ページ

2013年12月4日

岡山県備前市・・旧閑谷学校!


静寂の地に世界最古の庶民のための学校・・・ 「特別史跡 旧閑谷学校」 なんです!

特別史跡・・・
史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの、つまり、史跡のうち特に重要なものとみなされ、日本文化の象徴と評価されるもの 2013年10月17日現在、61件が特別史跡に指定されている(wikipediaより引用)  代表的な例として、姫路城跡、平城京跡など・・・

高梁市にて、備中松山城、市内散策を終わり・・急ぎ、備前市 旧閑谷学校へ「α君」走ります
この、旧閑谷学校・・山陽道備前ICと和気ICの間に北側に位置し、この区間を通過するたび、「旧閑谷学校」の看板が見えるのです!

岡山市、広島市へ数回訪れています・・・ただ、通過するだけなんです・・
しかし、今日は、最初から、備中松山城、旧閑谷学校・・へ行くと、計画していました

岡山道、山陽道・・・「カーナビ君」・・備前ICから、行くルートを・・・・
しかし、手前が和気IC・・・先の備前ICから逆に戻って行くルートなんて・・キライです!
「カーナビ君」・・多分、時間的に早いからでしょうが・・・・逆らってみますね!

和気ICを降りて、県道96号線を金剛川に沿って、走ります!・・「カーナビ君」の道案内どうりにね!
一応、ググってきています・・・閉館時間・・PM5:00です・・・
はい、到着しました・・・PM4:00です・・間に合いました・・でも、日が暮れるのが、はやいから・・ね!

「P」についたら、「えぇ・・」・・凄い車の台数・・50台は停めている・・こんなに観光客が・・?
すごいなぁ・・と、思いながら、歩いていくと・・・
おぉ・・壮観な全体像が・・見えました・・

見えるだけで、門が三つもあります・・
(写真は二つ!)
勿論、真ん中から・・行きます!

右端の門、校門です・・真ん中です!
左・・公門です!
その前に水色?、エメラルドグリーンのような色した水路・・・「泮池」(はんち)そして「石橋」・・
いきなり、二つも、重要文化財!・・泮池、案内板の説明では・・・

中国上代の諸侯の学校である頖宮の制に擬してつくられたものと・・・半円形が普通だが、旧閑谷学校は幅7m長さ80mである!

その水路、重要文化財の石橋をわたれば・・
まっすぐ延びた路は・・・校門へ向かっています!

(写真左下:石橋から左へ、写真右下:反対側から石橋を)
その石橋を渡り、真っ正面は、重要文化財、校門です・・いや、堂々たる門です!

この門、学校の正門で鶴鳴門と呼ばれ、旧閑谷学校の門の中で、唯一、鯱を乗せています

その門のまっすぐ奥に孔子をまつる聖廟があります
(写真左下:表通りから 右下:敷地内より)
右手が受け付け門みたいなので、校門から、向かいます・・
その左手に延びる、異様?なんという石垣が・・延びています・・
受付済ませ、振り向くと・・「おぉ!!」・・広大な芝生の右奥に国宝、講堂が・・・・
なんといっていいでしょうか、この景色!
今は冬近し、芝生は狐色・・・ゴミ一つ無く・・・狐色の芝生の絨毯の上を歩きます・・・
写真右上・・・閑谷神社、聖廟が並んだ正面から写真を・・・・
まず、右手が「閑谷神社」、重要文化財です・・・
閑谷神社は旧閑谷学校の創設者である、岡山藩主池田光政も祀るため、貞享3年(1686)に建てられました

その左手は、「聖廟」、重要文化財・・
儒学の始祖孔子を祀っており孔子廟ともいう・・本殿にあたる大成殿は貞享元年(1684)の完成です
この聖廟の門の前の両側に、「楷の木」が対で植えられています・・
この楷の木は東南アジア、中国に自生するウルシ科の植物・・大正4年林学者白沢保美氏が中国 曲阜の孔子墓の楷の実を持ち帰り育成したものの2本が大正14年に閑谷学校に寄贈、移植されたと・・
今の時期は、葉は落ち、枝のみですが、秋の紅葉は、非常に美しいと・・ググってみると、写真、見事です!
(上部、写真、正面からの聖廟の前にあります)
聖廟から眺めた芝生広場の向こうの校門と手前、両側の枝が、楷の木です(車見えます?・・凄い台数でしょう?)

再度、校門、重要文化財・・
聖廟の正門として建てられたもの、閑谷学校の校門である
両脇に花頭窓のある付属屋をつけるなど中国建築様式を模しており、貞享3年(1686)に建てられました

さて、校門をから、左右に延びる石塀・・なんと、校地を取り囲んでおり、その長さ、765m・・・

南側、東西の石組は「切り込みはぎ式」・河内屋治兵衛を頭領とする石工集団によって築かれたもの
内部に洗浄した割栗石を詰めて、排水を助けており、300年を経ても今も、端然たる姿です・・

写真左:石塀の向こうに写っている車・・・多いでしょう!
この石塀・・必見です・・そりゃ、一言・・圧巻です・・・
河内屋治兵衛・・この近く、田原用水水路橋の「石の懸樋」を造った有名な方では・・ググってみよう!

