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2013年12月4日

岡山県高梁市 備中松山城!

現存する12天守・・一番高い位置に座する、天守・・備中松山城なんです!
前回は、現存する12天守のうち一番小さな天守・・丸亀城を備忘録に・・・

今回、なぜか一人旅・・・理由!・・嫁には、やや、登りが厳しいのです!!・・700m、20分・・なんです!
平日は、ふいご峠の駐車場まで車、上がれますが・・・土、日はダメ!・・麓の大型「P」から、シャトルバスかタクシーなんですって!・・!

山陽道を通り、岡山道・・岡山道、初めてです・・北へ山越えのルートです
賀陽ICで降り、高梁市へ入るのは、国道484号線・・、ループ橋を・・なかなか、快適な路です・・
この辺から、みると、朝靄・・・下、見えません・・・・写真右上:ループ橋を・・
ドライブレコーダ+WizMap キャプチャー画像です

期待してます・・・備中松山城・・もしかして、雲海!!
国道180号線に入り・・・いつものこと、資料集め・・高梁市観光協会へ・・

はい、沢山いただきましたよ・・そして、見所も教えていただきました!
そして、事件が・・・おもいきり、頭・・鴨居?・・ぶっけてしまい・・首、グッキと・・うずくまりました!・・痛いよ!
20分ぐらい、様子をみて・・・大丈夫と判断して・・気を取り直して・・!
高梁市観光協会の前からみた、標高430mの臥牛山(がきゅうざん)頂上付近は、雲が・・・いいね!・・
辛い時間がかかったので、雲海は、だめですね・・時間が遅すぎるね・・
写真右上:高梁川沿いも土塀が・・・ずっと続いています・・・

・・さぁ、登りましょう・・・

平日では車、上がれる、ふいご峠の「P」へ・・14台らしい・・運良く空いていました・・!
そうやね、8台はいたね・・岡山、広島や、多摩ナンバーの車・・・

看板があります・・・ようこそ、日本一高い山城 備中松山城へ
今回の備忘録・・・歩いた順番に記しております・・又々、長文、写真、多々です!
さぁ、この地点から、遊歩道・・700mを上がります・・700m徒歩20分ですよ!
遊歩道?・・崩れかけた、石段ですよ!・・いや、厳しい・・でも、親切に、竹の杖が置いてありましたので・・拝借!
(写真左上:遊歩道スタート地点、右上、途中荒れた石段)

最初の遺跡、中太鼓の丸跡・・・おお、見えてきた・・登ること、初めての石垣・・!
おお、絶景や!・・・絶景でしょう・・!
ここは、小松山から延びる尾根上にあたる。その下に見える、ちょっと空き地みたいな所・・前山山頂の下太鼓の丸跡がある
その下太鼓の丸跡と大手門跡とのほぼ中間地点、戦略上、重要な地点・・・中太鼓櫓が建っていたと・・・通信網の要衝とのこと!

曲輪のまわり、瓦の残骸で・・いっぱい!・・・いつの瓦なのかなぁ??

前山山頂・・・赤丸部分・・・
臥牛山の支峰「前山」山頂にあり、4つの曲輪から構成されているとのこと、強固な出丸!
北方以外の三方向が視界が開け、南方向は市街を一望できる・・太鼓の音を中継する通信所の一つである

さぁ、続き・・登りましょう・・石段を登ると、見えてきました・・・何層もの石垣が・・・
おお!・・その横には、看板が・・「よくぞ、まいられた・・城主」・・どうも、どうも!と・・一人、ぶつぶつと、答えてしまいました!

ここは、大手門跡・・
右手に、10m近い岩壁の説明が・・・なにやら、岩盤変動監視とある、・・木の根の貫入と揺さぶりによるクラックの拡大の恐れがあるらしく3ヶ所のセンサを設置している様子・・
見事な岩盤に樹勢する木・・素晴らしいけど、ね!

