朝一です 時刻は8時45分、開門前です
特別史跡 名古屋城
正門です
人は写っていません? 消してます!
実際は、多くの外国人観光客が、並んでいます
時間前、閉門中です
午前9時、「開門~!」という声が城内から響き渡りました
ゆっくり、門が開きました
演出は最高 いや~ 良き体験です!
城内へ
左奥に天守閣 右は重要文化財 西南隅櫓
広大ですね
早朝のお城巡り、最高です
人が多くならないうちに、混み合うことが予想される、本丸御殿へ急ぎ歩きます
中央奥の東南隅櫓の下、表ニ之門へ向かいます
重要文化財 表二之門(南二之門)
表二之門の写真がない!
枡形の石垣
表二之門前から堀を眺める
重要文化財 東南隅櫓(堀ばかりに気を取られて、上切れた!)
本丸御殿です
名古屋城本丸御殿とは
玄関・大廊下
玄関は、正規の来客がまず通される建物で、床や違棚が備えられていました。 周囲の壁や襖には勇猛な虎が描かれ、客を驚かせました。
本丸御殿の復元にあたっては, 主要な木材に木曽桧を使用するとともに, 継手・仕口により木材を組み立てる伝統工法を採用しています。 また障壁画についても、狩野派の絵師たちが用いた技法 や素材を分析し, 復元模写により当初の色彩を再現しています。 復元された建物と, 色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金 具があいまって、400年前の壮大な空間がよみがえります。
帳台構
鷺之廊下
鷺之廊下は、対面所と上洛殿を結ぶための廊下で、寛永11年(1634)上洛殿共江増築
絢爛豪華な廊下
欄間
釘隠し
取手
上洛殿
上洛殿、寛永11年(1634)三代將軍家光の上洛にあわせて増築された御成御殿です。 江戸時代は御書院・御白書院と呼ばれました。 本丸御殿で最も格式の高い建物であり、天井にま
折上格天井
上洛殿 三之間
梅之間
梅之間は、 将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋です。 上洛殿と共に寛永11年(1634)増築されました
上御膳所
畳縁
見学、終わりです
下駄箱収納
見学が終わって
約120枚ほど写真撮影しましたが、正直どこの位置の部屋なのか、わからなくなってしまったのが事実です
絢爛豪華の襖絵、彫刻、組物など、素晴らしいものです
それに釘ずけになり、拝見するだけで精一杯で、パチリはその次、ましてや、順路が決まっており、後からたくさんの方が見学しているので、そうそう立止るわけにもいかないのです
復元する木造天守はいつのことやら!
2018年から耐震性が低いため天守閣は閉館中です
本丸御殿、必見です!
しかし、私は住みたくないね! この空間に座すると疲れると思うよ
特別史跡 名古屋城
正門です
人は写っていません? 消してます!
実際は、多くの外国人観光客が、並んでいます
時間前、閉門中です
午前9時、「開門~!」という声が城内から響き渡りました
ゆっくり、門が開きました
演出は最高 いや~ 良き体験です!
城内へ
左奥に天守閣 右は重要文化財 西南隅櫓
広大ですね
早朝のお城巡り、最高です
人が多くならないうちに、混み合うことが予想される、本丸御殿へ急ぎ歩きます
中央奥の東南隅櫓の下、表ニ之門へ向かいます
重要文化財 表二之門(南二之門)
1612年(慶長17)頃完成 / 高麗門形式
本丸の表門(南門)の内側から2番目に当たる二之門です。
1番目には櫓門形式の一之門がありましたが、 1945年 (昭和20)の名古屋空襲で焼失しました。 一之門と二之門で囲まれた四角い空間を桝形とよびます。 二之門を突破して桝形に侵
入した敵は一之門前で止められ、石垣上にあった多門櫓と櫓門二階の3方向から攻撃を受けることになります。 城の防衛強化のために開発されたのが桝形の二重構えの門です。
表二之門の柱や扉にはすき間なく鉄板が貼られており、防御力の高い門です。
表二之門の写真がない!
枡形の石垣
表二之門前から堀を眺める
重要文化財 東南隅櫓(堀ばかりに気を取られて、上切れた!)