さぁ、いよいよ、国宝、講堂です・・
元禄14年(1701)の完成で入母屋造り、錣葺きの大屋根を乗せています

いったん、こけら葺きの屋根を造った上に垂木ごとに漆をかけた一枚板を張りその上に備前焼瓦を乗せるといった手の込んだ造り、雨水に帯する万全の対策が施されています

錣葺き・・ 大棟から軒まで一枚の面ではなく、一段の区切りをつけてすぐその下から軒までを葺く形式、その葺き方のことを錣葺き(しころぶき)という(Wikipedea引用)
内部は10本の欅の丸柱、丸柱に囲まれた内室とその外廻りを広縁でとりまいています

材料の吟味と施工が入念になされており、今日に至るまで一分の狂いもないとのこと・・・
正面の壁には、薄暗く見えませんが・・国宝、「定」と「朱文公学規」が架けてあります
東側の額は「克明徳」と書かれています
講堂内・・花頭窓からの日あかりで、反射してる床も、江戸時代から今にいたるまで、ここに座った生徒達によって拭きこまれたものです! ・・・美しい光景です・・・
講堂内を一巡りして、内から習芸斎へ・・なんといったかなぁ・・丸い藁で編まれた円座?・・が、積まれています!
これに、座して、講義を聴くのでしょうかね?・・

床に用いられている材は、栂で、天井は張っておらず、太い自然木が見える野天井である・・
同じく、内から、飲室へ・・教師、生徒の休憩室・・中央の炉には「斯爐中炭火之外不許薪火」が刻まれています・・

「斯爐中炭火之外不許薪火」・・この囲炉裏は炭のみで、薪はダメ・・って意味かなぁ・・
又、講堂へ戻りましょう・・・講堂から習芸斎への廊下の上・・

見事な木組です・・おもわず、パチリです・・

小斎・・重要文化財・・

小斎・・延宝5年(1677)に建造されたもの
藩主臨学の際の御成の間である
この建物だけが、こけら葺きで現存する建造物の中では最も古い姿を残している

写真左下:講堂側から、内部

公門・・重要文化財・・
公門・・藩主臨学の際に使用した門で、御成門ともいう
本柱の後ろに控え柱を二本建てて切妻屋根を乗せ、薬医門様式の建物、元禄14年設置とある・・

表側から、先ほどの習芸斎・・重要文化財・・
毎月朔日には、朱文公学規の講話がなされ、近隣の百姓の聴講も許された

さらに隣接した、飲室・・重要文化財・・教師、生徒の休憩室
その飲室の前には・・飲室門・・重要文化財・・
日通いの生徒や、毎月朔日には、朱文公学規の講話に出席する聴講者が出入りする通用門である

さらに、飲室の左手には・・・文庫・・重要文化財・・
文庫・・閑谷学校の教科書、参考書をおさめた書庫・・八千点余りが所蔵されていたとのこと・・

では、資料館へいきましょう・・・
その路には・・火除山・・
この山、人工の山で、西側にあった学舎や学房よりの火が講堂などへ及ばないようにするために造られたものである
その側を左には、ずっと続く、石塀・・見事な、光景です・・・
その石塀に校厨門があります・・石塀が苔むし・・いい感じじゃないですか!

その前が、登録有形文化財、閑谷学校資料館です・・
1階、2階と1号室から7号室まで、閑谷学校の歴史が展示されています(展示室、写真禁止)

さぁ、日が陰り、暗くなってきました・・PM4:45です・・まもなく、閉館です・・・

きた道を逆に戻りましょう・・

石塀を右にみて、山には紅葉が・・・ 残念!
ほんと、この石塀の凄いこと・・・

感動しています

出口にて、お聞きしました・・実は、閑谷学校内は観光客2~4人・・・
あの車の台数は・・・県青少年教育センターがあり、そこでの研修へとのこと・・・
なるほど、謎が解けました・・・(*^_^*)

では、表側を石塀に沿って歩き・・帰路へ・・・
校門を、公門へ、石塀の角に沿って曲がり、飲室門・・へ、見事です
さぁ、残されているのは、特別史跡・・石門です・・
車で4分ぐらいかなぁ・・走ると、左手に・・ぽつんと・・ありました!
本来の姿・・門柱、高さ3.8m、直径0.63m・・閑谷学校の校門として元禄10年(1697)に立てられたものです
数度にわたる埋め立てにて、現在はおよそ、3分の2が地中に埋もれています・・・

旧閑谷学校・・藩直営の学校、初めから、庶民の学校、地方リーダを育てる学校として、寛文10年(1670)に創建されました
天下の三賢候の一人と呼ばれる藩主池田光政が重臣、津田永忠に命じたのである
講堂とする建物が完成したのは、池田光政の死後、元禄14年(1701)2代目藩主綱政のころです
1.現存する 2.庶民を対象とした 3.学校建築物 として世界最古です!!


閑谷学校、全体が、国宝、重要文化財・・ばかり、ぜひ、後世に残すべき、残さなければならない、
圧巻され放し・・暗くなるなるのも忘れ、見入ってしまいました・・
又、緑の芝生の絨毯の旧閑谷学校を・・・
そして、備前焼瓦で覆われた建物を・・
今回、日暮れにも近く、赤い備前焼瓦が残念ながら今一、色栄えず・・・・次回、緑の芝生の絨毯と、赤い備前焼瓦、観たいものです!

備中松山城、高梁市内、旧閑谷学校・・・一人旅・・満足しています・・・
さぁ、帰りましょう・・ライト点灯で走ります・・・

追記:文中年号、元禄14年・・・頻繁に出てくるね・・・関係ないけど、赤穂浪士の討ち入りの年ですね・・!

走向距離398km 平均燃費 22.4km/L・・まぁまぁかなぁ・・お疲れ!!

※文中文言、閑谷学校パンフ、Wikipedeaより引用いたしました

0 件のコメント:

コメントを投稿