 件のコメント:

コメントを投稿