何重にも重なるが如くの石垣、城壁・・大手門長屋?上番所、三の丸、足軽番所が建っていた跡
写真右下:最上部の右端、現存する土塀の一部
大手門の上には、大手櫓跡が・・・その上には、二の平櫓跡・・・
それから延びるのが、重要文化財、土塀・・・
土塀の一部が現存部分で残り半分は復元・・よく、風雪に耐えて、残っていますね
その反対の石垣の上は、三の丸跡・・・その反対側には、三の平櫓跡が・・ここも、瓦が散在・・・
三の丸跡地に古びた、史跡表示板が・・・
国指定史跡・・備中松山城跡、
国指定重要文化財、備中松山城、
建造物・・・
・・・天守、二重櫓、三の平櫓土塀

と、記してあります・・・!
ここで、臥牛山付近・・重要文化財、「備中松山城」、などを含む国指定遺跡、又、国指定天然記念物生息地、高梁川上流県立自然公園「臥牛山特別地域」の指定を受けている。
そして、「21世紀に残したい日本の自然100選」にこの地が選ばれていると・・・・・

さらに、石段を上がり・・黒門跡・・・その左手、四の平櫓跡・・・
その右手に厩門、厩曲(うまやぐるわ)・・
荷馬を繋いでいた厩曲・・・
この石段を馬が・・大変やったろなぁ!
さあ、二の丸へ・・・二の櫓門跡へ到着・・・おお!・・天守が見えてきました!
この二の丸の広場は最も広いところです!!
この広場にある、備中松山城の沿革や、復興図をしばし、眺め・・・城主、鎌倉時代から19代も・・・
ググると・・この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されています

そんな歴史をおもい、眼下には、三の平櫓跡、土塀、高梁市街・・が広がり、絶景です!
振り返れば、本丸、天守の姿が・・・・青空のなか・・きれいです!

本丸南御門から、入城です・・・300円!
見えました・・・天守、後ろに二重櫓が・・・・
天守・・・標高430m最も高い所に天守の現存する山城、二層二階、三層に見えるようにデザインされている
岩盤の上に石垣を構築して、天守が建っています・・・ね!

天守、右手には本丸東御門が・・・あります
そして、天守左下には、八の平櫓跡が・・・

さぁ、内に入りましょう・・・・
二層二階のため、右手に石垣が・・・そして、接続廊下(つなぎろうか)・・八の櫓と天守を繋ぐ廊下です
そして、石落としが・・・外観は「鰓形窓」とも云われるとのこと
(写真左下:城内部より、写真右下:外部より)
一階から、二階へ・・急な、やや狭い階段を・・直線ではなく、左へ折れている・・・L字形階段・・・普通直線?

最上階、二階へ・・・木組を・・・パチリ・・・美しい、手斧と槍鉋の跡が見れます
天守、二階、内部、一階への階段あたり・・・
武者窓・・・外から、内がみえにくく、内からは広角に敵兵の動きを見ることができる
囲炉裏もありますね・・
装束の間・・・籠城時の城主一家の居室
床下には石を入れ、隙間のないようにし、侵入を防いでいる・・そして、落城の折の死に場所でもある!

解体時、江戸時代創建材の蕪懸魚・・・そして、唐破風の材料・・・展示室!
で、展示室に・・大河ドラマ、八重さんと、新島襄が・・・・
新島襄と備中松山城との関係?・・・新島襄は天保14年(1843)武士の子として安中藩板倉家の江戸屋敷で安中藩士・新島民治の子として生まれる
安中板倉家は、備中松山藩板倉家(板倉家は1744年~1871年の藩主)の分家に当たりその縁で、松山藩江戸藩邸の漢学師範、川田蟹江に師事したとのこと!
繋がっていますね・・・・ねぇ、歴史は面白いね!

