今回、丸亀城、金刀比羅宮さんへの旅・・・やはり、最初は、金刀比羅宮さん・・と!
金刀比羅宮さん・・備忘録、記しました・・・
勿論、nexco西日本さんの割引きを最大限生かすべき、検索をします・・・
瀬戸中央道を渡り、四国の地へ・・・ ・・さて、何処で降りるかなんです 丸亀城であれば、坂出・・・ 金刀比羅宮さんなら、高松道の善通寺と、なります! |
ググったなぁ・・いつ?・・・そや、高野山の時や・・と、・・弘法大師、空海!
空海、お大師様の誕生の地が、四国、善通寺市にある、善通寺とは・・・!
宗派は色々あるなか、高野山真言宗・・訪れました・・世界遺産、素晴らしいお山でした!
善通寺・・金刀比羅宮さんから、僅かの距離・・行ってみましょう・・と!
「カーナビ君」をセットすることもなく、道路案内で「善通寺?km」と・・あります
その看板に従って、進み・・・そして、五重塔を目標に・・・行きました・・
大きな「P」・・・そう、お遍路さんが・・そうなんですね!
四国八十八ヶ所霊場を巡拝することを特に「遍路」と言います。
四国八十八ヶ所霊場は、弘仁6年(815)、お大師さまが42歳の時に開創されたと伝えられています
しかし、平凡な、おっちゃんの目的は古寺名刹・・・拝観です!・・さぁ、入りましょう・・・
案内板によれば・・ 西院(誕生院)、東院(伽藍)があります 「P」は西院側から入ります・・・ ・・大勢の方が観光バスで、訪れています |
弘法大師が誕生された佐伯家の邸宅地に建っています、天保二年(1831)に建立されたものです |
石橋を渡り、中門へ・・・この中門の形がちょっと、違うのです・・
下層では左右に袴腰状の板壁を設け、虹梁には雲龍や鶴を彫る。
上層は桁行三間梁間二間とし、吹き放つ。
軒は総反りで垂木を扇に配り、優美な意匠とする。
特異な外観をもつ門である。
中門を入り・・右手に、すごい、大楠が2本も・・・・
が、近年、樹勢が衰えがみられ、先端に枯れ枝が・・・根の力が弱っている・・土壌改良をとあります
いやはや、いつもながら、巨木、古木が大好きなため・・ぜひ、元気で頑張ってほしいものです!
大楠の右手には、南大門が・・・・
高麗門形式の平唐門で、前後に軒唐破風を付け、本瓦葺
この門が、東院の伽藍の正門でしょうね!
五重塔・・総欅造り、三間四方、高さ43m・・明治三五年完成とある・・
又々、単独、写真がない・・・ 南大門からみた、五重塔のみ・・(^^;) |
桁行三間梁間二間、袴腰付、入母屋造本瓦葺である 挿肘木と虹梁上の三斗で擬宝珠高欄付縁を支持し、上層は組物を平三斗組として、扇垂木で総反りの軒を受ける |
金堂・・登録有形文化財(建造物)・・
桁行三間梁間三間、一重もこし付、入母屋造本瓦葺である。
身舎は禅宗様三手先詰組で、二軒扇垂木とする。
内部は四半瓦敷で、天井を高く張り、側まわりに火灯窓や桟唐戸をたてる
(文化遺産オンラインより引用)
金堂内部・・瓦敷のため、お遍路の金剛杖をつくと破損のため、つかないようにとありました・・確か、・・・うろ覚えです!!
これで、東院、伽藍を拝観いたしました・・急ぎ足で廻ってしまいました・・・
帰路は駐車場に向かって逆の道を・・・中門をくぐり、金剛力士象が睨む、仁王門へ
仁王門・・・登録有形文化財(建造物)
三間一戸八脚門。
入母屋造本瓦葺とし、棟に鯱を飾る。大斗肘木。
二軒繁垂木で鏡天井を張り、床は石敷。両脇間には石積基礎を設け、正面側に、金剛力士像を安置し、背面には大草鞋を飾る。 |
その先の回廊の彫刻のすばらしさ・・ 鳥の糞で汚れてはいるが・・・・ |
空海の父親は佐伯 田公は、讃岐国の豪族。姓は直。播磨国造の一族で、多度郡擬大領佐伯男足の子。
多度郡少領。子の真魚(空海)を中央官僚にするため、妻の実家・阿刀氏出身の阿刀大足の尽力によって、真魚(空海・弘法大師)を大学寮明経科に入学させたが、真魚は仏門の世界に入ることとなり、田公は憤慨したという
昔も今も、子を想う、親心は同じ、しかし、政治力を使うことも、時に、結果が思うようにならぬのが、世の常・・今も、昔の同じということ!・・ですね!
Wikipediaって、凄いね・・奥へ奥へ入ってしまいます・・・
善通寺=善通寺市なんかなぁ
空海が建立した寺の名(善通寺)からその寺が建つ地も善通寺と呼ばれるようになった
1954年(昭和29年)3月31日 - 仲多度郡善通寺町、与北村、吉原村、筆岡村、竜川村が合併し、善通寺市誕生。
では・・・つぎなる目的地、現存する天守閣、丸亀城へ・・・・行こうっと・・・!
※内容は私の主観によるもので正確性を検証していませんので・・文中、文言の一部はWikipedea、文化遺産オンラインより引用させていただきました
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