本丸御殿です
名古屋城本丸御殿とは
名古屋城本丸御殿は,尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615) に建てられました。 寛永11年(1634) には将軍のお成御殿として上洛殿が増築され, 格式高き御殿として知られていましたが, 昭和20年(1945) の空襲で天守閣とともに全焼 しました。 名古屋市では,平成21年(2009) 1月から本丸御殿の 復元に着手し、平成25年5月には入口にあたる玄関, 謁見の場である表書院などの公開を開始しました。
玄関・大廊下
玄関は、正規の来客がまず通される建物で、床や違棚が備えられていました。 周囲の壁や襖には勇猛な虎が描かれ、客を驚かせました。
続く大廊下は、玄関と奥を結ぶ重要な通路で、 幅 は3間(約6メートル)に及びます。
本丸御殿の復元手法
本丸御殿の復元にあたっては, 主要な木材に木曽桧を使用するとともに, 継手・仕口により木材を組み立てる伝統工法を採用しています。 また障壁画についても、狩野派の絵師たちが用いた技法 や素材を分析し, 復元模写により当初の色彩を再現しています。 復元された建物と, 色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金 具があいまって、400年前の壮大な空間がよみがえります。
表書院
表書院は、江戸時代は広間と呼ばれ、 藩主と来客や家臣との公的な謁見に用いられました。一番奥に位置する上段之間は、床や付書院を備えるとともに、床も一段高くしており、藩主の座として使われました。
帳台構
鷺之廊下
鷺之廊下は、対面所と上洛殿を結ぶための廊下で、寛永11年(1634)上洛殿共江増築
されました。
長押の上まで障壁画が描かれるのが寛永期の特徴 です。 将軍や藩主はここを通り上洛殿へ向かいました。
絢爛豪華な廊下
欄間
釘隠し
取手
上洛殿
上洛殿、寛永11年(1634)三代將軍家光の上洛にあわせて増築された御成御殿です。 江戸時代は御書院・御白書院と呼ばれました。 本丸御殿で最も格式の高い建物であり、天井にま
は板絵、部屋の境には極彩色の彫刻欄間がはめ込まれています。
折上格天井
上洛殿 三之間
梅之間
梅之間は、 将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋です。 上洛殿と共に寛永11年(1634)増築されました
上御膳所
上御台所で調理されて運ばれた料理を、 長囲炉裏で温め直し、上段に揃えられた御膳・容器に盛りつけて、 来訪した将軍のもとへ運びました。 長囲炉裏がある御膳場 (別名 「福(富貴)之間」)の天井には煙出しがあります。
木造天守に使用する木材(月山松)
この木は、復元する木造天守に使用する予定の松材根本部分の輪切り材です。
岩手県奥州市の月山神社が保有する境内山林で伐採された。 推定樹齢350~400年の年輪が緻密で真直ぐな非常に品質 の高い松材です。
この貴重な松材は、復元する天守の3階床を支える最も長い(長さ約16m) に使用する予定のものとなります。
今回、この松材が伐採された岩手県奥州市出身のプロ野球選手、 大谷翔平選手にサインを頂きました。
見学、終わりです
下駄箱収納
見学が終わって
約120枚ほど写真撮影しましたが、正直どこの位置の部屋なのか、わからなくなってしまったのが事実です
絢爛豪華の襖絵、彫刻、組物など、素晴らしいものです
それに釘ずけになり、拝見するだけで精一杯で、パチリはその次、ましてや、順路が決まっており、後からたくさんの方が見学しているので、そうそう立止るわけにもいかないのです
でも、なんとか精一杯撮影しました
これは、名古屋城を訪れたよき記念になると撮影でした
ちなみに、復元名古屋城本丸御殿の建築費150億円とあります
復元する木造天守はいつのことやら!
2018年から耐震性が低いため天守閣は閉館中です
本丸御殿、必見です!
しかし、私は住みたくないね! この空間に座すると疲れると思うよ
やっぱり、平民ですね!
















































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