天守を出て、右手に奥に進んでいくと、重要文化財、二重櫓が・・・
良い感じですね・・後述、裏から・・も、パチリ・・
写真には出てませんが、入口左の白壁に・・イタズラ書き、名前、年月が刻まれています・・
腹が立ってきます・・・
名前、日付まであるから、器物破損、重要文化財損壊で、そんな奴は捕まえろ!

・ 重要文化財を損壊し、き棄し、又は隠匿した者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は30万円以下の罰金に処する・・・

さぁ、天守ともお別れです・・・
いや、お姿、キレイです・・・
岩盤の上に石垣を造り、腰板張りで、天守中央部分には唐破風出格子窓が天守の特徴、石落し(出窓型)の機能も併せ持つ。そして、左端に天守入口となる付櫓がある。
鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、天和三年(1683)に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。

本丸跡から右手に七の平櫓跡が・・・
高圧電線で・・・
天守、本丸南御門を出て、右手の散策路を・・・・
枯れ葉の敷き詰められた路を・・本丸東御門を表から・・・
そして、後曲輪へ・・・ええ、雰囲気やね!
その右手に搦手門曲輪後が・・・左手に天守の裏、二重櫓への門・・腕木御門が・・
それを過ぎると・・ちょっと小高い石垣の上・・九の平櫓跡(地図では、後曲輪とあるが・・・)
北側からみた、二重櫓・・
天守同様、天然の巨石を櫓台とした、二層二階建ての構造天守側と二ヶ所の出入り口があります
写真・・いかにも、山上という立ち位置ですね・・・お見事!

ここで、関東から来たという25~28歳ぐらいの若者とお話ができて・・・
  私・・いいですね!・・この風景!
  若者・そうですね!・・お城、お好きなんですか?
  私・・好きですね!・・貴男は?・・どちらからお越しですか?
  若者・・城、大好きです・・関東からです!
  私・・電車じゃ、ここまで大変でしょう・・?
  若者・・いえ、車です・・
  私・・凄い!・・竹田城は・・?
  若者・・行ってきました・・
  私・・人、多かったでしょう・・・
  若者・・石垣ではなく、人垣でした!
  私・・ここはいいですね!
  若者・・そうですね・・いいですね!

と、云った会話をしながら、二重櫓を眺めていました
では、お気を付けてと、いって、別れました・・つかの間の会話ですけど・・よかったです!
そして、やはり、いてはるのですね!・・城好きが・・

さぁ、下山しましょう・・・枯れ葉が敷き詰められた路を城壁に沿って・・・
おお、石垣に大木が根を張って、立っているよ・・・!

降りていくとき、上から、重要文化財、土塀の全体像を・・・パチリ・・
大手門跡から・・下から見上げるとそびえ立っている・・が、を三の丸から見ると、その造形も見事です!
天守から二階からみた、二の丸広場、高梁市街・・・同じく、本丸広場・・そして、絶壁のような景色・・高梁川です
さぁ、700mおりましょう・・・往路で見た、景色を再び、堪能しながら・・・

帰りの立て札・・
本日の登城、大義であった、城主・・
又、一人ごとで、「ははぁ・・・」と!
山の紅葉も時期は過ぎても、全山、紅葉です・・・
はい、「P」に着きました・・・いや、さすが、日本一の髙き城でした・・この景色は、又、新緑の時期・・来たいね!

そう、先ほどの若者、やはり、多摩ナンバーでした・・お気を付けて!!・・・

では、高梁市内観光へと、参ります・・・

文中文言、観光パンフ、Wikipedea引用いたしました

備中松山城・・感想・・
お城って、天守が主役なんですが、櫓、門、堀、石垣・・と、いつも、全てを想像しながらみていっていますが、・・今回はちょっとびっくり・・この山城・・石垣好きの私にとって、最高でした・・藩主は普段は裾野の御根小屋で政務だったのだが、いざの折り、登城する・・この急な山に城をつくるとことが凄いね ・・又、700mチャレンジや!!
(今回、写真78枚~ちと、多いかなぁ!!でも、足跡やからなぁ・・!)

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